第2話 美形愛好家

 朝、起きたらパジャマから部屋着に着替える。朝食前に、歯を磨く。朝食はこんがり焼いたトーストと、ドレシッングをたっぷりかけたサラダ、昨日の残りのお味噌汁。学校に行けば、いつもの仲間がいて、馬鹿みたいに笑って過ごす。会社に行けば、いつもの同僚や上司がいて、叱られたり感謝されたりまた叱られたり、何とか昼休みまでを凌ぐ。


 そんな「いつもの日常」を、 “創者そうしゃ” は護る。護るために、力を与えられている。



 ――ギ、ギーッ。


 あぎとがくが「鷺城サギジョウ」家の玄関ドアを開けると、中は暗闇だった。人気はないが、禍々しい空気が充満している。明らかに空気は上から流れてきていた。


出処でどころは2階、ですかね」


 まだ暗闇に目が慣れない中、あぎとは確信をもって天井を睨んだ。しかし守万理すまりは眉をひそめる。


あぎとくん、君の眼は節穴ですか」

「え……?」


 あぎとの後ろに立っていた守万理すまりは唖然として立ち尽くすあぎとを追い抜き、暗がりの奥へと進んだ。一般的な日本の一軒家の間取りから考えて、守真理すまりの向かった先はリビングルームだろう。


「す、守真理すまりさん? そっちからはが感じられません。早く2階に――」

あぎとくん! 伏せてください!」

「――――っ!」


 あぎとが頭を守ってしゃがみ込んだ瞬間。空を切る鋭い音と、玄関ドアに穴が開く音がした。あぎとが恐る恐る振り返ると、やはり玄関ドアにはぽっかりと、半径10センチメートルほどの円形の穴があった。しかもあぎとが立っていたら、ちょうどあぎとの眉間の高さに当たる所に穴が開いている。


「……ぁぁあ危ないじゃないですか、守真理すまりさん! 危機一髪!みたいな時ぐらいは敬語やめません!?」


 あぎとは頭を抱えながら、ゆっくりと立ち上がった。少しずつ目が暗闇に慣れてきて、奥にいる守真理すまりの輪郭がぼんやりと見えた。


「怪我がなかったなら、結果オーライでしょう。敬語は私のチャームポイントなんです。敬語を捨てるくらいなら、まずはあぎとくん、君を捨てたいです」

「『捨てるしかない』じゃなくて『捨てたい』なんですね……世は無情だ……」

「それよりあぎとくん。君、自分の仕事を忘れてないですよね?」


(それよりって何ですか、それよりって)


「……はい」


 守万理すまりはにっこりと微笑んだ。ようにあぎとには見えた。これだから守万理すまりは狡い。自分が美しいということを無意識だとしても分かっているのだ。


「今、玄関ドアに穴が開いたのは『サギジョウリク』が私たちの侵入を拒んだからです。生意気です。ねじ伏せてやりましょう。ほら、あぎとくん。待ちに待った “見せ場” ですよ」


 禍々しい空気は相変わらず2階から流れ込んできていて、しかも徐々に強くなっていた。けれどあぎと守万理すまりの飼い犬である。守万理すまりの勘を妄信し、指示を遂行してこそ、一人前の部下というもの。


「無論、異議無し」


 あぎとは頭の上に乗せていた両腕をゆっくりと開き、眼を瞑った。自身の両瞼に親指を置いて、深呼吸を一つ。



 視ろ。暗闇の奥の、その先を視ろ。


 自分は力を使わなければ、守万理すまりさんのように “判る” ことが出来ないのだから。

 自分は守万理すまりさんとともに闘うことは出来ないのだから。


 死力を尽くして、視ろ。



 ――居た。


 あぎとは渾身の力を親指に込め、両瞼を押し上げた。


「『【開門】』」


 途端、守万理すまりは白い世界にいた。そして守万理すまりの目の前には、うずくまった――何者かが一人。他には何も、あぎとすらいない。守万理すまりも確かにそこにいるが、影は落ちていない。守万理すまりは目の前の塊を見ると、口角を上げた。頭のねじが外れたような、それでいて美しい笑顔。


「……そうです。あぎとくんの仕事は、私の戦場を開けること!」


 守万理すまりが狂気に満ちた笑みを浮かべ、黒い何者かに向かって人差し指を伸ばした頃、あぎとは一人、「鷺城サギジョウ」家の廊下にいた。微動だにせず、先刻と変わらぬ場所で、ただ瞼をこれでもかと押し上げ続けている。爪が柔らかい皮膚にめり込んで、両瞼には血が滲み始めていた。


「はあぁああ……暇だなぁ……」



 ――――――……



「君が『サギジョウリク』ですね?」


 守万理すまりは目の前でうずくまっている黒い何者かを真っ直ぐに指差したまま訊いた。獲物を捕らえた肉食獣のように、とても嬉しそうだ。


「…………あなたは」


 黒い何者かはそれだけ言って、顔すら上げない。体育座りの体勢の上、頭を膝の上に組んだ両腕にうずめてしまっている。極めつきはその頭部すらも覆う黒いフード。これでは性別すら分からない。けれど会話の意思はあるようだった。


「あなたは……死神ですか」


 青年の声だった。どことなく泣いているような、くぐもった声。


「違います。私はの次にえらーい人です」

「…………神……?」

「君は『サギジョウリク』ですね?」


 守真理すまりが問うと、少しの沈黙の後、黒い何者かが答えた。


「…………鷺城サギジョウリクです」


 これを聞いた守万理すまりが笑みを深め、真っ直ぐに伸ばした人差し指に力を込めた――その時。


「あなたは! 神様に会えるんですか!?」


 黒い何者かが、勢いよく顔を上げた。と同時に、被っていた黒いフードが落ちて、その顔の造形がよく見えた。


「…………っ!」


 守万理すまりが慌てて飛び退いてしまったのも無理はない。黒い何者か――青年の顔は、あまりに美しかった。


 鼻は高く、ぱっちりとした二重瞼の形は整っていて、眉も綺麗。唇も主張が強くなく、ちょうどいい。黒々とした髪の毛はサラサラで癖がない。


 ――私が見てきた造形美の中でも、これは…………。


「さいっ、こう、ほう……っ!」


 守万理すまりは感動のあまり頬を紅潮させ、両手で口を覆った。青年の問いに答える余裕など、最早1ミクロンだってなかった。


 そう、の次にえらーい守万理すまりまこもは、自他ともに認める「美形愛好家面食い」なのだった。

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