7.ルーメンでの暮らしと、とある考察

 ルーメンの人たちは、アントーノたち五人に限らず、みな例外なく親切だった。

 与えられた住居は日本でいうなら平屋の長屋のように作られた建物の一室。ぱっと見で二十畳ほどの広さのワンルームだが出入り口の他に扉が二つ。その内一つの先は、さすがに日本の近代的なものとはほど遠いとはいえトイレと風呂(少し匂うときもあるが下水完備)だった。間取りとしてはその二部屋だが、部屋には簡易的だがキッチン用途の設備もある。長屋状に居室の並ぶ中央辺りに、大きめの石窯のようなものが見えたので、そちらは共用のキッチンスペースかも知れない。

 建物自体は和風とはほど遠く、外観はレンガ造りに見えたが、内装はコンクリートのような材質の壁と柱がむき出しの、いわば打ちっぱなし風。ただ床は木材の敷き詰められたフローリングで、備え付けてある家具も木製で揃えられているおかげか、さほど殺風景という印象はない。ちょっとしたバルコニーに続く方の扉、その横の大きな窓は磨りガラスだが昼は部屋全体も明るい。

『異世界』だと身構えていた俺たちにとっては良い意味で予想を裏切るレベルの住環境、しかもそれを、一人一部屋を割り当ててくれた。こういった住宅は、外から来た人のためや、魔獣被害で家を失った人のために多く作られているのだという。俺たちもその恩恵にあずかったわけだ。

 言葉など関しても、幼い子供たちに混ざる形ではあったが、学ぶ場を設けてくれた。数字や文字が地球とほぼ変わらないことに気付けば理解も進んだし、さらに森本君の“通訳”の助けもあって、三ヶ月もする頃には、初歩的な日常会話程度なら、聞き取るだけでなく話すこともできるようになった。ちなみに、『体育』的な授業もある。魔獣から身を守るための、いわば護身術の訓練だが。

 もちろん、一日中勉強だけで食べさせてもらえるわけではない。学校は基本午前で終わり、午後は農作業などの手伝いがある。

 ルーメンの中心には広大な農場や牧場があり、その周りを住宅を主とした街並みが囲うような形になっている。そのさらに周りにも畑や果樹園が広がっていて、さらにそれを囲う居住区や防柵、というような構造で、これは魔獣対策などを重ねて自然とできあがった形らしい。塩や海産物こそ南に半日以上歩いた所にある海際の村で生産しているそうだが、野菜、肉、果物、油、スパイスなどがルーメンだけで自給自足、さらには周辺の村落に提供までされている。五万を超える人口(土地の広さの割には少なすぎる気がするが、それでもこの辺りで一番多いらしい)の七割ほどが、この一次産業従事者だという。

 ただ、自給自足できているとはいえ、やはり俺たちの元の暮らしと比べれば、量、質、共に豊かとは言えない。外人さん顔の割に小柄なのは、異世界だからとも考えられるが、単純に栄養価の問題かも知れない。

 ともあれ、専門知識のない俺たちは、こちらも子供たちに混ざって、これらのうち簡単な仕事に駆り出されるというわけだ。

 ちなみに、通貨は一応存在するらしいが、ルーメンとその周辺ではまず使われることはない。住民の食料などは配給制のような形だし、他の仕事なども基本“助け合い”で回っている。一応、街の長のような人はいるようだが、行政府のようなものがあるわけでもなく、各分野の代表者の集まりが定期的にあるくらい。その各分野も、高度な知識・技術職を除けば厳格な専業制というわけでもなく、できる人間がやる、そして、それに直接の対価を求めるのではなく、できることを与え合うことが対価になっている、そんな感じだ。原始的と言えば原始的だが、ある種の共産主義の理想とも言えるのかも知れない。まあ、何というか、意外に文明的かと思えばそうでもない部分もある、そんなちぐはぐな印象に、始めの頃は戸惑ったものだ。


 そんな戸惑いなどすっかり埋没してしまう程度には、ここの暮らしが日常になった頃、子供たちと共に学んだ『神話』は、俺たちにとってここが『異世界』であること、逆に言えば俺たちがこの世界にとって『異分子』であることを突きつけたと言ってもいい。

 それは、取りも直さず『絶望』でもあった。少なくとも、俺の「帰りたい」という願いにとっては。

 だからといって、それは全てに対する絶望ではない。他の四人にとっても、ショックではあったようだが、誰も生きることを諦めるようなことはない。

 それは少なからず、この街の人たちの人柄のおかげでもあるだろう。俺はあの、三十年以上を生きた世知辛い世の中と言われて久しい社会で、幸運にも人との縁には恵まれていたと思う。それでも、ここの人たちの“温かさ”というものは胸に沁みるものがある。

 彼らの温かさは、俺たちが神託に関わることとは、関係がない。一年近くをここで暮らせば、それが分かる。打算とは無縁の子供たちが、助け合いを当たり前のこととして実践している、そんな、何故か無性に泣けてくるような光景に、疑いなんて持てようもない。

 だからきっと、俺たちにとって『この世界で暮らす』という可能性が、本物の絶望にはなり得なかった。

 ――とはいえ、ここで暮らしていくということを、すんなりと受け容れられるわけでもない。どんな決断を下すにせよ、そのためにまず必要なのは、もっとこの世界のことを知ることだ。そんな想いを新たにした。


「やっぱりヨーロッパなんじゃないかな?」

「……うーん、先入観じゃない?」

「いや、地中海と黒海、紅海もか、水位が上がって繋がればこんな感じかも知れないぞ」

 それは、午前に子供たちと一緒に習った、この街を中心とした地図を前にしての、俺たち五人の議論だった。

「じゃあこっちの地図の下の方の、途中で途切れてる陸地がアフリカ? 離れすぎじゃない?」

「いや、これが地中海で、その水位がイタリアやギリシャをこれだけ沈めるほど上がったと考えるなら、アフリカ北端側もある程度水没してるのかも知れない。ナイル川と紅海の間も水没したから中東側と切り離されたと見ることもできる」

「ナイル川ってそんな東にあったんでしたっけ?」

「俺も『DV2』の世界を考えるときに参考として、改めていろいろ調べた程度で詳しいとまでは言えないけど、そんなに間違ってないと思う。ついでにいえば、こっちはユーフラテス川が西に曲がって地中海に繋がったせいで中東がトルコ側と切り離された形になってるようにも見えるぞ?」

「ナイルにユーフラテス……もし、文明を生んだ河が地形をめちゃくちゃにしてるんなら、なんか皮肉的ですね」

 こういうときに積極的に発言してくれるのは、保科君と結城さんだ。森本君は相変わらず過去の記憶に支障があるようだが、こちらに来てからの記憶は問題無いらしい。発言が控えめなのは元々の性格のようだ。六尾さんは過去のプラズマ発言のように突然しょうもないことを口にすることがある。まあ、空気が読めないというわけではないので、彼女なりのユーモアといえる範疇だろう。

「でも、例えここがユーラシア大陸だったとしても、いろいろ考えられるだろう。未来の他にも、パラレルワールドとか。変化球なら、地球に似せてテラフォーミングした別の惑星、とかな」

「私たちの時代でも地球は温暖化で海面の上昇って言われてたけど……」

「ならやっぱり未来の地球なのかな……」

「まあ、“これ”のせいで余計にバイアスかかってるのは否めない」

 俺たちの目の前にある“これ”とは――小麦粉に水や塩などを加えて捏ねた生地を薄く円形に伸ばし、その上にトマトベースのソースを塗り、野菜などの具材を乗せた上にさらにチーズをのせ、石窯で焼いたもの――はい、端的に言ってピザです。

「可能性ということなら、俺たちの他にも転移者がいるかも知れないし、それがイタリア人で、さらにピザを広めた……とかな。俺たちの身に起こったことを思えば、それも特段不思議なことじゃないけど、なぁ……」

「そうやって可能性って事で考えていけばいくらでも想像はできますし、結局は、分からない、って事ですね……」

「それでも思い込みで決めつけてしまうよりは良いさ。もし、このピザが旧文明から引き継がれているものだとしたら、旧文明の知識ってのは確かに残っているんだ。なら、他にももっと分かる事もあるだろう」

 ちなみに、本当にこの辺りが旧ヨーロッパだと仮定すると、イタリア半島は、よく例えられる“ブーツ”の、スネから先が海没しており、ルーメンはその半島部の南西側、おそらくはローマの辺りになる。ルーメンとローマ、若干音が似ているのがまた判断を誘導されているような気がしてしまい、先入観無しに判断できている自信は無いのだが。

 他には、イギリスがアイルランド含め一回り縮んで、スコットランドの辺りは南と海で隔てられている。ジブラルタル海峡の辺りは、アフリカ側のみならず、イベリア半島側もだいぶ海没して、もはや海峡とは言えないくらいだ。スカンディナヴィア半島はバルト海が北にスウェーデンとフィンランドを分断するような形で、いわばスカンディナヴィア島になっている。ちなみに、そのフィンランドの北部も含めて、ロシアの北半分は黒く塗りつぶされている。ここで習った限りでは、その辺りは人の住めない『死の大地』なのだという。寒さのせいか、魔獣のせいか、あるいは旧文明時代に核戦争でもあったのか、そう呼ばれる理由までは教えられなかったが。

 そんな風に一つ一つ見ていけば、その見方が正しく、やはりヨーロッパなのでは? と思えるが、こじつけだと言われれば明確に反論できるだけの根拠があるわけでもない。地球の海面が上昇を続けたとして、実際の地形的にこうなり得るのかなんて、俺たちの地学の知識程度では判断できないからだ。

「そもそも、こんな詳細な地図を表示できる『太陽神の書』って何なんでしょうね……」

「まあ、タブレットにしか見えないよなぁ……。太陽の下で起動、ってのも、太陽電池的なものにしか思えんし」

「でも、地図とかの記録してあるデータを表示するだけなら分かるけど、私たちのこともあれに表示されたっていうのは……」

「あのタブレット自体に記録されているのは地図とか簡単な図鑑とか、ちょっとしたデータベースだけみたいだし。そうなるとどこかに高度な演算をするサーバが生きてるんだろうが、魔法なんてある世界のコンピュータの処理能力なんて想像もつかないしなぁ」

「未来予知みたいなことができるようなコンピュータがあっても不思議じゃない……?」

「あるいは、次元の歪み的なものを感知して、そこから現れるであろうものを過去のあらゆるデータから計算した未来予測、なんてのも、俺たちの常識じゃ想像もできないような高性能なコンピュータなら、できるのかもな」

「……なんか、こんな話をしてると、自分たちのことというより、みんなでSF作品の考察をしてるみたいですね」

「そうだったらもっと楽しめもするんだけどな……。だが、未来の予知にせよ予測にせよ、それ自体はとんでもないが、タブレットに表示される仕組みはサーバの演算結果をターミナルで受け取ってるだけだろう。どこかで生きてるネットワークが電波を飛ばしているのか、人工衛星か何かから受信してるのか……。なんにせよ、その部分を切り取って見れば、俺たちの世界にも普通にあったものだ」

 そんな意見を交わしていけば、結局「未来の地球かも知れない」なんて考えにまた行き着いてしまう。

「でも……こうして未来かも知れない、っていう根拠ばかり補強されていくと、そのうち行き着くのは絶望じゃないかって、弱気になっちゃいますね……」

「気持ちは分からないでもないが……まあ、さっきも言ったが、なまじ知ってるものがあるせいで先入観込みの推測だ。それに、絶望や災厄をまき散らしたパンドラの箱の底にも希望が残るわけだし。ほら、そろそろ俺らにも呪文を教えてくれるって、言われたばかりだろ?」

 そう、結局、俺たちがまだ本当に絶望せずにいられるのは、俺たちの常識から一番遠い『魔法』なんてものが確かにここには存在していて、そして常識から遠いからこそ、まだ希望として存在するからなのかも知れない。

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