20.魔魚

 堤防の先端で三人の男が海に向かって大声を張り上げている。その手前、堤防の中程では六名ほどが円陣に立って、おそらくは起こっている事への対策を話し合っているようだった。さらに手前には三十名には届かないだろう人達が海の方を見守っている。城壁めいた規模の堤防は、その程度の人数が集まっても手狭な印象は全くない。そんな光景を見ながら、俺もクレトと共に堤防の方へ降りる階段を下った。

 その海で起こっていることと言えば、俺がエビの匂いに釣られる前に気になっていた風変わりな船が、大きく蛇行しながらこちらへ向かっていた。やはり、何らかの魔道具によって航行しているようだ。

 ――次の瞬間。

 その船の後方で大きな水しぶきが上がったかと思うと、そこから船と大差ないサイズの“何か”が飛び上がる。

 “何か”――それは、俺の目がおかしくなければ、馬鹿げたサイズの“魚”だ。

 大魚は、船に向かってその大きな口を開きながら飛びかかっていく。空中に現れた魚の全身は、遠目にも刺々しく見えた。

 船は急旋回し、すんでの所でそれを回避した。巨大な魚が着水した衝撃で起きた波が船体を揺らすが、船は安定を失うことなく水面を走る。船の動きもなかなか機敏に見えた。魔道具でプロペラを回転させているのではなく、もっと魔法的な方法で航行しているのかも知れない。

 周囲の声を聞く限りでは、あの魚は『魔魚』のようだ。その鋭い背びれが海上に顔を出し、弧を描きながらこちらへ向かうも、そのまま弧を描いて反転していく。あくまでも目標はあの船のようだ。

 船はそれを見て、いったん沖の方へ進路を取るようだった。そのスピードは決して遅くないように見える。だが、魔魚の方が僅かながら速い。

 魔魚は船にじりじりと近づくと、その背びれを海中に消した。……そして、先ほどのように船に飛びかかり、船はなんとかそれを回避する。

 息をのんでそれを見守る俺たちの耳に、やや大きな声が届いた。堤防の中程での話し合いが紛糾しているのだろうか。聞こえてくる言葉から察するに、電撃の魔法での魔魚の足止めの提案に、漁に携わる人なのだろう人が、それは本当に最後の手段にしてくれ、と反対しているようだ。

 この世界では、電気で動く機械を見ることはなくとも、電気の概念や知識は、主に雷の知識の付随情報として教えられるようだ(少なくともルーメンではそうだった)。ゆえに、電撃の魔法とはおそらく、派手に落雷を起こすものだろう。ましてや、あれだけ巨大生魚をどうにかしようとなれば、その魔法を使う人間がイメージする雷の規模はより大きくなるはずだ。空中に飛び上がった魔魚にピンポイントでぶつけられるならともかく、それだけの電撃が水中に流れてしまえば他の魚への被害は免れないだろう。たとえ、電撃自体が魔法的性質のもので、生体がそれに抵抗したとしてもだ。それに、あれだけ必死に反対するのだから、そのようなことを過去に経験したことがあるのかも知れない。

 俺としても、先ほど素晴らしい美味を堪能したばかりとあって、せっかくの海鮮素材を無駄にして欲しくない思いが強い。自然、何かないか、と打開策を考え始めていた。

 先ほど話し合っていた人達の何人かは、代わる代わる、今は海に向かって何か、おそらくは呪文を唱えている。目に見える変化がないのは、水中で何かを起こしているのだろう。時折、魔魚の背びれが不自然に左右に振れるが、その進行を阻止するほどではない。

 そして、魔魚は再び背びれを海中に沈めた。

 思いついたことはある。迷っている暇はない。頭の中でそれを実現するためのアルゴリズムを構築していく。コードは厳密でなくとも魔法は発動する。より大切なのは、イメージだ。

 間もなく、水しぶきを上げて魔魚が飛び上がり、周囲からは悲鳴も上がる。

「『水刃(敵前,固定)』」

 悲鳴に紛れて俺が早口に呟くとほぼ同時、空中の魔魚は、その慣性によって、頭部の先端から“二枚におろされた”。

 着水の衝撃でその身体は左右に分かれ、血しぶきをまき散らす。

 周囲が一瞬静寂に支配される。だが、すぐに気を取り直した堤防の先端にいた人達が、船に向かって「急げ」と叫んだ。それに触発されたように周囲の人々もざわめき出す。

 ――どうやら、先ほどの現象が俺の仕業とは誰も気付いていないようだ。

 ホッと胸をなで下ろしたところで、海の“上”でキラリと日光の反射が見えた。

「おっと……『break』」

 急いでいたので終了条件をきちんと設定していなかった。while文なりuntil文なりで……その場合、判定条件はターゲットの生存や死亡だろうか。

 まあ、そんな反省点もあったが、魔法自体は上手くいった。やったことといえば簡単だ。

 ――液体を超高圧力で、細く鋭く、超高速で射出する。

 それだけだ。要は、ウォータ・ジェット・カッタというやつだ。とはいえ、俺はそれについての知識をしっかり持っているわけではないので、今回は“とにかく強い圧力”という漠然としたイメージで魔法を構成している。今回はそれが功を奏したようだ。

 ただ、魔法の性質上、水場でないと使えない。これからも使うなら、最初に、始点部分に水やそれに準ずる液体が存在するかどうかの判定条件も付け加えないといけないだろう。今回は始点を『敵前』にした上で『固定』することで設置型の罠のように運用したが、普通にターゲットに向けて射出・追従するだけでも良かったかも知れない。その方が終了条件も付けやすそうだ。ただ、あくまでも魔法は圧力を加える部分にして、水を物理的に射出することで魔魚も持つであろう魔法抵抗を回避した点は、咄嗟にしては好判断だ(『ウォシュレット()』のイメージがあったおかげだろう)。……やはり、こうして落ち着いて反省すると、もっと上手くやれた部分の方が多いと思える。思っていた以上に俺もテンパっていたのかも知れない。

 俺をそんな思索から引き戻す、生臭い血の臭いが、潮風に乗って届くのとほぼ時を同じくして、上空からパラパラと細かい水滴が降り注いできた。かなり上空まで海水を射出したらしい。ただ、射出した水量自体はそれほどでもなかったのか、あるいは風向きのせいか、それはすぐに止んで、不思議そうに空を見上げた人達もあまり気に留めていない様子だった。

 そして、周りからは「無事でよかった」というような声が聞こえてくる。魔魚に起こったことについてはさほど追求するような気配はない。魔法なんてものが当たり前に存在すれば、“不思議”に対して鈍感になるのだろうか。

 こんな騒動を起こした船とその乗組員を責めるような声はなく、とにかく彼らの無事を喜ぶところが、この世界の人達の“優しさ”を現しているように思う。ただ彼らからは「やはり魔道具に頼りすぎてはいけない」というような声も聞こえた。


 解散する人々の流れに紛れて歩きながら、考える。

 神話が語る『旧文明』への忌避感やそれに伴う技術や文明の発展への抵抗感というものは、やはりここにもあるようだ。

 以前、この世界の人の“優しさ”は、絶滅しかけた人類のトラウマのようなものから来ているのでは、なんて思いついたことがあったが、この世界の人が文明を進めることに対して消極的に見えるのも同じ理由だとしたら、合点がいく。

 例えば、動力として利用できる魔道具は、実際に粉を挽くのには普通に使用されていたりする。その動力を転用すれば、飛行機は無理にしても、船に限らず、自動車のようなものだって作れるはずだ。

 だが、そうはなっていない。『教書』の中には、そういった乗り物を示していると思われる記述があるにもかかわらず、だ。

 そんな俺の疑問に、かつてイザベラは「魔道具を利用する乗り物は魔獣を引き寄せるから」だと教えてくれた(それは今回、目の当たりにしたわけだが)。それは、原理や理由は解らないが、過去の経験知なのだという。

 それを聞いた時、俺は、魔獣がまるで人類の文明の発展を阻害するために存在している、そんな印象を持った。

 だが、後にグランはこう言った。

「魔獣は、人の恐怖に応える存在である」と。

 ならば、この世界の人々は、文明の進歩に消極的どころか、恐怖すら抱いているのではないか。魔獣ではなく、その、人々が無意識に抱える恐怖こそが、文明を発展させることを阻害しているのではないか、そう考えられる。

 そして、その恐怖心、忌避感の源となりうるのは、『教え』のような表層的な理屈ではない、もっと根源的なトラウマのようなものなのではないか、そう思えてしまうのだ。

 だが一方で、こうも思う。


 ――だけど、それは、“不幸”なのだろうか?


 この世界の人々は、人間同士で争うことは無い(少なくとも、ルーメンからここまでで一度も聞いたことが無い)。それは、直接ではないにしても『戦争』というものを知る身としては、とても、幸せなことに思える。

 ここだって、魔獣に脅かされて、平和とは言えない世界かも知れない。だけど、そんな中で、不便を抱えながらでも、人は助け合って生きている。

 この世界の文明が停滞を続けるのだとしても、それは、人同士が争うよりもずっと幸せな世界だと、俺には思えるのだ。


 階段を上りきって少し、人が疎らになったところで、クレトが俺に言った。

「ありがとう」

 何のことかと、クレトの顔を見れば、彼は唇に人差し指を立てて、ウインクを一つ。

 ――ああ、俺が何かをしたことも、俺が目立ちたくないことも、全てお見通し、というわけか。

 その上で、それを詮索したりもせず、俺の意をくんで黙っていてくれる、ということなのだろう。

「おっと、デザートがまだだったな。こいつも自慢なんだ。もちろん、食べてくれるだろう?」

 そして、何事もなかったかのように、普通に俺に接するクレト。

 ――俺はまだまだこの世界の人々の“優しさ”を見くびっていたのかも知れない。

 そんなことを思いながら、彼の厚意を素直に受けるべく、その背中を追った。

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