3.光の先は

 ただ続く闇の中を、三十分未満とも一時間以上とも分からない時間を歩き続け、先ほどよりは周囲の様子が見えてきた。

 どうやらあの“光”は、それ自体が光っているのではなく、壁に開いた穴から射しているものだ。穴はそれなりに大きく、人工的な出入り口かも知れない。

 足で探っただけの印象だが、地面にはゴロゴロと小さな土や石の塊と思われるものが転がってはいるが、その下の地面そのものはほぼ平坦に感じる。天井の正確な高さは暗さのせいで窺い知れないが、少なくともジャンプして届く程度の高さではない。おかげで強い圧迫感や閉塞感は感じずに済んでいる。最初に感じた、地下鉄のよう、という直感はそれほど間違っていなかったようだ。

 地面の様子がある程度見えるようになったことで、前進するスピードは知らず上がっていたようだ。気付けば少し、息が弾んでいた。

「すまない。少し焦ったみたいだ。みんなは疲れてないか?」

 振り向いて尋ねると、それぞれから問題無いと返事が返ってきた。

 実際、人を背負っているホシナ君ですら、その息が切れているような様子もない。

(……まあ仕事柄、体力が無いのはしょうがないし? 歳とかの問題じゃねーし?)

 咄嗟にそんな言い訳を考えてしまう自分に、そこはかとない切なさを覚えつつ、再び歩き出した。


 ようやく到着した“穴”はやはり、輪郭が多少崩れてはいるが、それでも人の手が入っている印象を与えるものだった。

 その先には、上に向かう坂道が、ビルでいえば二階分には満たないくらいの高さになるだろうか、割と緩やかな傾斜のために結構長く続いて見える。緩くアーチを描く天井が地面との高さをほぼ一定に維持したまま上がっている点なども、これが人工的なものだと思わせる。

 坂の天井の高さは、身長百七十ちょいの俺が思いっきりジャンプすれば(少なくとも、高校時代の俺ならば……)かろうじて手が届きそうなくらい。横幅は大人三人ほどなら肩が触れずに並んで歩けるくらいか。

 坂を上った先が明るくなっているのは分かるが、そこがすぐ外に繋がっているかまでは分からない。が、何らかの光源があることは間違いないだろう。

「上ってみるしかないか。まず俺が一人で行ってみるよ」

 そう声を掛けて、地面に下ろしたモリモト君の様子を調べていたホシナ君の「お気をつけて」の声を背中に、坂道へ踏み出す。

 時折足下の土がパラパラと崩れて坂を転がるが、足を取られるほどのものではない。実際に歩いてみると、坂としては全くの平坦ではなく、所々段状になっていて、感触としては階段の上に土砂が積もったような感じだろうか。壁は触ると石のような硬さがあるが、手すりのようなものはないので、利用者のためにしっかり整備されていた場所というわけでもないのだろうか。

 ――廃棄され、長く放置されたトンネル。

 そんな考えが浮かぶ。通行用のトンネル、あるいは坑道? いずれにせよ、人の手が入っているにも関わらず、人が立ち入らなくなって久しい場所、そんな空想。となると、毒ガスのような、有害なものが人を遠ざけた原因になっているのではないか、という不安も湧き上がる。

(いやいや、だとしたらとっくにヤバいだろ。余計なことを考えるな)

 とにかく今は、こうして普通に動けていることを無事な証と信じるしかない。そう言い聞かせて、一歩一歩着実に、坂を上った。


「……何にも無いな……」

 坂を上りきったすぐ前方にあった出入り口をくぐり、眩しさに慣れるのを待ってから視線を上げる。映るのは、水色の空、白い雲。少なくともそれは、俺の考える“空”だった。眩しくて直視はできないが、暖色味のある白もまた、俺の知っている太陽と変わらないと思える。

 目線を下げ、水平に見渡す限りでも、これといっておかしなものは、何も無い。一面に広がる土がむき出しの地面には、所々に建物だったものらしき残骸が見えるが、原形を留めている人工物らしきものは見当たらない。今くぐった背後の出入り口も、外から見ると土を盛った小山に開いた穴でしかない。

 見える範囲にある木は、いずれも葉を残しておらず、折れて倒れた木らしきものも数本見えた。目立つ草花は無い。

 ――大きな災害の通り過ぎた後。

 それが率直な印象だ。その“災害”が、自然のものか、人の手によるものかは分からない。だけど、ただ自然に朽ちただけで、こんな淋しい光景になるだろうか? ――そんな、不意に沸き起こった感傷が、俺の見る目を歪めている可能性も否めないが。

 とりあえず喫緊の危険はなさそうか、と判断して、彼らの元に伝えに戻ろうとしたとき、視界に何かが動くのを認め、目を凝らした。

 まだ遠く、断言はできないが、並んで歩く人のように見える。

 入り口の影に隠れてしばらく観察していると、数は四、五人だろうか、それは迷う様子もなく、まっすぐこちらへ向かってくるようだ。

(あれが人なら、現状を知るためにも接触するべきか。だけど友好的である保証も無い……)

 とにかくのんびり考えている時間も無さそうか、と気持ちを切り替えて、急ぎつつ慎重に坂を駆け戻る。

「あ、お帰りなさい」

 ユウキさんが声を掛けてくれるのに目礼を返し、四人とも揃っているのを確認する。

「……目を覚ましたのか?」

 先ほどまで意識のなかったモリモト君が、ホシナ君に支えられ、上半身を起こしていた。

「ええ。だけど、記憶が混乱しているようで……」

 自分が目を覚ました直後のことを思い出し、さもありなん、と思う。自分も助けになってやりたいが、優先順位を間違えないようにしなければ。

「すまないが、まず端的に説明する。上はすぐ外に繋がっていた。外は荒野みたいになっていて何も無い。だけど、遠くから人間らしき数人の人影がこっちにまっすぐ向かって来てるのが見えた。話を聞きたいが、友好的な保証は無いから、全員でいっぺんに接触するのは避けた方が良いと思うんだが……と、ひとまず俺の考えはこんなところなんだが、どうだろう?」

 俺の言葉に、女性陣は戸惑うように見合わせ、ホシナ君はモリモト君を心配そうに見つめながら考えているようだった。

「もし相手が敵対的で、暴力沙汰になれば女性は不利だろう。そのモリモト君がまだ混乱しているようなら周りに知った顔が多い方が良いだろうし、まずは俺一人で接触してみようか?」

 その俺の提案に、ホシナ君は一瞬考えるように目線を落とし、そしてすぐ口を開く。

「……いえ、この場にいて安全である保証も無いですし、みんなで会いましょう。それに、こちらも数を揃えた方が心理的な抑止力になるかも知れません」

 それを、楽観的な願望だ、ということもできるかも知れないが、一理あるとも思う。何にせよ、迷っている時間もない。

「君たちはどうだ? 彼に賛成か?」

 女性陣に話を振ると、二人は手を繋いで頷き合い、ユウキさんの方が「私たちも行きます」と答えた。

「なら、急ごう。多分そんなに掛からずここに来る。どうなるにせよ、明るい場所の方が対応しやすいだろう」

 俺の言葉に、モリモト君以外が頷く。ホシナ君がそのモリモト君を助け起こしながら、状況を説明している様子をちらと確認して、坂を先行して上る。

 判断が速くて良い。彼らがウジウジ悩むようなら、一人で取って返すこともちらと考えたが、杞憂だったようだ。

 彼らは大学生だろうか? きっと真面目な学生だったのだろうと思う。そして、そういう人材がこんな訳の分からないことに巻き込まれてしまっている理不尽に、やり場のない苛立ちを覚える。

 俺一人なら良かった、なんて言うつもりもない。ようやくマスターアップを迎えようというときにこんな訳の分からない状況に巻き込まれたことは、俺だって単純に腹立たしい。できるなら、一刻も早く戻りたい、帰りたい。そして――あいつらの、助けになってやりたい。

 きっと、この場にいる学生諸君と、うちの後輩たちを重ねて見ている部分もあるのだろう。親父が六十手前でぽっくりと、本当に予兆も何も無くあっさりと逝ってしまったことが、俺の中に、若いヤツらに何かを遺してやりたい、という、大げさに言えば使命感のようなもの、あるいは人生観の転換とでもいうものを、もたらした。彼らに降りかかった現状を思って腹を立ててしまうのも、そのせいかもしれない。

(だけど……)

 それは彼らの感情とは関係ないことだし、これから対面する相手だって、俺たちの身に起こったこととは全くの無関係な可能性が高いのだろう。

(だから俺が感情的に振る舞ったところで、誰にとっても、良いことなんてきっとない)

 ならば、あくまでも理知的に、理性的に振る舞うべきだ――坂を上りながら、そう心に戒めた。

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