第51話 再会


「式美先生、またお電話です。藍見あいみ新さんという……」

「いないと言って下さい。それと、これ以上の電話は控えるように伝えてもらえますか?」


 転送されてきた電話に、そう答えて切電する。

 藍見新、懐かしい響きだ。私の患者でなくなってから、1年半以上経つだろうか。5日前から急に電話が来るようになって、今ので6回目だ。今さら頻繁に連絡をしてきて何のつもりなのだろうか。


 まさか、何かあったのか。いや、それなら普通に病院を予約して受診すれば良いだけだ。そうしないで、私に直接電話をかけてくる意味。


 ……分からない。また、私を否定したいとでも言うのか。

 

 突然、扉が開き看護師が叫んだ。


「先生! 急患です!」

「分かりました。今行きます」



***



 脳梗塞の緊急手術が終了した頃には外はすっかり暗くなっていた。オペ記録を書きながら大きく溜息ためいきをついて、カレンダーを見る。もうあずま先生が亡くなって、一年以上が経過した。

 この一年で研究を取り巻く環境は大きく変わった。東先生という、圧倒的な先導者を失って、このプロジェクトから抜ける者が続出したのだ。

 

 また僅かにプロジェクトに残った者も足並みが揃わなくなっていった。元々、生命倫理上、問題のある研究だ。精神的支柱を失えばこうなることは予想できたが、それでも自身の力不足を痛感した。それと同時に、自分の中にも迷いが生じてしまっていた。自分がしているこの研究は果たして、本当に人を、子どもを救っていることになるのだろうか。


 藍見新、この研究を真正面から否定した者。彼は私と同じく替生手術を受けて出生し、ドナーの記憶を引継いで想起し、その記憶に悩み苦しんだ者。その果てに、この替生手術の存在そのものを否定した者。

 私は、彼ならばこの研究を、思想を理解してくれると信じていた。替生手術を受けた者の中で、彼の生活環境はとりわけ恵まれていた。また彼自身も中学のころまでは溌剌はつらつとし、人生を謳歌している様に見えた。その姿を見る度に、私はこの研究が間違ってないと確信を深めていった。だが……。


「もう終わりだな」


 小さく笑ってパソコンの電源を落とし、鞄を持って部屋を出る。守衛さんに挨拶をして病院を出ると夜雨よさめの音が聞こえた。

 傘をさし、駐車場に向かう。自分の車が見えて、キーをポケットから取り出した瞬間だった。


 前方約30メートルの位置に止まっている車の裏から黒い人影が2つ飛び出したのが見えた。心臓が跳ねる。


「な!! 何だ!!??」


 見間違いかと目を凝らすと、その二つの影がどんどんこちらに迫って来た。

  

(……!? 強盗!? もしくは夜襲!!??)


 怖気おぞけが一瞬で全身を走り、ぶわっと汗が吹き出した。

 すぐさま車の左側面に駆け寄り、傘を手放し、ドアを開ける。慌てて乗り込もうと車に右足を入れた時、無数の雨音の中から懐かしい声が耳に届いた。


「…………せーーー!!! 式美せんせーーーーー!!!」


 近づいてくるその声に、私の動きが止った。おおがなくなった私の頭を雨が濡らしていく。


「……新君?」



 恐る恐る車のドアから離れて、声のする方を見ると、すぐ近くで2つの人影が立ち止まっていた。

 ハァハァと息を切らせ、肩が上下に動いている。二人とも屈んで、両膝に手をつきながら何かを呟いていた。


「せんせぃ……ありがとう……ウチ、お礼……言いたくて……」

「せんせぇ……俺……手術のおかげで……妹に……」


 二人の頭に雨粒が落ちていく。私は状況の理解が出来なくて、ただ立ち尽くしていた。


「式美先生!」


 二人の後ろから、新君が走って現れた。久しぶりに見た彼は少し大人っぽい顔つきになっていた。二人と同様、彼も傘を差していなかった。

 

「……新君。これは一体?」


「……先生。その二人は……」


 新君は息を整えてから、雨に濡れた顔で力強く私を見据えた。


「プロジェクトに救われた人たちです」


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