駆除対象「鷺城戮」について

莫迦堂

第1話 サギジョウリク

 その日のことは、よく覚えていない。

 ただ、空が大きく揺れて、海がすべてを薙ぎ払っていった。

 強大だった父も、恐ろしかった母も、その日に亡くなったらしい。

 遺体は見つからなかった。


 2011年3月11日14時46分。


 自分もその場にいたはずなのに、その日のあらゆる惨状は、聞かされたことしか分からない。


 そして今日、両親が死んでから僕の親代わりだった叔父が死んだ。偏屈で面倒な、でも一等大好きな叔父が死んだ。


 もう、何もかもがどうでもよくなった。


 ただ、神様に逢いたい。



 ***



 7月の昼下がり。長閑のどかな田園風景が広がる小道を、二人の男女が歩いている。真夏の炎天下にはおよそ似つかわしくない、長袖ニットにダウンコートという出で立ちの奇妙な男女だ。二人とも整った顔立ちで、背が高い。


 否、長閑のどかというのは今この町には当てはまらない。警察車両が点在し、厳しい表情で近隣住民への聴取をする警察官がどこを見てもいるような、今のこの町には。


 厚着の男女二人が向かっている先には、一際厳重に規制線が張られた一軒家があった。より一層、警察官の密度が高まっているエリアだ。


「……宮城県東天見ひがしあまみ市、宮ヶ浜みやがはま。こんな田舎町で、一介の男子高校生による大量殺人……有り得ませんね」


「そうでしょうか。僕は彼の名前を見て、合点が行きましたが。あ、あと僕はこういう辺鄙なところ、大好きです」


 男はポケットから端末を取り出し、ある画面を女に見せて言った。画面には「駆除対象『鷺城戮』について」と題されたページが表示されている。


 ――二人は交際関係にあるわけではない。よって、これは地方まで足を延ばした逢瀬デートではない。


 二人が規制線の前に来ると、妙に顔中が脂汗に覆われた痩せぎすの刑事が、二人に恐縮しきった様子で規制テープを持ち上げた。女は刑事に見向きもせず、真っ直ぐに目的地の一軒家に向かって歩いて行った。男は刑事に軽く会釈をしたが、腰を折ることまではしない。


 二人を遠巻きに見やる他の警察官たちも皆、顔色が悪く、大量の脂汗を垂らしている。


「近隣住民108名を無差別鏖殺皆殺し。老若男女問わず、面識の有無すら問わず、一般市民の生を奪ったの力です。納得が行くか否かは問題になりません」


 女は前を向いたままそう言い放つと、立ち止まった。倣って男も立ち止まった。彼らの右手には、一見どこにでも在りそうな、二階建ての一軒家。表札には「鷺城」という筆文字が彫られている。


 女は、その家の二階に張り出したベランダを見上げて、無頓着に言った。


「駆除対象『サギジョウリク』。視認次第、即刻滅殺と致しましょう」

「……無論、異議無し」


 ――日本政府より内々に下された、「サギジョウリク」の駆除処分命令。二人はその遂行のために派遣されたのである。


 昨日未明、この穏やかな土地で、到底信じがたい凄惨な事件が起きた。地元の高校に通う、16歳の男子高校生による一般市民108名の殺害。死因は不明。すべての遺体からは、何らの外傷も、薬毒物中毒症状も見つからなかった。


「入りましょうか」


 女はゆっくりと門を開けた。ギギッという金属の擦れる鈍い音がする。空には雲一つないというのに、目の前に立つ一軒家はどこか重い空気を纏っている。部外者の侵入を拒むような空気。けれどそんな障壁など気にも留めない女は、迷わず玄関ドアの前まで歩いて行った。


 初めは躊躇いを見せていた男も、女の後を追う。すでに玄関ドアの前に立った女は、目を瞑り、ドアに手を押しつけている。男は恐る恐る「鷺城サギジョウ」家の敷地に足を踏み入れると、衝撃を受けた。


「…………!」


 言葉では言い表しきれない、鉛よりも重くのしかかってくる靄。そのどす黒い靄に全身を圧し潰されると同時に、精神をもぎ取られそうな感覚に陥った男は、堪らず叫んだ。


「……守万理すまりさん!」

「何ですか」


 守万理すまりと呼ばれた女はゆっくりと振り返った。ここに来るまで一度も崩れることのなかった守万理すまりの鉄面皮は、男の表情かおを見て初めて揺らいだ。


「……どうしたんで……」

「帰りましょう!?」

「……なぜ」

「応援を呼んだ方がいいと思うんです。僕らには手に余る……」


 守万理すまりは目を見開いた。普段は上司である守万理すまりの決定に抗う発言を、簡単にするような部下ではなかった。少なくとも、恐怖に従順な男ではないはずだった。けれどその部下が今、酷く青ざめて取り乱している。


 守万理すまりは目の前の一軒家を見上げ、睨みつけた。


あぎとくん。私は誰ですか」


 突然名前を呼ばれた男――あぎとは脂汗を垂らしながら答えた。


「 “最強の盾” 、内閣府ないかくふ高等こうとう秘匿ひとく征正せいせいきょく、局長です」


 守万理すまりは頷くと、再び問うた。


「そして?」

「…………」

「言いなさい」

「……言いたくないです」

「言いなさい」


 別の脂汗も垂らし始めたあぎとは観念したように俯き、小さく言った。


の次にえらーい人、です……」

「そうです。そして君は『の次にえらーい私』の相棒です。他に何か必要ですか」


(ああ、この人は。本当に敵わない)


「……あなたの下で働ければ、他に何も要りません。守万理すまりさん、歩みを止めてしまってすみません。行きましょう」

あぎとくん、先導はあくまで私の役です。君如きが私の台詞をらないでください」


 気付けば守万理すまりはいつもの鉄面皮に戻っていた。あぎと守万理すまりの横に並ぶと、守万理すまりは再び目の前の玄関ドアに掌を押し当て、瞼を閉じた。


 あぎとはみるみるあの靄の気配が薄れていくのを感じた。顔を覆っていた汗が大気に溶け込んで、身体の熱を奪っていった。場違いな爽快感。憑き物が取れたかのようだ。


あぎとくん、この家にこびり付いていたの力は整えました。あとは君が良きようにしてください。私が先陣を切りましょう」

「無論、異議無し!」


(僕たちはただの上司と部下で、それ以上でもそれ以下でもない。でも、僕はこの人の強さに焦がれてやまない。何があっても動じない、揺らがない強さ。「芯が強い」とは少し違う)


 この「守万理すまりまこも」という人間の芯は、僕程度の小童に到底視えるものではないからだ。


「やっぱり、守万理すまりさんは “最強” ですね」

「分かり切っていることを言ったところで、私からは何も出ませんよ」


 素直に褒めても相変わらずブレない返しをしてくる上司、守真理すまりの高慢ちきな発言に、あぎとは後ろ頭をかきながら苦笑した。


「……何だか損をした気分です」

「なぜ?」

「……すみません、何でもありません。忘れてください」

「そうですか。のなら、今後はに口に出さないように」


(前言撤回。守万理すまりさんは「最悪」の上司だ……)


 あぎと内閣府ないかくふ高等こうとう秘匿ひとく征正せいせいきょくの副局長である。局長・守真理すまりの直属の部下にあたる。


「――近隣住民108名を無差別殺害、恐らく “壊者えしゃ” の卵に成り得る者。『サギジョウリク』の駆除処分をこれより開始」

「いいから早く入りなさい、あぎとくん」

「僕だって少しは見せ場が欲しいんですよ!」



 ――病は瞬く間に世界中へと広がり、民族間の小競り合いは国家間の戦争へと発展する現代。世界は “創者そうしゃ” と “壊者えしゃ” の支配下にある。


 世界を構築するものやこと、概念などを意のままに操る、 “ぬし” 。 “ぬし” と呼ばれるこの特別な人々は “創者そうしゃ” と “壊者えしゃ” に二分される。


 創り出す “ぬし” 、それは正に働く “創者そうしゃ” 。彼らは世界が、人間が、「いつもの日常」を繰り返すためにる。


 壊し滅す “ぬし” 、それは負に働く “壊者えしゃ” 。彼らは情動の赴くまま、あるいは何らかの反創者そうしゃ的思想や目的を掲げ、「いつもの日常」を止めるためにづ。


 守万理すまりまこもあぎとがくは “創者そうしゃ” である。己に課された義務であり使命である「いつもの日常」の守護のため、今日も駆除対象の滅殺に臨む。

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