第57話 前進
8月下旬の日曜日、俺は新宿駅から徒歩約20分、アネ広から徒歩約10分のところにある居酒屋カワちゃんにいた。この居酒屋では店主の
俺は自身の経験から、アネ広の若年者に食事と勉強のサポートを提供したいと考え、この居酒屋に連絡した。そして歌話さんと話した結果、まずは子ども食堂の活動に参加することになった。
最初に歌話さんに電話をした時、彼が俺の事を知っていたのですぐに打ち解けることができた。何でも、アネ広でルイからエレナちゃんを救った事件を覚えてくれていたらしい。当時、新聞等には俺の名前は載っていなかったが、アネ広周辺では
こども食堂の開店5分前、テーブルを拭きながら大柄の男性――――歌話さんは優しそうに目尻を下げながら俺に話しかけてきた。
「いや~、まさかあの藍見君がボランティアで参加してくれるなんて思わなかったよ。藍見新なんて珍しい名前だし、何か聞いたことあるな~と思ったら、まさかあのヒーローだったなんてね」
「いや、そんな」
「ホント凄いですよね!」と、ボランティアの福原さんが声を弾ませて同調する。ポニーテールの彼女は20代後半くらいの女性で、福祉関係の仕事をしているらしい。
素敵な笑顔の彼女に見つめられて、紅くなった顔を隠すように下を向いた。
***
午後4時半になって店を開くと、3組11人の子ども達がやって来た。黒系統の服装が、彼らの青白い肌を更に目立たせていた。皆一様にほっそりとした体型で、ダラリとした雰囲気を纏っている。明るい照明の下では余計に痩せて、やつれて見えた。年齢は中学生から高校生といったところだろうか。おそらくアネ広の子たちなのだろう。
彼らに順番に声をかけて席に案内する。こちらの呼びかけに「はい」とか「うす」とか返事はあるが、どれも小声でぶっきらぼうな調子だった。
席についた彼らに次々と食事を提供していく。この子ども食堂で使われる食材は、居酒屋の余りは勿論、企業や個人からの寄付もあり、食事の内容としては充実していると思った。目の前に置かれた温かい食事を見た彼らは、そのキツい表情の裏に籠めている警戒心を解いて頬を緩めた。
また一組、お店に入ってきた。ピンクと黒の地雷服の女の子が、二人並んでいる。席を案内すると、ネイルをした両手をグーにしてフリフリと動かし、楽しそうにはしゃいだ。まだ13歳くらいだろうか、そのあどけなさを隠すように背伸びしたメイクを塗った顔が、まるで必死に武装しているかのようで心が痛くなった。彼女達が食事をする光景を見ながら、これで少しはパパ活しないで済むようになるかな、なんて考えていた。
***
2時間の間に30人くらい子どもたちが来て、子ども食堂は無事に営業終了となった。居酒屋は30分の休憩を挟んだ後、19時から通常営業をするという。歌話さんが「お疲れ」とまかないの目玉焼き乗せ豚丼を出してくれたので、有難く頂いた。
その後、普通の居酒屋営業となったため、俺は何となくそのまま店を手伝った。他の居酒屋でバイトをしているから、割とすぐ仕事に慣れることが出来た。
結局、営業終了の24時まで手伝ってしまった。俺がジョッキを洗っていると、後片付けをしながら歌話さんが話しかけてきた。
「悪いね、結局最後までいてもらっちゃって。藍見君、すごい動いてくれて助かったよ」
「いえ、まかない頂いちゃったんで、これくらいはさせてください」
「ええ~。気にしなくて良かったのに。悪いね」
「いえいえ」
歌話さんが冷蔵庫を閉めてから、少し緊張した口調で俺に尋ねた。
「ところでさ、最初に電話かけてきてくれた時、勉強教えたいって言ってたよね。それってどういう事か、聞いていい?」
「あ、はい。……俺、アネ広の子ども達をどうやったら救えるのか、自分には何が出来るのかってずっと考えていたんですけど、結局、今、俺にできることって食事と勉強のサポートかなって思って」
「うん」
「勿論、虐待されている子が家から逃げ出せるサポートとか、行政に繋げるサポートとか、心の相談窓口になるとか色々考えたんですけど、そういう方は専門にやられてるNPO法人さんが既にいたのと、心理カウンセラーみたいな資格とか福祉の知識とかが結構ないと厳しそうだったので……」
「なるほどね。それで、食事と勉強なら提供できると」
「はい。やっぱり食事は絶対必要ですし。ご飯を食べられないと、パパ活したり窃盗したりしちゃいますから」
ふむと言って、歌話さんはキッチンの台を拭き始めた。
「勉強はなんで?」
「勉強、というか知識はやっぱり独り立ちするのに必要かなって。俺、友達に元アネ広の人が二人いるんですけど、家を借りるときに賃貸借契約書ってあるじゃないですか。その契約書の内容を、二人とも中々理解できなかったんですよね。漢字が読めなかったりして」
「あ~。なるほどね」
「その他にも、国民健康保険のことを知らなかったり、銀行の金利もあまり理解できてなかったり。彼らは事情があって、中学もあまり通えなかったから仕方ないんですけど。でも、このままじゃ、やっぱり心配だなと思って」
「それで、国語とか社会とかの勉強を教えたいのね」
「そうですね。まずは、そこが大事かなって。ゆくゆくは5教科教えられたらいいな、なんて思ってますけど。まぁ、でも最初は国語からだと思います」
台を拭く手を止めて、「うちで塾みたいなのをやりたいって事か」と歌話さんは呟いた。
「はい。今日、実際ボランティアに参加して分かりましたが、一番お客さんが多いときでも、3席は空いてるなって。その3席で、希望する子どもに勉強を教えられたらいいなと思って」
「なるほどね~……」
「すみません。まだ、あくまで理想を語ってるだけなので、実現できるか分からないんですけど。ご迷惑でなければ、ここでそういうことやらせてもらえないかなって……」
歌話さんは難しい顔をして、腕を組んでから「う~ん……」と唸った。
「すみません。やっぱりご迷惑ですよね……」
「いや、面白いな~と思って」
「え! 本当ですか?」
歌話さんは「うん」と頷いて、笑顔を浮かべた。
「俺もさ、小さいころ母子家庭で子ども食堂に通っててさ。ご飯を食べさせてあげるってことしか頭になかったから、いや、今時の大学生はそんなこと考えるんだってビックリしたよ」
「いや、はは。俺はちょっと色々あったので」
「まぁ正直、何をどこまでやれるのか分かんないけど、とりあえずソレ、やってみようか。いいよ、子ども食堂の時は3席使って」
「良いんですか!? ありがとうございます!!」
「じゃあ、勉強教えられる人も募集しないとな」
「はい! 俺も大学で知り合いに声かけてみます」
その後、閉店準備が終わってから、歌話さんは俺に「今日の分」と給与をくれた。俺は断ったが、胸に押し当てられたので有難く頂戴した。俺の店で働いてよ、なんて冗談交じりに笑っていた。
***
それからはまた、学校が始まり、授業やらバイトやら、こども食堂やらで忙しい日々を過ごした。子ども食堂のことを学校の友達に話してみると、興味は持つものの、参加するとまで言ってくれる人は現れなかった。居酒屋のYのアカウントやブログ等で情報を発信するも、なかなかボランティアの参加者は増えなかった。
俺は店内の3席を貸して貰い、たまにやる気のある子の勉強を見たり、毒親だと言う子の相談を受けてNPO法人のサービスを教えたり、児童相談所の情報等を伝えたりしていた。だが、ボランティアは基本、俺と福原さんしかいないので、十分に支援できているとは言えない状況が続いていた。もどかしい中でどうしたら良いのか分からないまま時間だけが過ぎていった。
◇◇◇◇◇
【親愛なる読者の皆様】
本日2話目です!
遅くなって申し訳ありません!
宜しくお願いします(^^)
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