17.パンとスープ

 共有調理場の窯から漂ってきた香ばしい匂いを合図に、敷板を引き出した。上に乗ったパンはしっかり膨らみ、表面の焼き色も申し分ない。ここのところは旅先の親切に甘えて食事はもっぱら相伴にあずかる形だったが、この程度の自炊なら、腕は錆び付いていないようだ。

 ボーナに到着した翌日。朝の目覚めは快適だった。

 ここボーナも、ルーメンほどではないにせよ大きな街だからだろうか、利用させてもらった部屋はルーメンで一年以上を過ごした部屋と似ていて、それが熟睡に繋がったという面もあるのかも知れない。

 いくら旅慣れていないとはいえ、二週間ほども歩けば、結構な距離を歩いたとは思うのだが、部屋に限らず、ボーナの雰囲気はルーメンに近い気がする。同じ文化圏ということだろうか。

 正直、ここまでに立ち寄った村落の方が“旅先感”とでもいうものを感じたくらいだ。国という枠組みが無いらしいということで、もっと街ごとにユニークな姿が見られるのだろうかと考えていたが、そんなことはないようだ。あるいは、もっと気候、環境に変化があれば、自然と街のありようも変わっていくのだろうか。

 まあ、それはともかく、朝飯だ。

 こちらに来てからというもの、体力がついたということもそうだが、それ以上に俺が成長した部分と言えば、この料理の腕前だろう。

 初めは小麦粉の見分け方すら分からず、強力粉や薄力粉などとパッケージングされたものを買うことができた日本の環境が、いかに恵まれていたかを痛切に思い知る体たらくだったが、弛みない努力(誇張)の結果、今や、店に出しても勝るとも劣らないパンを焼けるほどだ(増長)。……まあ、それは冗談含みの表現だとしても、一年も自炊生活が続けば、嫌でも上達するというものだった。

 ルーメン、というか、こちらの人たちの、とどまることを知らない親切に甘えれば、自炊せずとも食うに困ることはなかったと思われる。しかし、そこには自分の良心の呵責というものが伴ったし、一応は自立した大人としての矜持もあり、自炊に取り組んだわけだ。

 ともあれ、目の前にはおいしそうに焼けたパンが、おいしく食べられる時を待っている。あれこれ余計な思考に耽って冷ましてしまうのは無作法というもの。

 では、いただきます――と、口に含めば、ほんのりと、爽やかさを伴った甘い香りが鼻腔に抜ける。おそらくこれは酵母のおかげだろう。ルーメンでは、そのままの、あるいは干したブドウから作った酵母が使われることが多く、俺もそれに“習って”自作するようにまでなった。やはり、自分で作り育てた酵母というものは思い入れも一入ひとしおで、小分けにされたドライイーストを放り込むのでは得られない、特別な味わいが生まれる……気がする。それもプラセボ効果的なものだと言われてしまえばそれまでだが、誰に迷惑を掛けるわけではないのだから、それでも構わないだろう。

 味の方も、小麦本来のものか、酵母によるものか、あるいは隠し味程度に加えたバターの仕事か、パン自体には砂糖(ビート糖)を使っていないのにも関わらず確かに甘みを感じさせる、満足のできばえだ。

 ――ちなみに、「酵母が生きている」なんて言い回しがあるが、酵母は亜空間収納にすんなり収まる(のみならず、酵母を作ったり育てたりする際に失敗しにくい、というありがたい副作用まである。やはり中は入れたものに応じた理想環境なのだろうか?)。これは植物なんかも同様だ。なので、俺としてはわずかなりとも『意識』と呼べるものを持った存在であるかどうかが魔法に抵抗力を持つ条件なのではないか、なんて考えているし、それがこの世界に於いて『魂』を定義する要件の一つではないか、なんて考えたりする理由の一つだったりする。……が、まあ、いくらそんな思考を繰り返したところで結局、真実のところは分からない、という結論に至るだけなのだが。――といいつつ、また同じようなことをあれこれ考えてしまうのが俺なんだろう。

 などと、ぼんやり考えを散らしながら一つ目のパンを腹に収めたところで、近づいてくる人影があった。

「サム! おはよう!」

 昨日のエヴァルドもそうだったが、どうやらこちらの世界で俺は『サム』と呼ばれ続ける宿命にあるらしい……。

 それはともかく、朝っぱらから元気なこのおっさんはオメロという。この街の革職人で、俺の渡した毛皮を手がけてくれる、親切、というよりは、人懐っこい、という印象のおっさんだ。

「パンだけか? 問題無い、ここにスープが登場だ!」

 ガハハ、なんて表現がぴったりの笑い声を上げながら、手に持った容器を掲げる。

「俺のラッザーナをまた食わせてやるつもりだったが、カタリナが言ったんだ、『朝からそれはやめておけ』ってな!」

 オメロは昨日の初対面からこの調子で、夕食も食っていけ、と招かれた席で出されたのが、オメロ特製ラッザーナだ。俺の知識で言うなら、肉抜きラザニア、といったところか。ちなみに、カタリナというのはオメロの奥さんだ。

 また余談になるが、ルーメンでもボーナでもパスタ料理(元の世界ではそう表現されるであろうもの)が一般的だが、ルーメンでは(向こうで言うところの)スパゲッティ的な細麺が主流であるのに対し、ここボーナでは、生地を平たく伸ばして、シート状に切ったラザニア的なものや、細長く切ったフェットチーネ的なものが好まれているようだ。これが元の世界のイタリア文化と相関があるのかは俺の知識では判断できないが、つい比較して考えてしまうのは仕方ないだろう。

 ともかく。俺はオメロに「ありがとう」といって素直に差し入れを受け取った。こちらに来たばかりの頃は日本人的な感性なのかつい遠慮をしてしまいがちだったが、彼らの親切は素直に受け取った方が喜ばれると理解してからは意識して遠慮しないようにしている。

「オメロ、迷惑でなければ、このパンを一つ受け取ってくれ」

 ただ、受け取るばかりではやはり心苦しさがあるので、可能な限り“お返し”をするようにはしている。彼らがそんなことを気にしないと解ってはいても。

「おぉ! いただこう、ありがとう!」

 実際、彼らはこうして素直に喜んでくれる。そこに他意が無いのが判るから、こちらも気分が良い。

「美味い!」

 そして、こうして褒めるのにも遠慮が無いから、そこに気恥ずかしさのようなものを感じつつも、素直に嬉しい。

 こちらに来て、このようなストレートな感情表現と対面して、向こうで俺はいかに周囲に気を遣って暮らしていたのかと感じ入ることになった。俺自身、それほど他人に気を遣っていた自覚はなかったのに、だ。あるいはそれも日本人的なものなのかも知れないが、何にしても、これに慣れてしまえば、もし戻れたとしても再び順応するのに苦労しそうだ、なんて思ったりする。ただ、そう思いつつも、こちらに骨を埋める覚悟まではやっぱりできないのだけど。

「うん、このスープも美味い。ありがとう、オメロ」

 まあ、今はここに居るのだから、俺もここの流儀に従う。実際、見た目以上にいろいろな具材が煮込まれたのであろう、このコンソメ的な旨味が深いトマトスープは、俺の作ったパンとの相性も良く、とても美味かった。

「カタリナは料理が上手いからな!」

「オメロのラッザーナも美味かったぞ」

「俺はあれしか作れんがな! ガハハ!」

 どうやらオメロは、一つの事柄にとことんこだわる、根っからの職人気質らしい。自慢げに言うことじゃないだろう、とは思ったが、まあ、それなら革の仕上がりに心配はいらなそうだ、とも思うのだった。

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