28.遠きにありておもふこと

 カイが正式に同道することになった翌日。太陽が天辺を少し過ぎた頃、小さめの村落に行き当たった。

 簡素な槍壁の向こうに、柵と柵の合間に開いた入り口と、その側に立つ門衛が見える。

 俺が視界にそれを確認したということは、あちらもこちらを視認したということなのだろう、間もなく、門衛たちが慌ただしく動き出した。

「あっ……」

 その反応を見て、ようやく俺は、狼を引き連れていることが他人にどう映るか、ということに考えが至った。ましてやカイは、聖獣化したことでやはり一回り大きくなっていた(隠れるように付いてきたカイを見つけたときに大きく感じたのは目の錯覚ではなかった)ので、知らない人から見れば余計に恐ろしく映るだろう。

「警戒されちゃうかな……」

「くぅーん……」

 俺の心配にうなだれるカイを撫でてやりながら、丁寧に説明して分かってもらうしかないな、なんて思っていたのだが――。


「あなたに危険がなくて良かった」

 俺の隣でそう言って笑うのは、仲間と共に武器を持って飛び出してきてくれた門衛で、ケナンと名乗った男だ。

 なんでも、俺の少し後ろを歩いていたカイが、俺を襲おうとしているのだと勘違いして、慌てて仲間に声を掛けて飛び出してきてくれたのだという。もう何度目の確認になるか分からないが、こちらの世界の人達の優しさは狭い地域限定のことではないようだ。

「しかし……聖獣とは。それは考えもしなかった」

 この世界でも、愛玩動物を飼うということは多くはないが行われている。犬や猫といった王道はもちろん、ハムスタやリスのような小動物、小柄な鳥類などがその対象になるほか、元の世界でもそうであったように、爬虫類などを愛好する人も存在するようだ。とはいえ、さすがに狼を連れているのは珍しいため、初見でペットだとは思わなかったのだろう。ついでに言えば、聖獣を引き連れている人間なんてものは、彼らも今まで見たことはおろか、聞いたこともないという。

 ちなみにだが、ペットになるような動物が魔獣化したものというのは前例がまず無いらしい。だがこれも、グランの言葉が事実なら理解もできる。愛玩動物の仕事はその名の通り人から愛されることだ。そんな存在が人から恐怖を向けられることは、ずっとずっと少ないはずだろうから。

「着いたぞ、ここだ。私が話をしてくるから、待っていてくれ」

 案内された先にあったのは、キャンプ場にあるコテージのような建物で、ここに来るまでに見た一般住宅より少しだけ豪華な印象を受ける建物だった。――ちなみに、道の途上にあった宿も含め、ルーメンの方では石材やレンガの方が多かった建材は、こちらの方に来るにつれ木材が目立ってきた。当たり前のことだが、場所が変われば文化も違ってくるのだろう。使っている言葉は、固有名詞やちょっとしたイントネーションの違い(訛り?)を除けば、ほとんど変わらないのだが。

 そのコテージの庭先というか、ちょっとした広場にはタープが張られていて、その下にテーブルや椅子が並んでいる。そして何より、この辺りに漂う、腹を直撃する……十中八九ソーセージのものであろう香しい匂い。そう、ここは、この村の食事処だ。

 ここに辿り着いて間もなく、誤解はすぐに解けたものの、カイが聖獣だと分かると、それに興味を持った人達に囲まれたのだが、「この時間に外から来たのだから、腹が減っているだろう」とその場を取りなし、ここまでの案内も引き受けてくれたのが、ケナンだった。

 今は昼飯時には少し遅いのか、並んだテーブルには一組の男女がいるだけ。その二人もどうやら食後の一服といった様子だったが、やはり狼は気になるのだろう、こちらをチラチラと見ていた。こちらとしては怖がらせるのも忍びないので、俺はカイを撫でてやり、危険がないことを示す。するとその意図はちゃんと伝わったのか、二人はまた会話に戻っていった。

「今日のメニューをすぐに用意できるそうだ」

 さほど待たないうちに、ケナンが戻ってきた。

「ありがとう、助かったよ」

「いや、こちらこそ頼み事を引き受けて貰ったんだ、このくらい小さな事だ」

 彼からの頼み事、というのは、カイをこの村の希望者に見せてやって欲しい、ということだった。これにはカイ自身が「恩人のお役に立つのです!」と謎に意気込んでいたので、俺が断ることでもないと承諾した次第だ。

「また、後で」

 そう言って別れたケナンは、まずすぐ側の二人組の所へ行って言葉を交わしている。カイのことを説明してくれているのだろう。

 そんな様子を、椅子に座って見るともなしに見ていると、先ほどケナンが言ったとおり、すぐに食事が運ばれてきた。


 目の前に並べられたのは、三品+赤ワイン。ゴブレットになみなみと注がれた赤ワインに、昼間から飲むには多くないか? と聞いてみたが、「外から来てくれた客に酒を振る舞わないなんて失礼だろう?」と、何がおかしいんだい? 的なノリで応えられたので、ここではそういうものなのか、と受け容れた。この世界では相手の厚意に遠慮をする方が失礼だと学んだからね、しょうがないね。

 ともあれ。やはり、一番に目がいくのは、先ほどからその香りで俺のストマックをボディブロウの如く攻め続ける、ソーセージだろう。切れ込みの入った大ぶりのそれは、添えられた野菜と共に、焼き色鮮やかに皿の上で湯気を上げている。

 いただきます、もおざなりに、早速フォークを突き立てる。プチッとした手応え、そしてじわり滲み出す肉汁。こんなんもう、目で美味い。そして口の中でパリッ、と噛み切れば、期待通りに美味い。そう、別に、期待以上に美味い必要はないのだ。期待通りに美味いということの、幸せよ。

 肉めく口内に赤ワインを含む。すると、ぶわっと、ワインの香りが肉々しさを上書きするように広がる。そこに、俺が赤ワインにイメージしていたような渋みやアルコールの刺々しさはなく、良い意味で面食らう。ルーメンでも普段飲みの若いワインとは違うものをいただいたことがあるが、口当たりはそれに近い。客に振る舞う、なんて言っていたが、わざわざ良いワインを注いでくれたのだろうか。おいしい、ということもさることながら、その心遣いが、胸に沁みる。

 感謝を胸に、今度はスープに向き直る。パッと見は、具だくさんのオニオンスープだろうか。ただ、口に含むと、まず感じたのは酸味だ。スープが酸っぱいというより、今口にしたキャベツの酸味だろう。あるいはこれはザワークラウトが具材として入っているのだろうか。ザワークラウトといえばドイツ料理というイメージがあるが、そういう意味ではソーセージもそうかも知れない。もしこの世界が地球だとしたらドイツはもっと西の方のはずだが、まあ、発酵キャベツなんてどこでも作れそうだし、そもそも地球のヨーロッパの食文化に詳しいわけではない俺が、その方面からこの世界を推測しようとしても憶測にしかならないだろう。とりあえず、初めての味わいだが、美味い、という事実だけはハッキリした。

 さて、最後の一品だが……なんだこれ? いや、もちろん、ナンではない。ぱっと見の印象で言うと、粉ものを雑に水でまとめて崩した感じ。色も灰色がかっていて、見た目ではさほどおいしそうには思えない。だが、その色の正体は口に含めばすぐに知れた。

(……そば!)

 もちろん、日本の麺料理としての『そば』とは全然違う味わいだ。だが、別の風味と混ざって届くこの香りには、共通するものがある。

 元の世界でも、ガレットのような蕎麦粉を使った料理というものはあったのだから、蕎麦は日本独特の素材というわけではない。が、やはりこの香りに郷愁の念を呼び起こされるのは俺だけではないはずだ。だいぶ慣れてしまったとはいえ、こんな訳の分からない状況、そんな中で思いがけず出会ってしまえば、なおさらだろう。

 胸の内に、悲しいような感情が生まれた。……だけどそれは、かつて自分が暮らした世界を想ってのことというよりも、その郷愁が自分の中で思っていたよりも“遠い”せいだ。

 もちろん、蕎麦の香りに感じたのは「あ、懐かしいな」なんて軽いものではない。もっと、それなりには切ない感覚だ。だけどその“切なさ”は、胸に迫るような、焦がれるような、そこまで強い衝動でもなかった。それはちょっとしたショックだったし、言い換えれば、ちょっとしかショックでなかった、そのことが、きっと、悲しい。

 それは多分、俺の内で燻り続ける“俺自身がもうかつての自分とは違ってしまっている”という感覚と無縁ではないのだろう。

 ただそれでも、帰れるものなら帰りたい、という気持ちも、俺の中に確かに存在している。

 ――きっと、生きている限り、こんな割り切れない想いばかり抱えるのが人間なのだろう、と思う。

 そして、そんな俺は、たとえ以前とは違ってしまったのだとしても、ちゃんと生きている、ちゃんとした人間だ、とも。

 だから。

 俺は、これからもちゃんと生きていくために、しっかりと目の前の食事を堪能するのだった。

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