18.今日のエンチャント

 革の鞣しについて詳しい知識の無い俺は、化学薬品などが無いこの世界では結構な時間が掛かるんじゃないか、なんて漠然と思っていたのだが、鞣し作業はわずか二日で完了した。

 その理由は簡潔で、オメロ曰く「そのための魔法があるからな!」とのこと。そりゃそうだ、と、改めてこの世界を元の世界の常識で考えてはいけないと思い知った次第だ。

 ただ、その革を外套(といっても、フード付きのマントのようなものだ)に仕立ててもらうのには五日ほどの時間が必要だった。それでも、優先的に作業してくれたそうで、本来ならもっと時間が掛かるものらしい。「今は他に急ぐ仕事はないから」とは言ってくれたが、さらに、旅をするなら必要だろう、と、既製品のブーツを俺に合わせて手直ししてプレゼントまでしてくれたのだ。こちらに来てからというもの、折に触れて人の優しさというもの、そしてその温かさを思い知る。俺としては、それを当たり前にしてしまわず、都度感謝を忘れないようにしたいと思う。

 さて、そんなわけで三枚の毛皮が二着の外套に化けたわけだが、大事なのはここから、である。

 俺がこれからやろうとしていることは、ゲーム的な言い方をするなら、装備への『エンチャント』といったところだろうか。要は、この外套に魔法陣を描き、安全快適な使い心地にしてしまおう、というものだ。

 実のところ、俺が今着ている肌着や服にも魔法陣を使っている。肌着は『清潔』、服は『適温』だ。今まで使っていた外套には『運動方向反転』という、表面側に一定以上の強い力で加わった運動の“方向”、要はベクトルの“向き”だけを反転させる作用を付与している。つまり、内は快適、外は安全、というわけだ。

 もちろん、魔法現象に身体が直接触れれば効果が霧散してしまうため、肌着なんかでは常時発動させるわけではないから良いものの、『適温』なんかは一工夫が必要だ。これは“魔法で範囲内の適温を保つ”のではなく“魔法陣周囲の空気を適温化して送風する”ことによって、ヒトの抵抗力による魔法の無効化を回避している。つまり、魔法効果そのものに触れればアウトだが魔法効果によって変化したものに触れるのはセーフということだ。それで良いのかと思わないでもないが、現実としてそういうものなのだから、この辺りはあまり深く考えないようにしている。

 ――とはいえ、この特性は極めて重要なことだ。なぜなら、このような性質のおかげで俺の魔法関数『ウォシュレット()』は正しく機能しているからだ。

 この世界のトイレットペーパは、使う前によくよく揉みほぐさないと、何がとは言わないが“ピンチ”なのだ。『ウォシュレット()』がなければ、この旅だって三日ともたずに頓挫していたかも知れない(大げさに聞こえるだろうが、かなり真剣だ)。

 まあ実のところは、飲み水を確保するための魔道具が“水を生み出す”のではなく“大気中の水分を集めて液体化する”ことから着想を得ているので、俺が一から発想したものではないのだが、ともかくこういう、ゲーム的にいえば“仕様の穴を突く”ような感じ、こういった工夫で制限を上手く回避できると、ちょっと嬉しいのは確かだ。

 ともあれ、これだけあれば、新しく作る必要ある? とか、それ全部ひとつにまとめちゃえば? とか、思われるかも知れない。そこでまず知っておいてもらわないといけないのが、“魔道具に関する重要な発見”こと“魔道具素材に関する制限”だ。

 それは、文字通りの制限ではあるのだが、紙に書いた魔法陣で炎を起こしたら紙が燃えてしまう、というような意味での制限とは別の、魔道具素材の持つ魔法陣への適性や耐性、とでも言うべきものだ。それをゲーム的に喩えるなら、素材には適した属性やそれに応じたエンチャント許容量がある、という感じだろうか。

 以前少し触れた『エア・キックボード』の話で言えば、重力軽減と魔素効率を調べるために軽減する重力を大きくしていった(板に掛かる重力を小さくしていった)ところ、魔素効率が悪くなるばかりではなく、三十分の一を越えた辺りだっただろうか、突然魔法陣が起動しなくなってしまったのだ。必要な魔素が部屋の中では賄えないのかと外で試してみたりもしたが結局起動せず。さらに軽減量を増やして試したところ、起動させようとした途端に板が割れてしまうという事象が起こった。

 さらに実験を重ね、魔法陣による魔法起動は、素材に負荷、負担を与えるのか、素材の“許容量”を超える魔法は発動できない、という事実を発見、確信したのだった。

 素材の適性に関しても、丘の上で拾った石と川底から拾った石とでは明確な差が見られたので、おそらく見当違いの解釈ではないはずだ。

 ――と、まあ、そういった訳で、素材というのは重要なのだ。

 そして、もうひとつ。魔獣由来の素材、というものは、魔法陣との相性がとても良いらしいのだ。


 というわけで。

「てってけてけてけてってってー」

 さて始まりました、今日のエンチャント。今回魔法陣を焼き付けるのはこちら、『魔狼の外套』。つややかな表面、どっしりとした重厚感、しかも裏地には工夫がしてあって、その部分をめくれば、内側に魔法陣を加えることができ、またその“ふた”を戻せば直接肌が触れてしまうこともない親切設計。職人さんの技術と工夫が凝らされた、とても高級感を感じさせる逸品ですね。こちら、とても頑丈そうで、このまま使っても大きな問題は無いでしょう。ですが、さらに便利にするために、これから魔法陣でエンチャントしていきましょう。

 ……と、変なテンションに突入してしまったが、こういうちょっとした工作的なものは、いくら歳を重ねてもワクワクするものだ。やっぱこういうのって、男のコなんだよな。

 ――なんて、どれだけ心の中は賑やかでも、実際は、黙々と、淡々と、粛々と。地味に、地道に、作業を行うばかりなのだが。

 ともあれ、今回この外套に“焼き付け”するのは、これまでも着用するものに使っていた『適温』、『運動方向反転』に、『重力軽減(小)』と『耐劣化』を加えたものをひとまとめにしてしまおうと考えている。『清潔』は、汚れが気になった都度、魔法関数で掛けてやれば良いだろう。ちなみに、革の切れ端での実験で、これだけ追加しても余裕を持って付与できるだろうことは確認済みだ。

 重量に関しては、どっしりとした重厚感、なんて表現をしたが、俺の「頑丈に」というオーダをしっかり遂行してくれた結果だ。それでも「多少重くなってもいい」とも伝えていた割には、予想より全然軽量に仕上げてくれていて、このままでも普段使いはできるだろう。だが、魔獣なんてものが居るこの世界、身軽であるに越したことはない。なので、エンチャント容量に余裕もありそうだし、重力軽減も(小)で加えることにした次第だ。

 もう一方の『耐劣化』は、この立派な外套を使い潰してしまうのが惜しくて、エンチャントを施した時点での“存在”をできる限り維持するように、新しく作った。これはどうやら素材の質に必要な容量が比例するようなので、さほど上等ではない布なんかにも気軽に付与できそうだ。今後、衣類などが簡単に入手できる保証もないので、素材のキャパシティが許せば、保険として追加で書き込んでおいても良いかもしれない。まあ、問題は、その“容量”が厳密に数値化できるものではないため、手探りで見極める必要があることなのだが。

 ちなみに、“焼き付け”だが、わざわざ焼きごてのようなものを作る必要は無く、魔法関数『魔法陣焼き付け(魔法陣名)』を使う。引数の『魔法陣名』に関しては、俺が手書きで書いたことがある魔法陣であれば全てインクルードされているようで、改めて定義する必要がない。とても不思議だが、便利なのでこれも深く考えないことにした。

 今回はしっかりとした厚みのある革なので“焼き付け”を選んだが、他にも“刻み付け”や“書き付け”を定義してある。一つの魔法で素材に応じて自動判別できれば一番良いのだろうが、最初の頃に色々と試すために敢えて別々に作ったものを、わざわざ統合するメリットが思い浮かばなかったのでそのまま使っている。

 で、今回まずはその“手書き”を行う必要があるのだが、これがなかなか一筋縄ではいかない。今まで一つの円の中に描いていた“文字”をそのまま大きな円の中にまとめてしまえば良い、というわけではないからだ。

 俺の独自魔法陣は、漢字を使うことでコンパクト化を図っているが、その分“線”が多くなりがち、つまりはサイズと複雑さのほぼトレードオフだ。複雑化、それはすなわち“回路”として成立させるためには“繋がり”に気を遣う部分が増える、ということで、詰め込む効果が増えれば、当然そのぶん苦労も増える。

 同じ効果でも一つにまとめた方が効率が良くなるらしく、素材に対する負荷が減る、つまりエンチャント容量を圧迫しない、ということはルーメンでの実験の経験から間違いのないことだと確信しているが、今回のように素材が良く、容量に余裕があるのなら魔法陣を複数に分けても良いか――なんて、最初は思っていたのだが……。

 ここでひょっこりと顔を出したのが、俺のクリエイタとしてのプライドである。

 どれだけハードが進化しようとも、ユーザビリティを最優先に考えれば、データのサイズというものは軽量であるに越したことはない。どれだけグラフィックが美麗でも、どれだけ音楽が荘厳でも、そのせいでローディングに時間が掛かったり、動作がもっさりするようなことはあってはならない(ただし、効率のためにクオリティを必要以上に犠牲にしてもならない)。そんな、既に過去のものだと思っていたこだわりは、今もこの胸の中にはしっかり息づいていたのだ。

 これがビジネスとなってくると、時間、金、マンパワー、……エトセトラ、エトセトラ……というように、俺にはどうしようもない制約やら柵やらという障害もあるわけだが、今この時に於いては俺のこだわりを阻害するものはない。ならば、こだわるしかないのでは?

 頭の片隅で、とある俺が囁く。

「魔法陣単体の稼働効率よりも、お前がする苦労なんかも含めた総合的な効率を考えれば、ここは妥協してもいいんじゃないか?」

 それに対して、別の俺が唱える。

「いや、今後どんな拡張が必要になるか分からない。少しでも容量を節約できるのなら、今できる苦労は今しておくべきだ」

 さらに別の俺が耳打つ。

「あなた疲れてるのよ。だからこんなアホな事考えるの。今日はもう酒飲んで飯食って寝て、また明日考えれば良いじゃない」

 それダメなヤツ。しかもまだ昼間だぞ。なぜオネエ口調なんだ。

 ――そんな、葛藤(?)もありつつ。

 結局、ほぼ丸三日を掛けて一つの魔法陣を完成させた、クリエイタの俺だった。

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