31.アクアティック・ドラゴン

 赤い。――それが、俺の第一印象だった。


 ……何のことかといえば、目の前に並んだ料理の話だ。

 魚料理という俺のオーダにオススメされた『ホラシュレ』というスープ料理、そしてメインディッシュとしてオススメされた『プルクット』という、肉がゴロゴロと入ったビーフシチューっぽい料理。そして、プルクットの付け合わせ的な、粒状のなにか。いずれも赤みが強い。

 赤いとはいえ、ルーメンでよくあったトマト料理とは少し違うようだし、激辛中華的な赤みとも違う。

 ……まあ、厨房の方から「パップリカ」と聞こえたから、多分パプリカの赤みなのだろうけど。

 ただ、パッと見ただけでは具材としてのパプリカは見当たらない。煮込まれて溶けたということはないだろうが、細かく刻んであるのか、あるいは粉末状にして色や香り付けに使われているのだろうか。

 こうして見ると、魚に肉と、非常にタンパクの強い、淡泊とは真逆な献立に思えるが、俺が入ってきたときに見かけた人はステーキを前にソーセージを頬張っていたので、ここでは割と普通なのかも知れない(たまたまその人が肉好きなだけかも知れないが)。

 ともあれ、せっかくの温かい料理を前に考え込むものではない。そう思って、早速、いただきます、と手を合わせる。

 まずは魚だ。スプーンで押してやると、簡単に身がほぐれた。丁寧に取り除いてあるのだろうか、骨が当たる感触はない。スープと一緒に口に運ぶと、やはりパプリカ的な香り……と思ったら、辛みがある。ただ、そこまで強い辛みではないし、旨味もしっかりある。野菜なんかの旨味もあるのだろうけど、魚の骨もダシを取るのに使われているのかも知れない。魚の身自体は良い意味で淡泊な味わいで、スープとのバランスが良い。

 ふと、昔、母親が家庭菜園でシシトウを作ったとき、やたら辛いのが交ざっていたとかで親父が騒いでいたのを思い出した。思えばあの時に俺はピーマンや唐辛子が同じ仲間だと知ったのだった。今感じた辛みも、そういう種類のパプリカなのかも知れない、なんて思う。

 何にせよ、辛みというものは食欲を促す。つい先日「しばらくは見るのも結構」なんて思っていたはずの肉料理も、今となってはただただ楽しみだ。

 スプーンを差し入れようとして、どうやら肉が一種類ではないことに気付く。部位が違う、というわけでもなく、実際食べ比べてみれば、豚肉と鶏肉のようだ。ただ、鶏肉は今まで食べてきたものより、上手く言えないのだが“クセ”がある。鶏肉に似ている、といえば、カエルやヘビ、ワニなんかが思い浮かぶが、まさか、ね……なんて思いつつも、パプリカの風味の中からドカンと立ち現れる“肉!”といった味わいに、美味ければ良いか、なんて思ってしまってもいる私です(後で聞いたところ『リバ』という鳥肉だそうだ)。

 粒状の付け合わせも、その表面の赤みはパプリカによるもののようだ。ここの人らはどんだけパプリカ大好きかよ、とは思うが、そういう他の場所との違いを感じる部分は興味深く楽しい。味の方は、これもパスタの一種なのだろう、という感じで、特筆すべき尖った味わいがあるわけではないのだが、“肉!”と合わせることで“肉。”になって、くどく感じさせない役割もあるのだろう、なんて思いつつ、全てを美味しくいただいた。


 ……こんな風に、俺は旅の中で食ってばかりいるように思われるかも知れないが、実際に旅というものをしてみて、建築様式だとか、植生だとかの違いは、さほど知識の無い俺にも、それぞれの地域の特色として全く見えていないわけではない。

 だが、やはり一番明確に見えるのが、この“食”というものである、と感じるのは、別に俺に限ったことではないと思うのだ。

 事実、ここまで旅して、どこも皆同じ言葉を喋っている(訛りなどはあるにせよ)にもかかわらず、料理名に関しては、似た料理でも場所によって違う名前で呼んでいたりという例を見てきた。

 そこには、その地域の人々のこだわりというか、『誇り』を感じる。

 そもそも、この世界の人たちは、スポーツなんかにも見られるように、“勝つ”というような競争意識は希薄だ。だから、こだわりの先に求めるものは単純な質の高さになる。

 それは、どこそこと比べてこっちの方が美味い、なんていう『見栄』とは違って、もっと気高く、美しいものだ。と、俺は思う。

 ならば、俺もまた、それ相応の敬意を以て、それに向き合わねばならないだろう、と思うのだ。

 ……だからね、カイさんや。……否定はしないよ? しないけどさ。

「恩人は、食いしん坊ですね!」

 その評価はちょっとばかり間違っているんじゃないかと、ボクは思うんだよね。


 腹が満ちた後は、部屋を借りる前に、腹ごなしというわけでもないが、せっかくなのでダヌビゥスを先に拝んでおこう、という気分になった。

 残念ながら、ここまで、遠くからその河を目にする機会は無かった。この街が割と平坦だということもあるが、一番の理由は多分、今視界の先にある、高い“土手”の存在だろう。

 遠くからでは大きな壁かと見紛うそれは、実際に近づいてみれば、見上げた頂点は入り口前で見た壁よりも高く、それが右も左も途切れず続くのだから、壮観だ。あるいは日本でも場所によってはこの規模の河川敷は見られたのかも知れないが、俺の知見の中では最大級だと感じる。

 土手の側面には、横に不均等な間隔を開けて斜面を登る階段が並び、土を固めただけのものもあれば、石で造られたようなものも見受けられた。

 手近な石造りの階段を上ってみれば、これだけ大規模な堤防が必要な理由はすぐに知れた。

 ――海か、湖か。

 一見そう思うほど、一面の水面。一方への流れがあることに気付いてようやく、それが河だと判る。湿度のせいかもしれないが、遠くにようやっと見える対岸は、霞んでいる。これだけの規模の河の氾濫を防ぐなら、正直このレベルの堤防でも心配になるくらいだ。

 今登ったよりも低くまで降りた先の河原も、海水浴場の砂浜のように広大だ。それも、ぱっと見でここが河だと脳が理解しない理由の一つかも知れない。

「……すごいな……」

 文明的な光景とはほど遠いこの世界で、自然の雄大さなんてものは飽きるほど思い知って、あまり気にもしなくなっていたが、『聖域』という先入観のせいだろうか、不思議とこの光景には感じ入るものがある。

 水面には漁船と思しき船舶の他、手漕ぎのボートも行き来していて、その、この世界では今まで見なかった無防備さも、ここが本当に聖域なのだと実感させる。

 河原には、石積みのかまどでバーベキュー的なものをしている人たちや、河辺で釣り糸を垂れる人の姿なんかも見えて、なんというか、平和な光景だ。

 俺は、好奇心のままに河原へ降りてみた。

 実際に河辺に立ってみると、なんとなくだが空気感が違うように感じられる。ただ、今までもその“なんとなく”は正しかったから、やはりここは正真正銘の聖域なのだろう。

 膝を折って地面に手を触れる。返るのは、意外とサラッとした砂と小石の感触だけで、カイと出会った洞窟で起こったような不思議現象はない。当然、俺が干渉できそうな手応えも全く感じない。ここに住む聖獣が一匹であれ複数であれ、その存在と関連付いた領域ということなのだろう。

 ひとまず気になったことを確認し終えて立ち上がり、集中していた意識が拡散すると、周囲がざわめいているのに気付いた。

 俺に付き従うカイが原因かと一瞬思ったが、どうやらそうではなさそうだ。ボートは桟橋に戻ってきていて、河辺の人たちは水面の方を注目している。

 人々の様子からは危険が迫っているようには思えなかったので、俺たちも川縁かわべりに近づいてみる。すると――

 ――ヌウッ、と、さして音もなく水面から立ち上がる大きな影。そしてそれは、何かを探すように周囲を見回し始めた。

 周りで上がった声をからして、これが『リュウ』らしい。そのサイズは、水上に見えているだけでも、俺が見上げるほどだ。

 その身体は細長く、口元からひょろりと伸びる髭は、なるほど『竜』と言われれば、そう思えなくもない。

 だがしかし、だ。

 てらてらと陽光を反射する胴体は、ヘビというよりはウナギだし、少し平べったく、顎からも髭が伸びるその顔は、むしろナマズだ。

 そんな姿を見せられれば、東洋の竜を想像していた自分からすれば、なんとなく釈然としない思いがある。だが同時に「河に住んでるなら、そらそうだわな」と、納得する部分もないでもない。なんとも複雑な心境だった。

 俺が一人、そんな心情を持て余していると、俺たちに気付いた“なんちゃってドラゴン”が口を開いた。

「……ほう、珍しいな……」

 喉元まで出かかった「お前じゃい!」は、俺の強い意志によって、声になって発せられることはなかった。

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