29.もふもふの吸引力
「ここから東、三叉路の真ん中をそのまま東に向かえばルブヤナに着く。今から向かえば、感謝祭に間に合うだろう」
そんな言葉と共にケナンたちに見送られ、ポロフという村を発ったのは昨日のこと。少し上り勾配のある道が続いたので、無理せず途中で見つけた宿で休み、その翌日だ。
そこから歩くと、太陽が天辺まで昇りきらないうちに、坂の下に大きめの街の姿を見下ろした。ただ、ここから見た限りでは特段賑わっている様子は窺えない。祭りには間に合わなかったのか、あるいは、まだルブヤナではないのか。
だが、そんな推測はどちらも間違いだった。
「本格的な集まりは中央の方でやっている最中だ。だから外周はさみしいもんさ。……俺たち? 俺たちは明日も楽しめるから問題無い。あなたもよく楽しんでくれ」
門の前でひっそり佇む門衛たちに聞けば、そんな答えが返ってきた。大きめの街では周囲の村からの人出もあるため、食材などの消化量にもよるが、一週間から十日ほどは祭りは続き、今はまだその中日くらいだという。その割にここまでの道のりで人を見なかったが、人が動くのは主に祭りの前後で、最中は出入りが極端に減るのだと、そんなことを教えてくれた。
「ありがとう」
俺に続いてそう言ったカイに驚く門衛たちに別れを告げて、俺たちはルブヤナに踏み入った。
物珍しげに周囲に目を配りながら大通りを歩く俺は、外から来た人間だとすぐに判るのだろう。たまに出会う人たちみんな、あちらの方が賑わっているよ、とか、あなたも楽しんでいってくれ、という声を掛けてくれる。彼らは彼らで気心知れた同士で集まって祭りを楽しんでいるようだ。
そんな調子で導かれるままに、体感で一時間弱も歩けば、収穫の終わった畑の向こうに、さらなる人の賑わいが見えてきた。
広場のあちらこちらで人が集まり、飲み食いしながら談笑している。当たり前ではあるのだが、祭り、といっても、祭り囃子が響き、神輿を担いで練り歩く、なんて日本の祭りのイメージとは全く違う。非日常、ではあるのだろうが、そこにあるのは高揚感というより、まったりとした雰囲気の方が強いように感じられる。ただ、そこに人々の笑顔がある、という点は、共通点と言えるかも知れない。
思えば、ルーメンでも去年の秋、収穫などが一段落した頃にこういった雰囲気だった記憶がある。あれも感謝祭のようなものだったのだろうか。俺の送別会という名目の騒ぎの時はもっと高揚した雰囲気だったので、それと比べると、あまり祭りという感じは無いが。
広場の方から、ふわり、と、肉の焼ける匂いが届いた。思わず引き寄せられるようにそちらへ足を踏み出そうとしたとき、今度は別の方から、わあっ、という歓声が耳に届いた。
今の俺から見て、広場のある右手側とは反対側、そちらに高い壁がある。声はそちらの方から聞こえてきた。好奇心からそちらへ近づいて、見える角度が変わると、その壁だと思っていたものは、階段状の座席であると知れた。
半分ほどが人で埋まった座席の前にはフィールドが広がり、そこでは二色の服で分かれた人たちが忙しく走り回っている。その人たちが追いかけているのは、一つのボール。あれは、ルーメンでは『ピコルチョ』と呼ばれていた、言ってしまえば、サッカーのようなスポーツ、それと似た、あるいは同じ競技のようだ。
サッカーのよう、といっても、ボールを足でしか扱えない、という点で俺がそう思っただけで、実際はだいぶ違う。フィールドはサッカーよりも小さいし、参加人数は両チームお互い同数だが、5~8人程度と厳密には決まっていない。ゴールは小さく、その手前に人が入ってはいけないエリアがあるので、キーパもいない。精密な時計が無いために厳密な試合時間は無いが、開始前にお互い申し合わせて、砂時計などを使って計ったり、一定の点差が付いたら決着としたりする。他に、選手交代はいつでも何度でも行える、スローインではなくキックイン、そんなところなんかを見れば、サッカーというよりはフットサルの方がずっと近いだろう。
ちなみに、他のスポーツにも言えることだが、審判はいない。なぜなら、反則自体がまず行われないからだ。俺がこの世界のスポーツを見て、一番驚いたのはそこだった。たとえ故意でないファウルがあっても、それをごまかそうとする人間がいないのだから、審判がいなくても問題が無い。もちろん、この世界ではスポーツが仕事になることは(今まで見てきた中では)無く、あくまでも健康活動としてのスポーツである、ということもその理由としてはあるのだろう。だが、それでも、だ。元の世界では、遊びの中でさえ“ずる”をしようとする人間だっていたのだから、モラルの有る無し以前に、もっと人間性の根本的な部分からして違うのでは、なんて思うのも仕方ないだろう。
「あなたはどこの人? モルビが珍しいの?」
端の方の空席に腰掛けてしばらく見ていると、近くの女性にそんな声を掛けられた。
「モルビ?」
聞けば、目の前で行われているスポーツが『モルビ』だという。簡単にルールを聞いてみれば、やはりピコルチョとほとんど変わらない。
「ピコルチョ? ……ルーメン? ってところではそう呼ぶのね、知らなかった」
人の動きがあるとはいえ、皆が皆、他の土地に詳しいわけではない。元の世界のようにネットで手軽に調べられる環境があるわけではないのだから、なおさらそうなのだろう。そんな当たり前のことを改めて認識しつつ、俺も遠くまで来たものだ、と感慨に耽る。
女性はサニャと名乗り、この街で牛や羊の世話をしているのだと教えてくれた。そして、ふいに言葉をつまらせた彼女は、そこで改めて意を決したように口を開く。
「……あの、あなたに聞きたいこと……いえ、お願いがあるのだけれど……」
そんな風に言われて、俺は思わず緊張する。別に、色っぽい話を期待してるわけではない。むしろ、そういう話なら困るから、身構えてしまう。
「……その子のこと、撫でても良いかしら?」
……なるほどね。
サニャは言って、カイの方をチラチラと見る。どうやら彼女が俺に声を掛けた真の狙いは、最初からそこにあったらしい。さもありなん。
「……だってさ。どうだ?」
「良いですよ!」
そんなやりとりをしてみせれば、サニャは、目を見開いて硬直した。全身が固まったまま、視線だけが器用に俺とカイの間を行き来する。
「……聖獣?」
ようやく絞り出した、といった様子のその言葉に頷いてみせると、彼女はようやくその全身の緊張を解いた。……何というか、門衛もそうだったが、リアクションが大げさというか、欧米的というか。まあそれも俺の先入観でしかないのかも知れないが、そう感じることも含めて、面白いものだなぁ、なんて、のんきに思う。
背中を差し出して見せたカイに、恐る恐るという様子で手を伸ばしたサニャだったが、その手触りに、表情はあっという間に蕩けた。やはり、もふもふは不滅の正義だな?
そうこうしているうちに、試合の方は終わりを告げたらしい。
それまでとは違う周囲の様子に気付き、顔を上げると、ちょうど選手たちへの拍手が送られるところだった。
俺も慌てて拍手を送ってから、席を立つ人の邪魔にならないようにしないと、と思いつつ周囲を見れば、こちらをじっと見るお子様と目が合った。
お子様は俺と目が合うと、その視線をカイの方、もっと正確に言うと、飽きずにカイの毛並みを堪能するサニャの方へと移した。
そこに、言葉は無い。だが、その目は言っている。
「いいな~」
と。
「……君も、撫でてみる?」
俺がそう言うと、ものっそい勢いで頷いた。……どうやら、この辺りでは日本同様、頷きは肯定を示すようだ。
快く譲ったサニャに替わって、その子の手がもふもふに埋まると、お子様の顔は、パァッ! とほころんだ。エクスクラメイション・マークをもう一つか二つ追加してもいいくらい、見事にだ。
そして、その笑顔は周囲の人を惹きつけ、さらに、カイが聖獣だと知れると、先ほどモルビをプレイしていた選手たちまで集まってくるほどの騒ぎとなった。
まんざらでもない表情でいろいろな人に撫でられていくカイの側で、俺はひとり、腹が減った、と、孤独な思いを噛みしめるのだった。
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