大学3年 ーシンの物語ー
第65話 あなたのヒーローになりたい
先生と飲み会をした後の3ヶ月間、俺と雄馬とカンキ君は、学校やバイト、子ども食堂以外の時間は自宅や借りたスタジオでバンドの練習をしていた。
雄馬はもうギターを2年くらいやっているだけに凄く上手かったが、俺とカンキ君はとにかくついて行くのに必死だった。俺は歌うくらいなら何とかやれると甘く考えていたが、練習すればするほど奥が深いことが分かって気持ちが何度か折れかけた。
先生は月に1回、集まりに参加してくれた。俺ら2人は猛特訓の末に何とか形になって、経験者の先生と雄馬の足を引っ張らないレベルにはなったと思う。
バンドの練習と平行して、定期的に颯太や健と会うようになっていた。NPO法人を設立するための勉強会と称して、調べたことを共有したり、意見交換をしていた。
そんな忙しい日々を送っている間に、俺は大学3年生になっていた。ちょっと前に、エレナちゃんからレインが来て、今年、美容の専門学校を受験する事、カリスマ美容師に憧れている事、高校卒業後は学校の指定の寮に入り、学費は奨学金やバイトでなんとかする予定である事などを知った。
応援の言葉と共に、今度うちに遊びに来てよと返信したら、今は忙しいから落ち着いたらね、との回答だった。高校の友達同士で髪のスタイリングをし合って、練習しているそうだ。あの依存的だったエレナちゃんが、今、自分の夢に向かって逞しく進んでいる。
「凄いな、人って変わるんだな」
熱くなった目頭を押さえて俺も頑張らなくてはと上を向いた。
***
4月中旬、久しぶりにゆかりから連絡が来た。いつもの様に同中4人で飲もうと提案したら、今回は2人だけで会いたいのだという。
16時頃、待ち合わせに指定されたお台場海浜公園に着くと、凜とした佇まいのゆかりがいた。さぁっと吹いた風が、ゆかりの髪をさらりと靡かせた。
「ごめんね、新くん。忙しいのに」
「いいよ、全然大丈夫」
「……子ども食堂の方は順調?」
「あ、そうそう! 凄いことあってさ、高校の時、
ゆかりが少し驚いた顔をして、右上に目をやった。
「たしか……新くんが一時期悩んでた人だよね。不登校で学校辞めちゃった……」
「そう。なんか偶然、颯太が秋葉原のカードショップで会ったらしくて。あいつ、高校、転校した後、家で色々あったみたいだけど、今は落ち着いて大学行ってるみたいでさ」
「え、そうなんだ! 良かったね!」
「うん。それで不登校から立ち直った先輩としてボランティアに参加してほしいって颯太と一緒に誘ってるんだよね。めっちゃ嫌そうだけど、でも飲み会に誘ったら、それは来てくれるって言うし。もうちょっと仲良くなったら参加してくれるかもしれないんだ」
「そうなんだ。曳谷くん、手伝ってくれるといいね」
「うん。NPO法人の設立に向けてメンバーも増やしていかないとだからさ。なにより曳谷のことはずっと心の奥で引っ掛かってたから、元気そうで安心したよ」
「そうだね。皆、順調そうで良かった。私も嬉しいよ」
そう言って優しく微笑んだゆかりは眼前に広がる海に視線を移した。風が吹く度に現れる
「新くん」
ゆかりと目が合った。
「何? ゆかり」
「今年ね、私、司法試験予備試験を受けてみることにしたの」
「ええ!? それって凄い難しいやつじゃなかったっけ?」
「うん。これに合格するとね、司法試験の受験資格が得られるの。そしたら、司法試験を受けて、それに合格したら司法修習を経て弁護士になれるの」
「べ、弁護士?」
ゆかりは法学部だが、
「実はね、ずっと考えてたんだ、弁護士いいなって。でも私なんかがなれるのかな、目指していいものなのかなってずっと悩んでたの」
「そうだったんだ」
「でも、新くんがアネ広の子たちを救おうって頑張ってる姿を見て、元気もらったの。私もいつまでもくよくよしてられないなって」
潮風が静かな空気を運んでくる。
「今度受ける予備試験っていうのは、弁護士になるための第一歩なの。難しくて合格するかなんて分からないし、自信なんてないけど、でも悩むくらいならもう前に進みたいと思ったの」
ゆかりが俺に向き直った。真っ直ぐな瞳の奥に希望の光が見える。
「だからね。応援してほしいの。してくれる?」
「うん! もちろん! 全力で応援するよ」
「ありがとう」
そう言うとゆかりはふっと柔らかく笑って、俺から視線を外した。彼女は遙か遠くにある水平線を眺めた。
「……あのね、高校2年のあの事件の時、私、凄い怖かったの。新くんが誤解されちゃったまま起訴されちゃったらどうしようって。無実の罪を着せられたら、どうしようって不安で不安で。でも、私、あの時、何も出来なくて。ただ、スマホを見て震えることしかできなくて」
「うん」
「ニュースサイトの中には、新くんが女の子を刺したと思われる、みたいな誤ったものもあって。そんなこと絶対あり得ないって信じてたけど、SNSで新くんを非難したり、高校を特定しようとしてる人を見る度に怖くて怖くて涙が出たの。翌日、誤解が解けてから、皆、掌を返して新くんを賞賛したけど。でも、私はあの時の恐怖が忘れられなかった」
「……ゆかり」
「それで思ったの。あのまま誤解が解けないままの人がこの世の中にいるんだって。それって、どんなに苦しいだろうって。今も冤罪で苦しんでる人がこの国にいるなら、そういう人を助けたいって思った。それが、法学部に進もうと思った理由なの。でも、法学部に入って、司法試験の難易度とか、仕事の難しさとかを知っていくうちに自信がどんどん持てなくなっちゃって。こんな引っ込み思案な自分が人を弁護するとか無理かなって」
「そんなこと……」
「でも、新くんが、あの事件を乗り越えて新宿でボランティアしてるって聞いた時、感動したの。この人は目標のために恐怖心を乗り越えられたんだって。そしたら、私も頑張らなきゃって」
再びゆかりと目が合った。照れくさくなって、今度は俺が視線を逸らした。
「凄いな。ゆかりは。そんな事考えてたんだ。立派だよ」
「ううん。私は新くんをヒーローだと思って、頼ってばかりで、自分に自信が持てなかった。誰かを助けようっていう気持ちが湧かなかったし、私みたいなのがヒーローになれるわけないって思ってた。でも、そんな気持ちはもう捨てたいの。これからは新くんみたいに、私も誰かのヒーローになりたいの」
「ゆかり……」
中学の頃の記憶が蘇ってくる。ゆかりは生まれつき髪の色素が薄かったため、同級生に髪を染めていると疑われ、イジメられていた。俺はその現場を目撃する度に、ゆかりを庇い反論していた。幼稚園からゆかりと一緒だった俺は、ゆかりの髪色が生まれつきであることを誰よりも知っていた。
「新くん、覚えてる? 中学に入学した時の最初のホームルームでさ、先生に髪を染めてるじゃないか! って皆の前で怒られた時に、新くんがすかさず立って、ゆかりは染めてません! 生まれつきです! 僕が証人です! って言ってくれたよね。あの時、凄く嬉しかった」
「はは、そんなことあったね」
「あの時から、貴方はずっとヒーローで、憧れだった」
「……そっか」
照れくさくなって俯くと、ゆかりが語気を強めて話を続けた。
「私、弁護士になって冤罪の人を救うヒーローになりたい。でもね、もう一つ、大切な目的があるの」
「何?」
「新くんはヒーローだけど、無茶ばかりするでしょ? また冤罪をかけられそうになったら、私が守ってあげたいの! 実はそっちの方が理由として大きいかも」
ゆかりはそう言って、頬を赤らめながら微笑んだ。
そんなに俺のことを想ってくれていたのか。色んな思いが込み上げてくる。思えば、ゆかりはいつだって俺に寄り添ってくれていた。俺を理解しようとしてくれていた。
(ああ、今、わかった。この感動を、この感情を人は――――)
風が、止んだ。
固まった気持ちを伝えるために、彼女を見据える。
「ゆかり。まだ、俺にもゆかりを守らせてくれよ」
「うん。予備試験の応援してね。大変だから、気を病んじゃう人も出てくるんだって。新くん、私が病まないように支えてね」
「そうじゃなくてさ……」
「え?」
「ゆかりを隣で支えたいんだ」
「……それって……」
口元を手で押さえたゆかりの大きな瞳から涙がこぼれ落ちた。
美しい雫が
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