16.ボーナ

 ルーメンから北上を続けて、もうすぐ二週間が経つ。今日中にはこの辺りで一番大きな街『ボーナ』に到着できそうだった。

 手元の『太陽神の書』から書き写した地図には、ルーメンで知ることができた、ある程度以上の規模の街の、おおよその位置と名前をメモしてある程度だが、人通りが作り広げた“道”のおかげで目的地を見失わずに済みそうだ。

 街と街(街、とは言っても、その光景はのどかな田舎町といった風情が強いが)の間には小規模な村落も点在していて、それら同士はいずれも半日ほども歩けば到着できる距離にある。いわば、大きな街とその衛星都市(というか衛星村?)という感じで、この世界では、ルーメンに限らずこういった形で一つのコミュニティを形成していることは多いようだ。魔獣が人の多い場所に引き寄せられる習性へのセーフティなのだろう。

 ともあれ、そういった小規模な集落でも、人の動きがある以上、おおよその現在地は確認できるため、ここまでは道に迷う心配も無い旅だ。

 前の村を出立する直前こそ、オオカミ魔獣の襲撃に遭遇してしまったが、それが旅立ってから初めて俺自身も参加した魔獣との戦いで、それ以前に一度遭遇した魔獣の襲撃はその村の人たちによって退けられていたし、俺一人が道の途中で魔獣に出くわすようなことも無く、概ね順調な道程といってよかった。

 ただ、旅が順調だと思える一番の要因は、人の優しさではないだろうか。行く先々で親切にされ、気を張る必要もないし、物資の補充に困ることもない。おかげで、覚悟していたような厳しさとは、まだ縁がない。

 まださほど遠くに来たわけでもないので当然かも知れないが、彼らの宗教観とでもいうものはルーメンと変わりない。個々が自由に超自然的なものを己の信仰に当てはめ、強いイデオロギーを共有しているような感じはなく、信仰を押しつけてくるようなこともない。彼らの善性には信仰の影響はあるのだろうが、それに依存しているという感じでもなく、やはり根っからの善性あってこそではないかと感じる。

 ――なんてことを考えて、ふと、そもそも倫理観の形成を宗教と結びつけようとすること自体が間違っているのかも知れない、と思いつく。俺たちがこちらで受けた最初の“教育”が宗教的なものであったし、その『神話』の印象が強かったせいで、俺の内に知らず先入観が生まれていたのではないか、と。

 グランは言っていた。大地を巡る『魔』は、人らの思念を運んでいる、と。それは個々の意識と接続するネットワークをイメージさせる。個人個人の意識を繋ぐ大きな流れ、それはまるで『集合的無意識』という概念そのものではないか。

 もし、神話が事実を正確に語っているのなら、かつて人は絶滅の危機を迎えていた。そのトラウマが集合的無意識レベルで共有されているのなら、人同士が助け合おうとすることは当然のことなんじゃないか、そんな風に俺には思える。

 もちろん、そんなのはただ俺の妄想だし、ここから遠く離れた地に住まう人たちの善性も変わらないものであってほしいという願望でしかないのかも知れない。

 ――何にしても、そんな内面的なものの真実がどうであるかなんて、目に見えるものでもなし、知りようのないことなのだが。

 とりあえず、こんな風につらつらと考えに耽る事が増えてしまうのも、独りきり、あまり代わり映えのない景色をただ歩くばかりのせいかもしれない。もちろん、それに文句があるわけではない。考えに耽る余裕もなく魔獣に襲われるよりは、ずっといい。

 正直に言えば、もっと速く移動することは可能だ。自作の魔道具『エア・キックボード』を使うだけでもだいぶ違うはずだ。これがどういうものかは、字面だけで想像がつくだろう。こういった魔道具を自作できてしまうことが、ルーメンで馬の提供を断った別の理由でもある。

 これの実現には苦労もあった。魔法陣を板の下面に配置することで魔法作用部分に人が直接触れることを避け、持続的な発動を可能にしつつ、上に乗った重量に比例した風力を起こすことで地面から浮いた状態を作ることはできた。物理法則に精通しているわけではないので、あくまでもイメージだが、ドローンのように揚力を生んで飛ぶわけではなく、強く吹く風の力(反力? 圧力?)による浮遊。それでも実現しているのだから、魔法様々といったところか。しかも、地面にぶつかった風が周りに散らないのも、さすが魔法現象。おかげでロスは少ないはずだが、それでも風力だけで上の人ごと浮き上がらせるのはかなり魔素効率が悪いらしく、部屋の中だけでしばらく実験をしていたら魔素が不足するという事態を引き起こした。

 これは、いろいろ試して、板とその上に乗った重量に掛かる重力を十分の一ほどにするようにしたところ、効率はかなり改善した。そもそも移動しながら使うものなので、これなら通常使用で魔素不足が起こることはまずないだろう。

 また、面白いデータもとれた。それ以上の重力の軽減をすると、魔素的な効率はむしろ悪化するようだったのだ。やはり重力の操作なんていうあまり現実的ではない魔法は、単純に風を起こすようなものに比べて、必要な魔素量が多いのだろう。ただ、その魔法法則とでもいうものが、物理法則と単純に相関しているのかは怪しいと思っているが。

 ともあれだ。この辺りは見通しが良く、小さな村落はルーメンのようにほとんどを自給自足できるわけではないので、交易目的をはじめとした人通りもたまにある。独自の魔法や魔道具をあまり衆目に晒したくない身としては、どんなに便利な道具があったところで、こうして歩くしかない、というわけだ。


 そういえば、魔道具に関して重要な発見も、その魔道具の試作中に見つけたんだったな――なんて考えたところで、前方にボーナと思しき街が見えてきた。

 ボーナもルーメン同様、街の周囲にはまず槍壁が置かれていて、その奥に壁や柵で街を囲っているようだ。今更ながら、堀を掘らないのだろうか、なんて思う。あるいは、ファンタジーものでよくイメージされる、城壁で全体を囲う形にすればいいのでは、なんてことも思わなくもないが、そうならないのは、拡張性を見越してか、あるいは素材的な問題か、技術的な問題か、はたまた労力の問題か。いずれも大なり小なり関係ありそうだが、何にせよ、それをしないのなら、しないなりの理由があるのだろう。

 ともあれ、久しぶりの大きめの街だ。この前貰った魔獣の皮も処理する必要があるし、しばらくはここに滞在することになるだろうか。ルーメンと同じなら、人口に対して住宅はかなり多くあるから、外からの人間も空き家を借りることができるはずだ。

 槍壁地帯の中を曲がりくねる形で、馬車二台がすれ違えるくらいの幅の道が入り口へ続く。入り口の周囲はさすがに立派な壁が築かれていて、門扉は内側に開いている。道を歩いて入り口に近づくと、見張り担当か、壮年と見える男がわざわざ出迎えて話しかけてきた。

「ようこそ、ボーナへ。一人か? 珍しいな。交易が目的ではない様子だが」

「旅をしている。東へ、俺のルーツを求めて」

「……なるほど、トキヤの方から来た人間にどこか似ている。君はどこから来たんだ?」

「……俺は、ルーメンから」

 一瞬だけ、葛藤があった。だけど、この世界で生きるしかなくなれば、あそこが俺の帰る場所だろう。この旅で、よほどの縁やしがらみが生まれなければ。

「そうか。ボーナにはどれくらい居る予定だ?」

「……こいつを、鞣してほしい。それに掛かる時間次第だが、やってくれる所はあるか?」

 念のため街の手前で一枚だけ亜空間から取り出しておいた魔獣の毛皮を、袋から取り出して見せて、答える。

 ちなみに、毛皮に潜んでいたノミなどは、生きていれば亜空間収納の手前ではじかれるのでこの皮はそれなりにきれいなはずだ。……まあ、仕舞うときにカムフラージュのために袋の中でそれをやったせいで少々酷い目に遭ったわけだが、良い勉強だったと思うことにした。

「それなら遠くない。……ホイ! エヴァルド!」

 男が門の内側に声を掛けると、若い男が小走りでやってきた。二人は簡単なやりとりを交わし、若い方がこちらへ向き直る。

「私はエヴァルド。あなたを案内する」

「俺は、オサムだ。よろしく」

「よろしく。質問があったら、道すがら聞いてくれ。さあ、行こうか」

 そう言って早速歩き出すエヴァルドに、出迎えてくれた男に礼を言ってからついて行く。

 ボーナの街並み――といっても、やはりルーメンと同じく、長閑な田舎町といった風情の光景――を眺めながら歩く。所々に倉庫らしき建物や俺たちがルーメンで住まわせてもらっていたような平屋的な建物が見えるが、土地面積当たりの密度は低い。何かを育てている畑も散見されるが、それほど大きな規模ではない。こういった光景はルーメンでも周囲部に近づくと見られたので、ここボーナも中心に大規模な産業部を抱えているのかも知れない。

 そんなわけで、この街についての質問というのは思いつかなかったので、まず先ほど少し気になったことを聞いてみる。

「エヴァルド、教えて欲しいんだが、トキヤというのは、土地の名前か? 街の名前か? どこにあるんだ?」

「トキヤ……? ああ、……東の海を北から回り込んで行き、そのまま沿ってずっと南下していった先にエラッサという大きな街がある。そのエラッサのさらに東の海を渡った先にある大きな街の名がトキヤだ。どちらも伝聞のみで、私は行ったことはないが」

 東の海、という言葉に少しドキッとするが、歩いて行けそうなエラッサの東、というからにはユーラシア大陸の東端、ということもないだろう。トキヤ、という響きから東京を連想したが、さすがにそれは違うだろう。

 ルーメンで見た地図を地球に当てはめて考えれば、エラッサとは旧ユーゴ、あるいはさらに南ならギリシャになるのだろうか。その東、海の向こうとなれば、トルコだろうか? そういえば、トルコ人は日本人と比較的見た目が似ている、なんて聞いたことがあった気がする。トルコ、ターキー、テュルキエ……トキヤと語感が似てないこともないが……。トルコの都市名なんてイスタンブールとカッパドキアくらいしか知らないから断言もできないな――なんて考える。だが、もちろんそれはこの世界が地球、あるいはそれに準ずる形をしているのなら、という前提に立ったときの見方でしかなく、こういう考えが全くの見当違いという可能性も考慮はするべきだろう。

 とはいえ、その辺りまでの地形はルーメンで見た地図に載っていた部分なので、どうしても先入観が入ってしまうのも仕方ない。未知の領域へ向かうときに、改めて気を引き締めれば良いか、なんて楽観したりもする。

「サム、ここがオメロの工房だ」

 ――つい自分の思案に没頭するうち、エヴァルドに声を掛けられた。結局大した会話もできないまま、目的地に到着したようだった。

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