30.聖域のほとり

 結局、ルブヤナの人たちの厚意に甘えて、四日も滞在してしまった。

 収穫に感謝する祭り、ということだが、同時に、貯蔵されていた古い作物を処分する機会でもあるとのことなので、俺も遠慮なく貢献させていただいた。

 ただ、最終日は少し様相が変わり、彼らは『ポエディナ』と呼んでいたが、一つの皿に、これでもか、と肉料理(と申し訳程度の付け合わせ)を盛った料理が振る舞われて、いよいよ祭りといった高揚感を体験することとなった。

 まあ、その代償として、四日の滞在のうち、最後の一日は、祭りの終わった街で胃の回復に努めることになったのだが。


 そんなわけで、肉料理からしばらく遠ざかりたい俺と、聖獣化して食わずとも良いはずなのに肉をたらふく食べてご満悦なカイは、ルブヤナのずっと東にあるという、南北を流れる大きな河、そのほとりにある中で一番大きいという街『ブーダ』を目指して“走って”いる。

 魚料理が恋しいことは否定しないが、それが主目的ではない。ルブヤナで聞いた話によれば、その河『サクレ・ダヌビゥ・サムニス』、通称『ダヌビゥス』は、『サクレ』が示すとおり、河自体が聖域なのだという。ゆえに、魔獣や魔魚の危険は極めて稀で、安全であるがために、海運ならぬ河運が活発となっているそうだ。

 人や物の動きがあるのなら、得られる情報は多くなるだろうし、それが一番集まるのは大きな街だろう――ということで、ブーダを目指しているわけである。まあ、どうせ東に向かうならその河にぶつかるようだし、それならば、という感じだ。一番大きな道を辿ればそこに着く、という分かりやすさも理由としてはあるが。

 ただ、大きな街、といっても、この世界では人が集まるほど魔獣を引き寄せやすくなるというのだから、今までで一番大きかったルーメンを越える規模なのかは分からない。結果的にルーメン北の遺跡は聖域だったわけだが、その聖域の存在がルーメンの規模が広がった要因の一つであるなら、大規模な聖域であるだろうダヌビゥスのほとりのブーダは相応に大規模である可能性はある。だが、人が集まることで魔獣を引き寄せる力が、もし人数に比例してより強くなる性質があるのなら、極端な規模にはなっていないのだろう。ならば、そのブーダの規模が、魔獣に対する聖域の排斥力と人数の誘引力、その力関係を測るバロメータたり得るのではないか。そんな好奇心もまた、ブーダへ向かう動機の一つであったりもする。

 その道のりは今のところ順調だ。大きな道、というだけあって、その幅はルーメンから北上したときに辿った道よりも大きい。途中の分かれ道はその半分以下の幅しかないから迷うこともない。そして、まだ十一月が中旬に差し掛かろうかという時期(ルーメンからの日数は正確に数えていないが、ルブヤナで聞いた日付はほぼ差は無いはずだ)だが、これだけ大きな道にも関わらず、全くといっていいほど人通りがない。ルブヤナでは、祭りが終われば冬支度、という話を聞いたが、それはルブヤナに限ったことではないのだろうから、それぞれ既に腰を落ち着けているのか、あるいは本格的な準備に入る前の“凪”なのか。

 まあ、理由はどうあれ、人通りがない、つまりは、人目が無い、ということで、今まで躊躇していたエア・キックボードの実用にいよいよ踏み切った。“走って”いる、とはそういうわけだ。

 ルーメンでのテストは、人目を避けながら最低限のものだったので、実際に使うとなったら問題点も出てくるのではないか、という不安もあったが、今のところは杞憂で済んでいる。接地するローラがない分、摩擦によるロスがないのか、そこそこスピードが出るし、地面を蹴る回数も少なくて済む。まあ、魔法はイメージが重要だということは、魔素溜まりでの件でより実感したし、俺が物理法則にそこまで詳しいわけではないことが良い方に出ていたりするのかも知れない。

 また、俺のスピードが上がったことでカイも走ることになっているが、走り回れることをむしろ喜んでいるようなのでWin-Winだ。とはいえ、カイにとってこの程度ではまだ全力には度遠いようだが。

 しかし、好事魔多し、とも言う。順調だからこそ気を引き締めねばなるまい――そんな思いで、宿や脇道から見える村落に早めに腰を落ち着けていたのだが、結局、徒歩なら一週間から十日ほどかかると聞いた道のりを、俺たちは四日で無事に走破したのだった。


 黄、緑、橙。自然が織りなす、まだらなモザイク模様。梢は風に揺れ、その隙間から陽光を煌めかせる。そこはまるで、天然のステンドグラスに囲まれているようで――なんて。そんな風情ある林道を抜けると、開けた視界の先、緩くカーブして続く道の向こうに、左右に伸びる石壁が見えた。

 近づけば、壁の高さは三メートルもあるかどうかといったところだが、それが右も左も視界の内では途切れず続いているのだから、ここがこの壁を維持できるだけの国力ならぬ街力(ここまでの旅路で国家という枠組みはやはり見受けられない)があるのか、あるいは壁を破壊されないほど魔獣の脅威から遠いのか。ただ、壁の手前側にはこれまで見てきたように槍壁が設置されている以上、魔獣の危険が無いわけではないのだろう。

 歩いて門に近づくと、壁の上に設置された柱と屋根だけの四阿のようなところで腰を落ち着けていた人たちがこちらに気付き、壁の向こうへ消えた。ここの門衛さんだろうか。いつもあそこで見張っているのなら、雨の日は大変そうだ、なんて思ったが、よく見れば、柱の所に蛇腹状にまとめられているものが見えた。おそらくあれを広げれば壁のようになるのだろう。

「ようこそ、ブーダへ」

 ルブヤナでプレゼントされた赤いスカーフを首に巻き、俺の横ですまし顔。カイがそんな様子なら、門衛達もさほど警戒する様子はなく、普通に出迎えてくれた。

 だが、カイが一言「ありがとう」と吠えてみせれば、やはり、それには驚かずにいられないようだ。

「聖獣を従えるあなたは、どんな人間なんだ?」

 だが、疑問を口にしたその声音には、俺に対する敬意のような感じがあって、そんな風に俺まで大層な人物のように言われるのは初めての経験だった。今までは、カイへの敬意はあっても、カイと一緒にいる俺には、珍しさから来る興味を向けられていたくらいじゃないだろうか。

「俺は、この狼が怪我をしているところを助けただけだ。それを恩に着て、俺を助けてくれている」

 と俺が応えれば、そういう聖獣もいるのか、と門衛が呟く。そこで俺は一つ思い至った。

「ブーダ……いや、ダヌビゥスにも聖獣がいるのか?」

「ん? 知らなかったのか? 川の中には聖獣が住んでいる。『リュウ』と呼ばれる聖獣だ。ただし、人の前に姿を現すことは稀だが」

 そう、『遺跡』ではなく『聖域』と呼ばれるのなら、当然、聖獣が居る、ということだ。聖獣がより身近な彼らからしたら、聖獣という存在の物珍しさよりも、それを従えている(ように見える)俺に対して、先ほどのような態度になるのだろう。

 しかし――

「リュウ、とは、どんな由来なんだ?」

 聖獣、に加えて、リュウ、と聞けば、『竜』ないしは『龍』を想像するのは、俺でなくとも日本人なら普通だろう。そうなればやはり、どうしたって気にはなる。まさか本当に竜が住むわけでもあるまい、とも言い切れないのが、この不思議世界であるわけだし。

 ちなみに、『ドラコ(元の世界で言う『ドラゴン』。魔法学校の学生でもなければ、美少女ドラゴン娘でもない)』は、北の『死の大地』には住まうとされるが、こちらの世界でも空想上の生き物と(大人には)認識されているのが一般的のようだ。俺も絵本で見ただけだが、トカゲの王様といった風情の、いかにも西洋的なドラゴンだった。

 ともあれ、『ドラコ』ではなく『リュウ』なのだから、俺が想像したのとは全く別の理由があったりするのでは、なんて思ったりもしたのだが。

「旧文明時代、遙か東の地に生息していたと伝わる、大いなる存在の名前だ」

 ……それって東洋竜じゃないんですかね、やっぱ。……なんて思わずにはいられない。

「それは、種類を指す名前なのか? それとも、ここに現れる個体だけの名前なのか?」

「長大なダヌビゥスに住まう聖獣は一体だけではない、という話もある。一度に複数の聖獣を見た、という話は聞かないが。ならば、個ではなく種族としての名前になるのだろう」

「……なるほど、分かった、ありがとう」

 結局、実物を見てみないことには分からない、というか、俺が納得できない、ということが分かった。たとえ、確証がある、と前置きされた話でも、伝聞では、それが俺の想像しているものと同一であるかの確認にはならないのだし。

 なので、その後、門衛たちには外からの人間が宿にできる場所や食事のとれる場所を聞いて、おいとました。

「……まあ、現れるのは稀だって言ってたし、確認はできないのかなぁ……」

 門から延びる広い石畳の道を歩きながら、そう呟く俺の心中は、竜なんて幻想生物まで実在していて欲しくないような気持ちと、いるのであれば見てみたいという好奇心の板挟みだ。

「呼びますか?」

 俺の様子が残念そうにでも見えたのか、カイがそんなことを言い出す。

「えっ……呼べるの?」

「たぶん?」

 カイ自身は確信があるわけではないようだが、なんとなく、できちゃうんだろうな~、なんて思っている俺がいる。

「とりあえず、保留で」

 ひとまず腹が膨れたら、俺の心境も変わるかも知れない――そんなことをぼんやりと思いながら、大きな街とはいえ、『都会』と呼ぶにはほど遠いのどかな風景の中を、のんびりと歩いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る