第52話 本当の姿
遡ること8時間――――。
さきほど終わった6回目の電話も「式美先生はいません」との回答だった。しかも、これ以上電話をしてくるなというオマケ付きだ。
「ダメだなこれ以上は。もう強硬手段しかねぇよ」
雄馬がそう言って、スマホを弄っている。
「今日の天気、夜は19時から降水確率40パーか。微妙だな。降らなきゃ良いけど」
「え、今日行くの?」
俺が驚いて尋ねると、雄馬は当然といった感じで「ああ」と返した。
「こういうのは早いほうが良いだろ。6月になると梅雨で余計大変になるし」
「た、確かに」
「もうさっさと行っちゃおうぜ」
雄馬のその言葉で、カンキ君と美夜子先輩を含めた俺たち4人は、
ここで先生を待ち伏せしようという作戦だ。
時間は18時過ぎ、藍色に染まった天を見上げる。厚い雲が広がっているが、雨はまだ降りそうにない。俺らは駐車場の一番奥にある、大きい車に身を隠した。
東橘病院は小高い山を少し登ったところにある大きな病院で、病院を取り囲むように多くの木々が植えられていた。空の明度が下がっていくにつれ、木々の影が濃く延びていった。
「これでも飲んで待つか。はい、ミヤセン、かんちゃん、シン」
雄馬は持っていたビニール袋からお茶を取り出し、メンバー全員に配った。
「なんや、チャラ助。ウチのだけメロン紅茶やないの。気ぃ効くな」
「惚れてまうでしょ?」
雄馬が指ハートを作って笑ったので、先輩は呆れ顔をした。先輩は雄馬のことを、いつのまにか「チャラ助」と呼ぶようになっていた。
「アホかぁ! あー褒めて損したわ!」
「なぁ。もう座らね? 疲れたわ」とカンキ君が地べたに座る。
皆もそれに続いて、4人でサークル状に座ってお茶を飲んだ。
「これ、飲み過ぎてトイレ行きたくなったらまずいな」と俺はペットボトルを見つめた。
「シン、緊張すると催すタイプだもんな!」
「ちょ、雄馬……」
「トイレなら、この山、
「……ちなみに、ここから、そのコンビニまで何分くらいかかる?」
「え~、オレが下りた時は、13分くらい?」
「……」
俺は一口だけ飲んで、ペットボトルの蓋を閉めた。
「なんや、新。男なんやから、小ならそこらの草むらですりゃええやろ」
「ちょ、ミヤセン。紅茶で酔ったんすか? ダメっすよ、そんなこと」
「冗談や、冗談」と先輩は笑った。
先輩の場合、冗談に聞こえないんだよなと思いながら
それから、くだらない話で盛り上がりながら、先生を待った。時折、駐車場に入ってきた人を確認する。
「チャラ助。あの人は、ちゃうの?」
「え~……。シキセンじゃないっすね。シキセンはあんな太ってないし。もっとスラッとしてる」
「また外れかいな」
先輩はフーッと息を吐いて頭を掻いた。待機してから、既に1時間半が経過している。そろそろ話題も尽きてきた。辺りはすっかり闇で覆われ、近くにある照明が
雨が降っていないのは有難いが、流石に4台の車を見送って皆、疲れが顔に出ていた。カンキ君は雄馬のポータブル充電器にスマホを繋げながら、ゲームをしている。
お尻の痺れを体勢を変えることで誤魔化しながら、ひたすら、その時が来るのを待つ。
「なぁ、雄馬。本当にここで待ってれば先生来るんだよな?」と俺が訊くと、雄馬は「多分」と答えた。
「多分ってなんやねん」と先輩がツッコむ。
「シキセンが車通勤なのは確実だから、後は出てくる時間次第だな。緊急の手術が入らなければ夜8時くらいには帰ってるって聞いたから」
「当直はどうなんや」
「とうちょく……?」
一瞬、時が止まった。
先輩の顔がみるみるうちに驚きと不安で歪んでいく。
「お、おま!? 確認してへんのか!?」
「ええ!!?? な、な、なんすか!!???」
雄馬が焦ったように聞き返す。
先輩は「はぁぁぁぁ」と長い溜め息をした後、ゆっくりと話し始めた。
「……ま、まぁ知らないのもしゃーないか。うん、うん……」
俺は「何でしたっけ、それ……」と、
「……まぁ、夜勤みたいなもんや」
雄馬の顔がサーッと
「そこまで、聞いてない・・・・・」
「雄馬、さっきから聞いたって誰に聞いたの?」
「例の看護師」
「ああ、あの雄馬が色仕掛けした人か」
「おまっ、そんなことしとるんか!?」
「違いますよ~ミヤセン。勝手に女性から寄って来るんすよ。仕掛けて無いっすよ」
「はあ~ホンマ、このチャラ助は」
「な、腹立つやろ?」と、ずっとゲームをしていたカンキ君が呟いた。
「初めてお兄ちゃんと気が
「え?」
ショックを受けてるカンキ君に構わず、先輩は話を続けた。
「当直やったら、たぶん先生出てくんの翌朝やで。下手したら、そのまま日勤やって出てくんのは明日の夕方や」
「ええー!!??」と、思わず俺と雄馬は声を上げた。
「医者ってそんなヤバい仕事なんですか?」と俺が聞くと、先輩は渋い顔で答えた。
「そうや。えらい激務やで」
「先生、そんな中でプロジェクトとか、頑張ってやってくれてたのか……」
俺が目を伏せると、先輩が俺の肩をパシッと叩いた。
「先生にちゃんと今の気持ち、伝えた方がええで。きっと喜ぶ」
「喧嘩別れしたのに、ですか?」
「シキセンなら大丈夫だって」と雄馬が俺を見た。
「そうかな……」
「でも、流石に明日の朝まで待つのはキツイで」とカンキ君が顔をしかめた。
「そうだよね」
話し合った結果、皆の予定もあることから22時半までは待って、それでも駄目なら今日は帰ろうという事になった。
「10時半まで待って来なかったら無駄足やなぁ」
「お兄ちゃん、弱音吐かんといて」
「カンキ君、頑張ろうよ。きっと先生来るよ」
「それフラグやないやろな? 悪い方の」
カンキ君がジト目で俺を見る。
「ちょ、お兄ちゃん! 縁起悪いで!」
「かんちゃん、皆、ごめん。オレの確認不足で……」
「ちょ、チャラ助! アンタまで落ち込まんといて!! あーもう。アホなんやから悩むな!!」
「うわ……、ミヤセンのツッコミ、キツ……」
「ちょ、先輩。励まし方がエグいですよ。もっと言い方あるでしょ!?」
「んあ?? 大阪ではこれくらいツッコマなマナー違反やで??」
「それ、先輩だけじゃないんですか?」
「やかましい! あほ!」
「ハハハ。大阪行きたくねー。メンタルやられそう」
「お前はチャラいから大丈夫や」
「それ、どーゆう理屈?」と雄馬が苦笑した。
なんだかんだ、先輩のおかげで辛い気持ちが紛れてきたころ、また一台、駐車場から車が消えた。今、残っている車は3台、1台は俺らが隠れ蓑にしている車、一台はすぐ近く、右前方にある車。最後は、まっすぐ先に30メートルくらい離れている黒い車だ。
「もし、あれが先生の車だったら、顔の確認大変だな」と俺は不安を口にすると、雄馬も眉根を寄せた。
「ホント。暗いし、遠いし。顔の確認してる間に車に乗り込まれたらヤバいな」
「それ最悪」
そんなことを話していると、ポツポツと雨が降ってきた。
(うわ……、マジか……)
全員腰を上げて、傘をさす。
時刻は22時になろうとしていた。
「あと、30分くらい待って駄目なら御開きだな」と雄馬が呟いた。
「なあ、ちょっくらコーラ
「駄目だよ、カンキ君。そういう時に限って来るんだから」
「そうやねんな~」と言うと、カンキ君はゲームを再開した。
「あ~もう。結局、最初からチャラ助、アンタがアポ取りゃ良かったんや」
「ええ、無茶言わないでくださいよ。ブチギレられますって。キレてるシキセン、マジで怖いんすよ。こう、グワーって言う感じで圧が来るっていうか」
「なんやそれ。さっぱり分からん」
「俺は分かるぞ、雄馬」
「流石、シン。な、こえぇよな?」
「うん。普段静かな人ほど、怒ると怖いって本当なんだなって思うよ」
「はぁ。ホンマ、チャラ助は悪い患者だわ。ドタキャンして、連絡も途絶えるとか、医者からしたら迷惑なやっちゃで。ウチが医者になったら、お前の主治医になって教育したるわ」
「こーわ! ヤバいヤバい、ここに鬼医者の卵いる。シン、助けて」
「雄馬は1回、教育された方が良いかもな」
「ちょ、シンまで」
話しているうちに段々傘を叩く雨音が強まってきた。靴下まで雨水が侵入してくる。
「うわ、靴ん中、気持ちわりぃ。シキセン、早く来ねぇかな」
スマホを弄ってたカンキ君が、「あっ」と声を漏らした。
「なぁ……10時半、なったで」
カンキ君は持っているスマホを俺たちに見せた。暗がりの中、光っている画面には10:31の文字が表示されていた。
「……」
全員黙り込み、重い空気が流れる。そんな空気を払拭するかの様に俺は努めて明るい声を出した。
「さ! 皆、帰ろ! 帰ってサッサと寝よ!」
「ごめん、皆」
「チャラ助! 次それ言うたらビンタするで!」
「な、なんでっすか~」
「俺は、はよ帰って、ごっつコーラ飲みたいわ」
皆で病院の裏にある出口に向かって歩き始める。湿気と怠さが纏わり付いた体を懸命に動かす。
カンキ君と先輩と話ながら数歩歩いたところで、雄馬がついてきていないことに気付いた。
「……? 雄馬?」
振り返ると、先程まで俺らがいたところで、遠くを見つめながら立っている。
「雄馬? どした?」
雄馬が前を指差しながら、俺を見て言った。
「アレ、シキセンぽくね?」
「え!? どこどこ?」と俺は元いた場所に走って戻り、雄馬の指差した遠くの人影を凝視した。
「確かに、すらっとしてるけど……」
(正直、暗くてよく分からない……)
「新、どうなん? 先生なん? はよせい!」と隣に来た先輩がせっついてきた。
「えっと、体型はそれっぽいけど、顔が、見えない。もっと近くに来てくれないと」
「アカン! こっから一番遠い車に向かってるで!」
「待って待って、顔見えない」
「シンタロ! もう勢いで行ったれ!」
「かんちゃん、それ人違いだとややこしくなる」
「新! まだか! 車、乗ってまうで!?」
「ああ……ええっと……」
目を凝らす。ザーッと
……あの輪郭……。
「多分、先生!!!」
そう言い終わる前に先輩が傘を捨てて、猛ダッシュで飛び出して行った。カンキ君も勢いよく駆け出す。2つの傘が地面に転がる。
「シン、お前も行け!!!」
雄馬の力強い瞳に促されて、俺は傘を手放し走り出した。
先に行った二人が、先生に向かって全力疾走している。
先生が車の影にサッと隠れた。
(まずい!! 乗られた――――!!??)
「せんせーーーーー!!! 式美先生せんせーーーーー!!!」
俺は走りながら、力の限り声を張り上げた。車はまだ止まっている。二人は車の前に着くと崩れるように屈んで、肩を上下に揺らした。
車の後ろから、先生が困惑の表情を浮かべながら、様子を窺うように現れた。
傘を差してない先生は、二人を見ながら、呆然と立ち尽くしている。
「式美先生!」
二人に追いついた俺は、先生に声をかけた。
「……新君、これは一体?」
「……先生、その二人は……」
1つ息を吐き出してから、先生を見つめた。
「プロジェクトに救われた人たちです」
目を見開いた先生は、時が止まった様に立っていた。
雨がアスファルトを打つ音だけが響く。
やがて、先生の視線が二人の頭上にゆっくり落ちた。
「……そうか」
先生は、そう呟くと、振り向いて車の
そしてその傘を数回振ると、躊躇うこと無く、傘を二人の頭上にかざした。
雨が先生の顔をとめどなく流れていく。前髪が額に貼り付き、
それでも二人に傘をかざし続ける先生を見たとき、この人の本当の姿を、やっと理解できたと思った。
◇◇◇◇◇
【親愛なる読者の皆様】
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
今日と明日だけ、ちょっと長めです(1話5000字前後)
どうか宜しくお願いします。
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