9.呪文と試行錯誤

「神やその眷属に祈りを届ける言葉は、一つではありません。呪文を正しく覚えることも大事ですが、それ以上に大切なことは、その想いがいかに真剣であるか、そして、その想いをいかに正しく言葉に込めるか、ということなのです」

 教わった呪文を唱えても上手く魔法が発動しない子供たちに、アントーノの妻であり、この学校の教師の一人であるイザベラがそう諭す。

(神よ、その御力を持って、我が頭上にあり、周囲を照らす光を、しばし現し賜え)

 心の中で先ほど上手くいったとおりのイメージで呪文を唱える。……が、今度は何も起きない。

(想いが真剣、イコール、イメージが正確、という考えは間違いじゃないと思うんだが、言葉にすることは必須なのか……。言霊って概念が実在するのか?)

 魔法を発生させるべく試行錯誤する子供たちを尻目に、二度目の詠唱で魔法を発動させた俺は、その後もいろいろと検証していた。

 自分が魔法を本当に発生させた、という事実には、静かな感動があった。……ちょっと浮かれて、左右に動いても光が追従してくるのを何度か確認してしまう程度には。

 しかし、我に返って、ふと気になった。日本語だとどうなるだろう? と。そして、気になればやらずにはいられない。俺は同じような意味になる日本語にして唱えてみた。するとなんと、普通に魔法は発動したのだ。これには一発で魔法を成功させた保科君たちも驚いていた。

 こうなると俄然、他にどんな条件で魔法を使えるのかが気になってくるのが人情というものだろう。

「光れ」

 ……先ほどと同じイメージを持ってそう口にしたつもりだったが、何も起きない。

「光よ、照らせ」

 次は、先ほど成功したときと同じイメージを持ってそう唱えると、頭上でパアッと光り、間もなく消えた。

(主語と、述語があれば発動する? だけど、しばし、という言葉が無いとこうなる……いや、言葉にすることで自然とその点をイメージしていたからか?)

 同じように、でも光がしばらく持続することを意識してやると、今度はしばらくその場で光が持続した。だが、一歩前にずれても、その場に留まったまま。

(頭上にあり、という言葉も声にすることで無意識に意識していたって事か……。呪文は短縮できる。でも、より正確なイメージを強く意識して持たないと思い通りには発動しない、ってところかな……)

 一度目はただ呪文を正確に諳んじる事だけを意識して、魔法は発動しなかった。その呪文によって起こる現象をイメージして唱えることで、それは成功に変わった。同じイメージを持てば、日本語でも発動した。呪文を極端に短縮しても主語と述語があれば発動はする。だがその場合は起こすべき現象をより明確に思い浮かべる必要がありそうだ。

 ――と、考えを簡単にまとめて、次は何をしてみよう? と考えようとしたとき、いつの間にか自分が注目されているのに気付いた。

「ふふふ。さあ、みんな、今見たような光を作ることを考えながら、呪文を唱えてみましょう」

 イザベラさんがそう声を掛けると、子供たちは思い思いに呪文を唱え始めた。イザベラさんは微笑ましいものを見るような目で俺を見ていた気がする。実際、魔法の発動に成功して何度もそれを繰り返す子供たちに、同じような目を向けている。

 俺もはしゃいでいたと思われたのは、ちょっと恥ずかしい。照れもあって小声で呪文を唱えていたせいで勘違いされたのだろうけど、でも、それならそれで良かったのかも知れない、と思い直す。日本語はともかく、短縮とかは今までここでは見たことはなかったので、邪道だったりするのかも、なんて事に今更思い至って、ちょっと不安になったからだ。例え邪道ではなくとも、子供たちにそういう応用というか裏道というか、最初からそういう教え方はしたくはないだろうし。

 ただ、保科君たち四人は、俺が何をしようとしていたかを察しているようだ。

「いろんな検証は人目の無い時にしておこうか」

 そう日本語で伝えると、彼らは頷いて応えた。


「重力よ、この石に強く働き続け、その重さを増せ」

 すると、手のひらの上に乗せた石が、ぐっ、と、少しだが重さを増した感覚があった。だが、それはほんの僅かの間だけだった。

「なるほど……重力の原理なんて解らなくても、概念として知っていれば魔法は発動する……? いや、そもそも光だってその原理をちゃんと知ってるわけじゃないのにできたもんな」

 夕食も済んだ後の空き時間、俺は部屋で一人、魔法に関する検証を進めていた。

「重力よ、この身に掛かるその力を弱めよ」

 一瞬だけ、下りエレベータが動き始めた時のような感覚はあったのだが、それだけだった。

「やっぱり、人の身体が魔法の影響部分に触れると、魔法は解ける……?」

 それは、魔法で生じた光を手で払うと消えてしまったことからの推測だったが。

 その推測を補強するため、こんなこともやってみる。

「……アチッ! ……でも、消えたな」

 光や重力だけではなく、魔法陣によって生じた炎も、発生している根元を手で払ったら消えた。このことで、確証とまではいかないが、的外れな推測でもないらしいと判断する。

 ――今更だが、魔法を発現させる方法は呪文だけではない。というか、俺たちが最初に直接魔法に触れたのは、この円の中に刻まれた図形もしくは文様、すなわち『魔法陣』によって発現する魔法の方だ。このコンロ的な設備のみならず、そもそも今この部屋を照らしている明かり、それも光を生じる魔法陣を利用した『魔道具』とでも言うべきものに因る。

 ちなみに、上下水道の仕組みにも魔道具は使われているが、水そのものは川の水や雨水を魔道具で濾過(浄化)することで利用されている。魔法で水を直接生み出すこともできるはずだが、それをしていないのは、この“人間の魔法への抵抗”というもののせいなのだろうと改めて理解した次第だ。

 余談はともかく、“世界”というシステムに対して、“呪文”か“魔法陣”という形でのインプットがあって初めて、“魔法”というアウトプットが起こるようだ。いや、魔法陣の起動や停止も音声がキーになっている(それぞれ「オン」と「オフ」、英語そのままだ)から、“声”が重要なのだろうか? ――頭にまた『言霊』という言葉を思い浮かべながら、そんなことを考える。

「……さて」

 気持ちを切り替えるために、あえてそう口にして、魔道コンロを再び点ける。自分としては一番気になっている実験のためだ。

「時間よ、この炎が表れる前へと巻戻れ」

 ……だが、目の前の炎に変化はない。

「これだけでも、もうダメなのか……」

 もしここが未来の地球なら。魔法によって時間を操ることさえできれば、帰れるかも知れない――そう考えるのは当然だろう。

 そして、“重力”のような、そのメカニズムを知らないものに対しても魔法が干渉できるのなら“時間”だって――そう考えるのも当然の帰結。

 だが、そんな“希望”はいきなり頓挫してしまった。

(いや、逆に局所的な逆行のイメージだったから失敗したのかも)

 そう考えて、世界全体の時間が巻戻るイメージで同じようにしてみる――が、ダメ。

 人体は魔法を消去する、それは時間を逆行させようというのに好都合だと思った。そうでなければ、時間が逆行しても、この記憶も巻戻り、維持できないだろうと考えたからだ。

 それではただ同じ事が繰り返されるだけ。そうでなかったとしても、それが“前回”と違うという認識はできない。だから、人体が魔法をはじくからこそ、時間遡行が希望になり得るという、ちょっとした思いつきだったのだが。

(もしかして、世界、のイメージが弱いのか? それとも、時間、の方か? なら、その不足を補う文言を呪文に組み込めば……。でもなぁ、宇宙の果てなんてあるかも分からないものを上手く想像なんてできないからな……。いや、そもそも、そんな広大な宇宙全てを巻き戻そうなんて、必要な魔素が足りないんじゃないか?)

 この世界には、魔法の発動の大前提として、必要な“原材料”がある。それが『魔素』だ。上手い喩えになるか分からないが、インクのないインクプリンタに出力を命じたところで印刷はできない、というところか。イザベラさんが言うには、人が普通の生活の中で使う魔法で魔素が枯渇することはまずないということだが、世界には魔素の濃度が薄い場所もあり、そういう所では注意が必要だと習った。逆に魔素が濃い場所もあり、そういう場所は『魔境』とか『聖域』とか『ダンジョン』といった特殊な環境になっていることがあるという。そういった場所を総じて『遺跡』と呼んだりもするそうで、俺たちが現れたあの洞窟、というかトンネルのような場所、あそこもその一つらしい。

 この『魔素』、すなわち、神話の言うところの『魔』。森本君が言うには、水素や酸素と同じようなニュアンスだというので魔素と呼んでいるが。実際、ここの言葉では『マジカジェニ』という、聞き方によってはハイドロジェンやオキシジェンみたいな元素名っぽい名称といえる。

 おっと、逸れそうになる思考を軌道修正。

(ん? 待てよ……?)

 そして、ふと思いつく。そもそも、人体が魔法をはじくなら、記憶だけ残して身体はちゃんと過去へ飛ぶ、というのが都合が良すぎる想像なのかも知れない。ならば、もしかしたら世界は一度巻戻り、“今”の俺はその巻戻った世界の“未来”にいるのではないだろうか?

(違う違う。難しく考えすぎてる。シンプルにフィクションで見るようなイメージで良いんじゃないか? ……って、それじゃ最初にダメだったやつと変わらんだろ)

 無意識に焦っているのだろうか、どうにも考えがとっちらかる気がする。

「……ダメだ。時間を俯瞰的に認識できない以上、どれだけ想像力を働かせても不毛な憶測にしかならない」

 俺は思いつきやひらめきがあると、それに拘泥する、とまでは言わないが、やや視野狭窄的になる傾向がある。それは他の人と一緒に一つのゲームを作るという経験の中で自覚したことだが、自覚したからといってそういう元来の性格はそうそう変わるものではない。そんな俺だから、今はこのまま続けても非生産的だろう。

 ともかく、理由がなんにせよ、自分が認識できる形での時間遡行は不可能、そうでなかったとしても、極めて難しい。とりあえずはそう考えておいて良いだろう。

「……魔法と言っても、決して万能じゃない」

 それが解っただけでも収穫だ、今はそう割り切ろう。その上で、魔法で何ができるのか――大事なのは、それをもっと知ることだ。

 たとえ、帰ることを諦めざるを得なかったとしても、それはこの世界で“生きていく”上で、絶対に必要になるものなのだから。

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