27.相田カイ
「お前の名前を、俺が?」
日が落ちきる前に見つけた宿に腰を落ち着けて、間もなく。今、俺の目の前には、是非とも俺に名前を付けて欲しい、と言って、期待に満ちた目でこちらを見つめる狼がいる。俺の確認にも「ぜひ!」と即答し、全く引く気は無いようだ。
ちなみに、こいつが隠れてついてきていたのは、別に俺を驚かせようというわけでもなく、ただ恩を返すタイミングを見計らっていただけだという。俺が別に困った事態にならなかったため、隠れているようになってしまったようだ(そう言う割に、見つかったときの表情は……まあ、いいか)。
そんな狼だが、今は、舌を見せて、おすわり状態でこちらを見上げている。その姿は、狼というよりワンコっぽい印象がある。まあ、確か分類的には同じ枠組みだったと思うので、人に懐けばそうもなるのかも知れない。何にせよ、こう嬉しそうな様子を見ると、見つけてやれて良かったと思う。
ともあれだ。これから一緒に旅をするのなら呼び名が無いのは不便だし、何より本人……もとい、本狼が求めているのだから、名付けてやるに吝かではない。
さて、名前と言われて、まず最初に思いついたのは『ケンジロウ』だった。これは、昔飼っていたという犬の名前が『
しかしそれは、かつて家で犬を飼っていたと聞いた子供の頃の俺が「なんていう名前だったの?」と親に聞いたとき、この名前を聞かされて、子供心に「無いわ~」と思ったほどの名前だ。当然、速攻で却下した。……狼だけに『ケンジ“
それはともかく。これから長い付き合いになるかも知れないのだ、ちゃんと考えてやらねばなるまい。そう気持ちを切り替え、頭を捻りだした。
「カイ、というのはどうだ?」
狼の群れは、その序列によって、アルファ、ベータ……、と呼称し、最下位はオメガと呼ぶ、というのは見たか聞いたかしたことがある。まず思い浮かんだのはそれだった。なぜギリシャ文字なのかと疑問に思ったりもするが、まあ、(少なくとも元の世界では)狼がそんなことを自称するわけでも無し、誰か偉い人が勝手に決めたことなのだろう。
また、群れを構成する狼の数は十を大きく超えることは稀だとも聞いた記憶がある(こっちはちょっと曖昧だけど)。ゆえに、だ。聖獣化して、もはや群れとは無縁となったこの狼に、ギリシャ文字最後の方の『
――というのは後付けの理由で。
実際はギリシャ文字の中で雌の名前にできそうなものを選んだだけだ(ん? 空から降ってくるヒロイン? ちょっと何言ってるか分からないですね)。
あるいは『カイ』と聞いて、男性的な名前という印象を受ける人もいるかも知れない(超有名ロボアニメの皮肉屋とか、某格ゲーのライバルキャラとか)。だが俺は、『カイ』と聞いてまず思い浮かぶのが、とある“塔を攻略していくゲーム”のヒロインだったりする。なので雌の名前として不適ということもないだろう。
ただ、そもそも、この狼は聖獣化して(グランの言を信じれば)性別を超越してしまったわけで、どちらの性別のイメージもある名前というのは、案外悪くないのでは、なんて思ったりもする。
――そんな感じに、思いつきから考えを広げてそれっぽい根拠も生まれたし、俺にしては悪くないどころか、なかなか良いアイディアだとすら思えるのだが……? などと思いつつ、そんな説明を伝えた肝心の当狼の反応を見ると……。
「なるほど……、ありがとうございます!」
そう嬉しそうにひと吠えすると同時、俺の目には、目の前の狼が一瞬、パァッと光ったように映った。
「えっ……?」
目の錯覚かとよくよく見れば、なんとなく、先ほどまでより毛艶が良いような気がする。洞窟で見たときは灰色系の毛色と見えていたものが、今じっくり見るとプラチナブロンドに輝いている――ような気がする。それは、ただ光の加減の問題なのか、はたまた先ほど『清潔()』をかけてやったせいなのか、それとも今、名前を付けたことで何らかの変化があったのか。
「えっと……、何か変わった?」
「名前をいただきました!」
「うん、だから、それによって君の身体に変化とかない?」
「……どうやら、格が上がりました!」
「かく……うん、格、ね……」
そう言われると、先ほどまでよりも、何というか……上手く言えないが“存在感”みたいなものが、強くなっている気がする。思えば、グランに名前を付けてやったときも、名付け後の方が“ありがたみ”的なものが増していたような気もする。どっちも気のせいかも知れない、と思うくらい、根拠のない感覚なのだが。
「なあ、聖獣にとって、名付けって、どんな意味があるんだ?」
その辺り、グランにははぐらかされた感じで、もしかしたら“言えない”ことなのかと聞くのを遠慮したが、カイに遠慮するのもなんだし、とりあえず聞いてみる。が――。
「わかりません!」
わからんのかーい。
「……まあ、悪いことではないんだな?」
「嬉しいです、恩人!」
「いや、感情的なことを聞いたわけではないんだが……。まあ、気に入ってくれたなら、何よりだよ」
言って、はたと思い至る。カイはさっきから俺を「恩人」と呼ぶが、俺は自分の名前をまだ名乗っていなかったと。
「今更だが、俺は、相田修。ソウダが苗字で、オサムが名前だ。名前は……お前が付けてくれっていうくらいだから解ってるんだろうが、苗字って概念は解るか?」
「……今、解りました! 家族が共有する呼称、つまり私は『相田カイ』になるのですね、恩人!」
いや、解ってないだろ、と言いかけて、だが、まんざらでもないと感じている自分に気付く。
改めて考えてみれば、カイの「恩人」という呼び方は、俺がそういう言葉として認識しているというだけで、カイがその言葉を選んで使っているわけではないはずだ。つまり、そこにごまかしのようなものはなく、それが、それこそが、カイの純粋な想いなのだろう。
「……お前は、自分の苗字じゃなくていいのか?」
「恩人と一緒が良いです!」
カイは、俺のしたことをそれだけ恩に着て、俺と苗字を共有する、つまりは家族となることすら望んでくれている。そう、純粋に。
あるいは――こうして
だけど、こうも好意を向けてくれる相手を、今更邪険に扱えるほど、俺は薄情な人間ではないらしい。
「……解ったよ、今日からお前は、相田カイ、だ。よろしくな、カイ」
「ありがとうございます、恩人!」
そう言ったカイの身体が、また少し光ったような気がした。
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