第49話 時を越えて


 カンキ君に美夜子先輩のことを話すと、おそらくハルクの妹だろう、と言った。年齢的にもあうし、左目の涙ぼくろという身体的特徴も一致するということだった。


 帰ってきた雄馬にもこのことを話すと、「そんなことあるのかよ」と驚愕の表情でよろけて壁にぶつかった。

 三人で話し合ってから美夜子先輩にレインする。カンキ君のことは伝えず「話したいことがある」とだけ言って、後日家に来てもらうことにした。


 時間通りにインターホンが鳴る。

 玄関を開けると、ダークブラウンの髪が腰まで伸びて少し大人っぽくなった先輩が、相変わらず瓶底メガネを光らせながら笑って右手を振っていた。先輩は渋谷で買った時のパーカーを着ており、左手には頼んでも無いのに飲み物とお菓子がたくさん入ったビニール袋を持っていた。


「新、来たで~。久しぶりやな」


 そう言うと先輩は目線を玄関扉から屋根まで移動させた。


「ほお~……。なんや、ルームシェアやって? ええなあ、楽しそうやん。ウチもしたいわ。最近は……」

 

 見上げた先輩の話がいつまでも続きそうだったので、俺はそれを遮って家に入るように促した。


「あ、とりあえず、ここじゃ何なんで入ってください。どうぞ」


 俺が玄関扉を開けたまま、先輩に中に入るように手を動かすと、先輩は少し緊張した顔になった。


「なんや、いつになく真剣な眼差しやな。まさか……。あー、新。ここまで来といてアレなんやけど、颯太と別れたばっかやから、その、すぐそういうことは、そのアカンっちゅうか。あの、ウチは話を聞くためだけに来たっちゅうか……」と、先輩は唇を右手で覆ってごにょごにょしている。


「いや! 先輩の想像とは別の事なんで安心してください」と呆れながら答えた。

「なんや……なはは! 紛らわしいんや! アンタは! なははは!」

「うわ! 止めてくださいよ!」


 先輩が赤面しながら殴ってきたので、俺はそれを躱しながら「さっさと入ってくださいよ!」と怒った。

 

 「わかっとるわ!」と返した先輩は玄関に入り、靴を脱ぐ。俺も靴を脱いで、先輩の前に立ち、カンキ君の部屋まで案内した。

 引き戸を開けて部屋に入った先輩は、テレビの前に座っているカンキ君を見つけると「あ」と小声を出してペコリと頭を下げた。


「すみません。お邪魔しますぅ……??」

 

 先輩は「部屋間違えとるやろ」とでも言いたげに俺を睨んだ。その顔には明らかに困惑の表情が浮かんでいる。


「み……美夜子なのか?」


 カンキ君が立ち上がって先輩を見ながら呟くと、先輩が「ん!?」と驚いてカンキ君を凝視した。


「……んぇ??? えと……初めまして、ですよね???」

「み……美夜子……美夜子なんやな……」


 カンキ君が先輩を見つめながら両手を前に突き出して、ゆっくり近づいて来た。


「んな!!?? な、な、なんやこいつ!? 新、おい!? 誰やねん、これ!?」


 先輩が目玉を零れんばかりに見開き、俺の腕を強く揺すった。そんな慌てた先輩を見て、俺は思わず失笑してしまった。説明しなきゃいけないのに、笑って言葉が紡げない。


「はははははは、あははは!!」

「おい!! コラ、新! 笑ってないで説明せえ! 誰やこいつ!? 誰やー!?」


 カンキ君が先輩の目の前に来たので、混乱した先輩がコーラの500㎖のペットボトルを袋から取り出し、勢いよくカンキ君を殴りつけた。

 カンキ君の頭がガクンと下がり、彼が「うぐぅ~」とうなった。


 流石に笑いが止まり、「カンキ君!」と彼に駆け寄った。

「おい、シンタロー。ちゃんと説明せぇや」

「ご、ごめん……」


 既に部屋から逃げ出した先輩が、玄関で声を上げた。


「な!? なんやアンタ!?」


 部屋を出て確認すると、雄馬が美夜子先輩の前に中腰で立って、微笑みながら先輩の顔を覗き込んでいた。


「初めまして! オレ、新とルームシェアをしている君影雄馬と申します。美夜子先輩ですよね? シンから凄い可愛い先輩がいるって聞いていましたが、本当にお美しいですね」

「ほ、ほんまにぃ? なはは。アンタもごっつイケメンやで」


 先輩の後ろ姿しか見えないが、声の調子で照れているのが分かった。


「雄馬、ナイス! ちょっと、先輩こっちに連れてきてもらえる!?」

「な! 嫌や、変態がおるんや! 初対面なのに、抱きつこうとしてくるんや! なあ、アンタ助けて!」

「大丈夫ですよ。美夜子先輩の事はオレが必ず守りますから。さ、一緒に行きましょう」


 雄馬の後ろに隠れながら、先輩が再度リビングに入ってきた。一旦、カンキ君には2階の雄馬の部屋に行ってもらって、二人で事情を説明をすることにした。折りたたみテーブルを囲んで三人で座る。一通り説明が終わると、案の定、先輩は額に汗を浮かべながら喫驚していた。


「う、ウソや!? 今のカンキとか言う男が、ウチのお兄ちゃんの脳の一部を移植されて、お兄ちゃんの記憶を持っとる!? あ、ありえへん。そんな……そんな……」

「それが本当なんですよ、先輩」

「な、なんやその話。信じろっていう方が無理あるで、新!」

「ミヤセン、東橘病院に式美っていう脳神経外科の医者がいるんだけど、知ってる?」


 雄馬がテーブルに頬杖をつきながら先輩に聞いた。


「な! アンタもう慣れ慣れしいな……。式美? 聞いた事があるような、ないような……」

「先輩、その人がこのプロジェクトについて詳しいんです。カンキ君が替生手術をしたのは大阪の病院なんで、多分式美先生とは直接関係ないんですけど……。でも、俺らが、このプロジェクトのことを聞けるのは式美先生しかいません」

「え~……??」


 先輩はテーブルに両肘をついて、頭を抱えた。


「なんなん、その話。なんなん? 訳分からんわ。そないなことする意味が分からん。そんなんバレたら、刑務所行きやで。そこまでして、なんで替生手術とかゆうの、やるん?」

「脳欠損症の胎児と、虐待された人を安楽死で救うためらしいです」

「……なんやそれ……」

「お~い、もういいかぁ?」


 突然カンキ君の呑気な声が聞こえた。

 振り向くと、廊下にいるカンキ君が引き戸を開けてひょっこり顔だけ出していた。


「あ、かんちゃん。まだ出てこないで。説得中だから」と雄馬が言うと、カンキ君

は、はぁと息を吐いて、部屋に入ってきた。先輩から2メートルほど離れたところで立ち止まり、腕組みをしながら話し始めた。


「なぁ、お前、美夜子なんやろ? ハルクの妹なんやろ? なんか面影あるから分かるわぁ」

「な!? なんなんアンタ。ホンマに、ホンマにお兄ちゃんの記憶あるん?」

「ま~、そうや」

「ま~ってなんやねん! ハッキリせぇ!」

「いや、俺にはホンマに紫藤ハルクの記憶があるんや。移植されて、あいつの脳が一部やけど入っとるんや。せやから、あいつと俺は一心同体や」

「……」


 先輩は口を結んで左手であごを触り、怪訝な顔でカンキ君を見つめていた。


「カ、カンキ君! 何か説得するネタないの!?」

「おう。あー……。お前、前髪作っとるの、額の傷を隠すためとちゃうんか?」


 先輩の口が開き、数秒遅れて手が口元を覆った。

 そして、「なんでそれを……」と言葉を漏らした。


「右のおでこ、傷あるやろ。縫った後。お前が赤ちゃんのとき、オヤジが暴れて陶器のコップの破片が飛んできて。ほんで右のおでこ切って、縫っとるやろ」


「……その通りや」と先輩はカンキ君を見つめたまま小声で答えた。


「あと、その美夜子って名前。美しい夜の子で、みやこ。お前を出産したとき、病室から満点の星空が見えて、この子は世界から祝福されとるって感動したお母ちゃんがつけた名前や。違うか?」

「……ほ、ほんまにお兄ちゃん……なん……?」


 声を震わせながら、よろよろと先輩が立ち上がる。

 カンキ君が鼻をすすって、続きを話す。

 

「お前を出産して、病院から帰ってきたお母ちゃんがな、やつれてたけど、すげえ嬉しそうで。それまで、よく悩んどった左腕のアザのことも、『どうでもよくなっちゃったわ』って言うたんやぞ」

「お……お兄ちゃん……!!」


 涙声で叫んだ先輩が走り出して、カンキ君に飛びついた。肩が震えて、嗚咽を漏らしている。

 俺と雄馬はアイコンタクトして、静かにカンキ君の部屋から出た。


 家から外に出ると美しい紅霞こうかが空を流れていた。しばらく、茜色に染め上げられた街を散策してから帰ると、二人は目を赤く腫らして寄り添うように眠っていた。畳の上に座り、カンキ君のベッドの側面に背を預けている。机の上には空のペットボトルが4本置いてあった。それを片付けながら、雄馬が耳打ちした。


「ホント良かったな。こうゆうのさ、オレの家にはないから感動したわ」

「……お前には、俺たちがいるだろ」

「……」


 雄馬は目を見開いた後、ゆっくりとその目を細め「そうだな」と小さく言った。

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