26.大恩ゆえ報ず

 頬を何かに撫でられる感触。

(ああ……また子狼らか……。さすがに三度目ともなれば……ん?)

 完全な覚醒には至らない意識の中、ぼんやりと思う。だが、微睡みに引っ張られていた意識が、違和感を感じた。

 その正体を確認すべく、重たい瞼を開くと――。

「……うおっ!」

 目の前にあったのは、子狼たちの姿ではなかった。

「……なんだ、お前か。もう動いて平気なのか……?」

 慌てて飛び起きた俺にも動じずにこちらを見据える母狼に尋ねると「ウォン!」と威勢の良い返事。その後ろでは子狼たちがじゃれ合っている。お前らったら朝っぱらから……かわいいな?

「……しかし……やっぱ、言葉を理解してるよなぁ……」

 別に、それ自体はもう、そういうものだと受け容れているのだが、なまじ意思が伝わっていると思うと、これから別れを告げなければいけないことに、ちょっと寂しさを感じる。……まあ、それは俺の感傷で、こいつらは俺がいなくなってもなんとも思わないのかも知れないが。

 そんなことを思ってちょっとだけ切なくなりつつ、期待のこもった眼差しでこちらを見つめる狼たちに昨日の魔兎肉の残りを出してやった。


「じゃあな。ここはお前らが自由に使って良いけど、人は襲うなよ。あと、危険だと思ったらここを捨てて他のところへすぐに逃げろよ」

 やはり俺が旅立とうとしていることを理解しているのだろう、わざわざ洞窟の入り口まで付いてきた狼たちに声を掛ける。

 狼たちは黙って俺の言葉を聞いているが、その顔がしゅん、としているように見えるのは、そうであってほしいという俺の心の投影だろうか。

 そんな彼らを肩越しに見ながら洞窟から離れる。母狼はまるで俺を見送るように、その場でじっとこちらを見たまま佇み、子狼たちはそんな母狼を両脇から見上げていた。


 ――そして。体感で三十分ほども歩かないうちに『宿』と思われる建物を見つけ、肩を落とした。が、すぐに、雨に降られたおかげで得たものを思い、むしろ幸運だったのだ、と思い直す。

 まるでそれを肯定するように、遠くの空から遠吠えが一つ、俺の耳に届いた。


 今日の途上、昼前に見つけた宿はスルーして道を歩き続け、そろそろ日が傾いてきた。確実性を取るべきだったか、という考えがよぎる。今日であの洞窟を発ってから四日が経つ。ここまでは順調だったので油断があったか、なんて思ったところで、今更戻るわけにもいかない。

 あれから行き当たった村落は一つだけ。その先の道行きで宿を見つけられる機会は増えているので寝るには困らないが、食糧は不安になる。村人の助言に従って多めに貰っていなかったら危なかったかも知れない。こちらの世界に来たばかりの頃のように下手な遠慮なんかしていたらどうなっていたか。ともあれ、そういう意味でも、前へ進み続けるしかない。

 ウジーニからこっち、ほとんど人や馬車と行き合うことはなく、あったとしても片手で数えられる数を超えない。道があるということは使う人がいるはずだが、あるいは単純に時期の問題なのだろうか。

 ルーメンでは麦の収穫が夏場にあった。おそらく、他の場所でもそう大きくは違わないだろう。それが加工されて運ばれるのが晩夏から初秋と考えれば、俺がルーメンを発った頃には道でそれなりに人と出くわしたことにも説明が付く。

 とはいえ、ここまで、どこも主食が小麦粉ベースということは、広く栽培されてもいるだろうから、動くのは違う作物かも知れない。地域の特色的な作物が動くとして、旬はまちまちだろうから、この辺りには今の時期それが無いだけだろうか。あるいは単純に、この辺りの道はあまり利用されていないだけかも知れない。トキヤやエラッサといった遠方の地名(街名?)を聞けたということは、交流はあるはずなのだが。

 なんにせよ、こうも人がいなければエア・キックボードの利用も頭に過ぎるのだが、ヴェルアで見た出来事を思えば、魔道具が魔獣を引き寄せないかという不安もある。まあ、身につけているものが既に魔道具なので、今更の不安ではあるのだが……。


 ――ガサガサッ!


 歩くばかりの無聊につい思索に耽ってしまっていた俺の耳に、何かが草をかき分けるような音が届いた。

(まさか、今さっき考えたことが、フラグなんてことはないだろうな……)

 この辺りの道の周りは草原になっているが、その丈は膝下から胸元までとムラがある。この前の魔兎程度なら、いくらでも隠れようがあるだろう。

 道の真ん中に立ち、少しでも多く視界を確保する。

 そのままじっと耳を澄ませるが、静かな風にさわさわと、草の擦れ合う音らしきものが聞こえるくらい。先ほどのような音は、聞こえてこない。

(……俺が感じないくらい遠くで突風でも吹いたのか……?)

 それにしては近いところで音がしたように思えるが、目に見える範囲では変化がない。

 さらに待ってみるが、変化はなく、このままでは埒が明かなそうだ。時間的にも、日が落ちる前に村落なり宿なりを見つけたい。

 仕方なく歩き出す。耳に届くのは、革のブーツが土の地面を叩く音、そして草の擦れる音ばかり。虫や鳥の声すら聞こえない。

 ――気のせいだったのだろうか? そう思い始めた頃、ガササッ……、と、先ほどより小さな音が、だが確かに聞こえた。

 音が小さくなった、ということは、先ほど俺が音で気付いたことを理解し、音を潜めることができるだけの知性を持った存在が想像される。魔獣だろうか? 俺の考え過ぎなら良いのだが。

 歩く速度は変えずに、少し時間をおいてから急に振り返る。そのまま様子を見るが、動きはない。そんなことを二度、三度と繰り返したが、変化はない。俺を襲うつもりはないのか、機会を窺っているのか。

 そうしているうち、道の周りの草花が低く、疎らになってきた。ということは、宿が近いのかも知れない。なぜなら、宿には立派な寝具などはなく、麻袋のようなものに草や藁を詰めて、クッション代わりにする。そして、その草は周辺から調達する、ゆえに、草が少ないのは宿の近くでは、というわけだ。

 隠れている存在が俺を襲うつもりなら、隠れる場所が無くなる前、つまりはそろそろだろう。

 これを最後と決めて、振り返る。……が、やはり目に見える変化はない。

「……何だ、気のせいか。宿も近そうだし、あまり気にしすぎてもしょうがないな」

 口に出して言って、のんびり前に向き直り、ゆっくり歩き出す――と見せかけて!

 バッ! と素早く振り返る。

 ――目が合う。

 草場から頭を覗かせたそれは……オオカミだ!

 その目は、鋭く俺の喉元を狙い澄まし――なんてこともなく、「あっ、見つかっちゃった」とでも言わんばかりに見開かれている。

「……お前、この前の……?」

 もう隠れる必要もない、といった感じで普通に近づいてきた狼をよくよく見れば、その、警戒心もなくこちらを見つめる表情は、つい先日別れを告げたばかりの母狼に見える。

 ただ、近づいてくるその身体はついこの間よりも大きく見えて、違うかも知れない、と一瞬思う。だが、俺の正面、少し離れた位置で“おすわり”すると、その胸元に三本の傷跡がうっすら見えた。それに気付けば、やはりあの狼だと確信して、ふっと肩から力が抜けた。そこで初めて自分が強く緊張していたのを自覚した。

「お前、俺を追いかけてきたのか?」

「ウォン!(はい!)」

 …………ん?

「……えーっと、子供たちはどうした?」

「ウォンウォン! ウォン!(あの場所を守るというので、任せてきました!)」

 …………んん~?

「あー、ええっと……、もしかしてだけど……、君、今、喋ってる?」

「ウォン!(おかげさまで!)」

 …………おかげさま、かぁ……。それって、俺のおかげ、ってことだよなぁ……。つまり、俺のせい、ってことかぁ……。

「……もしかして、俺があげた魔獣の肉を食べたせいだったり?」

「いいえ。恩人があの場の『魔』を引っかき回した近くにいたからだと感じます」

 ……なんか、喋ってる、と認識してしまえば、もう普通に喋っているように聞こえてくる。グランの時のように、意識して聞けば鳴き声も聞こえるのだけれど。ホント、魔法に理屈なんて求めても仕方ないんだろうけど、どんな仕組みなんだろう?

 ――って、いや、それよりも、だ。

「それって、俺もなんか変化してたり……する?」

「いいえ。恩人は……そう、『台風の目』というやつです。むしろ恩人は一番『魔』の影響を受けていないのです」

 ちょっと、ホッとする。この世界に『魔獣』や『聖獣』に対応する意味での『魔人』とか『聖人』なんていうものが存在するのかは分からないが、とりあえず俺はそういったものになってはいないらしい。……まあ、魔素溜まりであれだけとんでもないことをできる時点で、もう俺は普通では無いのかも知れないが。

「……ってことは、あの子供たちも?」

「はい。あの子たちはあの場所に暮らし、護るためにと、あの姿のまま聖獣になりました」

 え? あの姿のまま生き続けるってこと? なにそれ、かわいいが過ぎるだろ。無限の正義かよ。

「……いや、でもそれは、あの子らにとっては良いこととは言えないか……」

「いいえ。あの子たちが自ら望んだことですから、とても良いことです。おかげで私たちは恩人の役に立てるのです」

 役に立つ、って……。

「お前は、そのために追いかけてきたのか?」

「そうなのです!」

 その尻尾は、めっっちゃ嬉しそうに振り回されている。心なしか、瞳も期待にキラキラと輝いているように見える。

 これは……無理だ、断れっこない。

「……じゃあ、一緒に行くか?」

「! アォーーーーン!!」

 その、高らかに響き渡る遠吠えは、俺の耳に言葉としては届かなかったけれど、そこに込められた歓びを言葉よりも雄弁に伝えていた。

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