15.それぞれの決心、そして旅立ち

「……で、それがその……『グラン』さんから貰った欠片、ですか」

 そう言ってのぞき込む保科君の手のひらにその欠片を乗せてやると、ためつすがめつして「本当だ……」なんてつぶやいて森本君へ回す。

 ちなみに、『グラン』というのは、モグラ聖獣にせがまれて付けてやった名前だ。モグラの『グラ』と彼(寿命の延長と共に性別の概念は無くなったそうだが)の生活圏である(アンダー)グラウンドの『グラ』を掛けた高度……でもない、むしろ安易な名前だが、そんな意味を知ってか知らずか喜んでいた。詳しくは教えられなかったが、ヒトに固有名詞で呼ばれるということ自体が、聖獣にとって何かしら意味のあることらしい。

「サクレ・グラン!」

 と、テンション高いのはアントーノで、ここに道を整備すべきだ! と息巻いている。『遺跡』が、聖獣の住む『聖域』であるなら、魔獣が近づく心配は無いそうだ。そんな話を聞かされているウーゴも聖獣の存在には喜色を見せていたが、アントーノのテンションにはついていけないのか「分かったから落ち着け」と宥めていた。

 ――しかし結局、日本で事故に遭ったはずの俺たちが、なぜ、どうやって、ここに現れたのかは、まるで知ることができなかった。

 その事実に、こうして帰り道を歩く俺の心に失望が無いと言ったら嘘になる。

 だが――

(グランは、これが、ヒントになるかも知れない、と言っていた……)

 森本君から帰ってきた金属片を手の内で玩びながら、その意味を考える。

 この『日本語』がヒントであるというなら、あまりにも露骨すぎやしないか、とは思う。この辺りを地形の変わってしまったヨーロッパと見立てた俺たちにとって、それはもう答えなんじゃないか、なんて思ってしまう。

 この欠片が俺たちと一緒に、あるいは時は違えど俺たちと同じようにしてこちらに現れた物かも知れない、なんてことも考えたが、それでは何のヒントにもならないし、なんとなくだが“これ”は元々こちらにあったものだという気がする。そもそも、これが金属だろう、というのは俺の第一印象でしかなく、裏を返せば、金属だと断言はできない感触だということで、その“知れない感じ”が、向こうのものではない、という印象になっているのかも知れない。

(だけど――)

 いろいろと考えを巡らせたところで、それはもはや無聊を慰めるようなもので、結局のところ、既に俺の心は決まっていた。


「どうしてこうなった」

 昼間は家畜たちが放牧され、夜は静寂に包まれるはずの草原は、今、喧噪に包まれている。あちらこちらに設置された灯りの魔道具が照らす一帯は、昼間より明るく感じられるくらいだ。

 わざわざ石を積んで新たに作った簡易かまどに炭が焚かれ、その周囲に肉や野菜の焼ける香ばしい匂いが漂っている。さらに、住宅の方の石窯で焼かれたピザなどが運び込まれ、チーズやトマトソースの香りも混じる。そこに、誰かがぶちまけでもしたのか、ワインの香りまで漂ってきて、匂いだけで腹が膨れそうだった。

 明かりがあるのにわざわざ焚かれている篝火の周りには、様々な楽器を持った人たちが集まり、即興で演奏しているようだ。音楽のジャンルとしては……あまり詳しくないのだが、フォークとかカントリィとかだろうか。その軽快なリズムがこの喧噪を後押ししているような気がする。

 リコーダ、フルート、オーボエ、ハーモニカ、ギター、ベース……などなど、楽器にも詳しいわけでもないので大体の印象でしかないが、元の世界と変わらないような楽器がほとんどと見える。ただ、吹奏楽器のキィなども含めてほぼ全ては木製で、ギターやベースは当然アコースティックというやつだ。

 今までも、音楽好きが集まって楽しそうに演奏しているのは見聞きしたことがあるが、十人を優に超える規模での演奏は初めて聴く。それでも、素人耳には全く破綻しているようには聞こえないのだから、皆、趣味のはずなのに結構な腕前なのだろう。

「飲んでるか、主役!」

 そう言って俺に絡んできたのは、すっかり気心知れ――てないわ! 誰だこのおっさん!?

 ――と、さっきからこんな調子だ。

 あの『遺跡』(今では『聖域』と呼ばれるようになったが)の調査から戻って二週間。俺が「旅に出る」と宣言してから十日ほどだ。

 それからこれまでの間、俺は俺でせこせこと旅に必要と思われる準備をほぼ一人で進めていたせいもあるが、その間、他の人らはこの『サプライズ送別会』の準備を、俺に内緒でせっせと進めていたらしく、こうしてまんまと驚かされた、というわけだ。

 正直、俺がこんな会を開いてもらえるほどに、ここルーメンに貢献したつもりもないので、気が引ける部分もあったのだが、周囲は先ほどのように、普段は顔を合わせない人まで集まって楽しそうに盛り上がっている。そんな様子を見れば、俺が“ダシ”にされる分には構わないか、と、俺も素直にこの会を楽しもうという気になった。それに、どうやら遺跡が聖域だった、ということを祝う意味もあるようなので、そう考えればもう一段、気は楽になった。

「いつ旅立つんですか?」

 周りの楽しげな空気をまったり楽しんでいる俺に、そう声を掛けてきたのは、今度こそ気心知れた(と、俺は思っている)森本君だった。

「そうだな……明日は無理だろうな、多分二日酔いだ」

「そういう割には飲んでないみたいですけど?」

「ワイン、特に赤ワインには弱いんだ。何でか悪酔いしやすくてね。体質かな?」

「なるほど……。じゃあこれは薦められませんね」

 そう言って、両手に持ったうち、なみなみとワインの入った方の木製ジョッキを持ち上げてみせる。俺を気遣ってわざわざ持ってきてくれたのだろう。

「それやったら、アルハラだよ」

「うっわ、ハラスメントとか、もはや懐かしいですね」

 言って、二人して笑った。

 そう、彼、そして彼らはもう、日本でのことを「懐かしい」と、冗談にして笑えるようになったのだ。それは俺にとって、喜ばしいことだが、ちょっぴり寂しいような気持ちもある。

「……君たちは皆、ここで暮らすと決めたんだな……」

 一年以上、毎日のように顔を合わせていた人たち、ましてやそれが、それなりに信頼関係を築いた相手なら、その別れは、どうしたって、寂しい。周囲の喧噪がそれに輪を掛けているようで、ついしんみりした物言いになってしまう。

「……はい、ここは偏見も無いですし」

「不思議なものだな。ここは、魔獣被害で死ぬ人もいて、病気で若い内に死ぬ人だって少なくない。五十も生きれば立派って世界で、実際、子供たちは大切にされている。そんな所なら、子孫を残さない人間に、偏見どころか迫害があっても不思議じゃないのに、そんなことも全く無い。……まあ、それこそが俺の偏見かも知れないが」

「そんなことないですよ。俺たちだってカミングアウトする前は似たような不安を持ってましたし」

 子供を産むこと自体は喜ばれるし推奨もされる。かといって性に奔放なわけではない。赤の他人であっても子供を見れば親類のように愛情を持って接する。なんというか、倫理観が高い、とでもいう印象なのだが、ここの人たちはそんな観念を意識して行動しているわけでもない。『教え』があるからそうしている、のではなく、もっと自然にそれをしているような。変な言い方だが、ルーメンの人たちは“性善説の具現化”とでもいうような感じなのだ。

「俺たちにとって不幸中の幸いだったのは、現れたのがここだったことかも知れないな」

「それは、同じ事を元気とも話してました」

「……そうか……」

 彼らが日本で周囲からどんな扱いを受けていたのかまでは知らないし、聞くつもりも無い。けれど、彼らがそう話し合い、ここに住むことを決めたのなら、俺たちの身に起こったことは、少なくとも彼ら、そして彼女らにとって、悪いことばかりではなかったのだろう。

 そう思うことで、万が一帰る方法が見つかったときに、俺一人帰ることに罪悪感を覚えないようにしているのかも知れない――なんて考えも浮かぶ。だけど、俺が東を目指すことを決めたとき、当然彼らの意志も確認した。そして、彼らはここに残ることを選んだ。俺一人旅立っても、魔道具を使えば連絡をとることはできた。だが、彼らはそれをハッキリ拒否した。それほど強い覚悟をもって、彼らはここに残るのだ。そんなことを考える方が失礼だろう。

「君の記憶の空白は、相変わらずなんだろう?」

「……過去よりもっと大切なものが、ありますから」

 誰かと談笑している保科君の方を見つめながらそう言った森本君の表情は、強がっている様子なんて全くない、自然な微笑みで。

 だから俺の心にはもう、何のわだかまりも無く。きっと純粋に前向きな気持ちで旅立ちの時を迎えられるだろうと、確信した。


 とはいえ、だ。翌朝……は、やはり旅立ちなんて微塵も考えられない有様で、その翌日を回復と挨拶回りに当て、さらにその翌日、出立と決めた。

 見送りは、前日に挨拶を済ませてあったこともあり、“同郷”の四人の他は、十人を数えなかった。その彼らも気安く、深刻な空気を作らないでくれたおかげで、別れはあっさりしたものだった。

「じゃあ、ちょっくら行ってくるわ」

「おう、またな」

 ――という会話があったわけではないが、ノリとしてはそんな感じだ。

 彼らに背を向け、歩き出す。親切な彼らは馬の提供も申し出てくれたが、ここでの生活の中で多少は乗れるようになったとはいえ不慣れであること、そして何より、俺のわがままに生き物を巻き添えにするのは気が引けたことから、それは辞退させてもらった。……まあ、理由は他にもあるが。

「グラン、ベネディシャ! サム!」

 俺に、グランの祝福(あるいは加護)がありますように。……そんなアントーノの言葉に背中を押され、足取りは、軽い。

 丘陵地帯の斜面には日の光を受けたブドウたちが、アメジストとエメラルドの輝きを煌めかせる、夏の盛りを過ぎた、ある日の旅立ちだった。

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