第41話 未来


 3月中旬、涙の卒業式の後、無事同中メンバー4人が全員、進路が決まったため俺の自宅の部屋で合格祝賀会を開いた。今までの思い出を振り返りながら、何時間も話した。

 一池は颯太と同じ大学の医学部を受験したが、落ちてしまったため浪人をするという。見ていられない程、やつれていて可哀想だったと颯太は語った。話を聞きながら俺は一池の窪んだ目を思い出していた。一池は確かに優秀なやつだが、元々、中学の頃の彼は文系だった記憶がある。だから医学部はあってなさそうだと感じるが、橋宮の事があるから諦められないのだろう。そう考えると暗い気持ちになった。

 俺の様子を察した健が気を遣って、「それぞれ別の大学に行ったって、友情は不滅なんだからな!」なんて騒ぎながら盛り上げてくれた。それを聞いて少し気持ちがほぐれた。人生で一番悩み、苦しんだ高校三年間をこの仲間と一緒に過ごせて本当に良かったと改めて実感しながら、楽しい時間は過ぎていった。



***


 次の日、エレナちゃんからレインをもらった。第一志望の高校に合格したことと、昨日中学を卒業したことが書かれていた。友達と一緒に笑顔で卒業証書筒を持つエレナちゃんの写真を見て、俺は感慨深い涙が出た。


 追加のレインを見ると、「あの事件で助けられたこと、まだちゃんとお礼言えてなかったから会って話したい」とあった。エレナちゃんとは、あの事件以来、レインのやり取りはしていたが、会ってはいなかった。事件後、エレナちゃんは男性恐怖症になってしばらく心を病んでいた。去年の夏頃から徐々に回復したらしいが、受験が終わるまではお互い会うのを控えようと話していた。


***


 翌日走野川はしりのがわ駅でエレナちゃんと待ち合わせをした。

 お待たせ、と黒いロングヘアを揺らしながら小走りで現れた彼女は、服装も大人しめで、清楚な女の子という出で立ちだった。暫くぶりに直接見た彼女の印象は、少し大人っぽくなっていて整った目鼻立ちが自然な美しさをたたえていた。清らかな佇まいに思わず見惚れてしまいそうになる。


 二人で走野川はしりのがわの土手を歩く。走野川は東京都を流れ、東京湾に注ぐ一級河川だ。川幅は2キロ以上あり、土手からの眺めは壮観だった。吹き抜ける風はまだ冷たいが太陽の日差しは強く、爽やかなコバルトブルーが一天に広がっている。


 土手を歩いていると斜面に適当な場所を見つけたので、そこの芝生に座ってゆったりと横たわる川を眺めた。


「高校合格おめでとう、エレナちゃん」


 そう言って俺は右隣に座った彼女に、用意しておいたプレゼントを渡した。中身はお洒落な文房具セットと可愛いハンカチだ。俺は女子ウケするものが分からなかったので、雄馬に選んでもらった。

 エレナちゃんは、「ありがとう」とプレゼントの手提げ袋を両手で受け取ると大事そうに抱きしめた。微笑みながら俯いた彼女の頬が少し紅く染まった。


「ねぇ、開けて良い?」


 急に彼女は顔を上げると、俺を覗き込むようにして尋ねてきた。俺はドキッとして、とっさに顔を背けながら答えた。


「うん、いいよ」

「やった。ありがとう」


 エレナちゃんはプレゼントに結んであるピンク色のリボンと、包み紙のテープを丁寧に外しながら開けていった。中身を見た彼女は一瞬驚いた後、ニヤリと笑った。


「これ、新が選んだの?」

「そ、そうだ、よ……」

「ふーん」と言いながら悪戯っぽく笑うエレナちゃんにひやりとした。

「うふふ。じゃあ、そういうことにしといてあげる!」

 

 そう言って彼女はプレゼントを包み紙でもう一度包むと手提げ袋の中に戻した。俺がばつの悪さから頭を掻いていると、「新」といつになく力強く呼ばれた。


「ん? なに……」


 驚いて顔を上げたときだった。


 ふに、と柔らかい感触が唇に触れた。

 エレナちゃんの伏せた長い睫毛が目の前にあった。

 キスをされた、そう気付くまでに数秒かかった。

 

 エレナちゃんの熱が俺の唇にじんわり移っていく。

 やがてエレナちゃんは目を伏せたまま俺から離れた。彼女は頬をくれないに染めて、「アタシからの合格祝い」とぽつりと呟いて顔を背けた。


 固まってしまった俺は、何て言葉を返していいか分からなかった。見ずとも自分の頬が真っ赤なのが分かった。身体全体を熱い血が巡って、耳がぼうっとした。


「……」

「……」


 お互い顔を赤らめて、下を向いて沈黙していた。頬を撫でた風がやけに冷たく感じる。


 どれくらい経っただろうか。

 エレナちゃんが口を開いた。


「新、今までごめんね」

「え?」


 俺がエレナちゃんを見ると、彼女の顔色は元に戻っており、真剣な眼差しで俺を見据えていた。


「エレナちゃん? どうしたの?」

「私、新宿にいたとき、本当に新に悪いことしちゃってたなって思って、反省してるの。新によく八つ当たりして、今思うと、本当に最低だった。新は何も悪いことしてないのに、恵まれてるって思い込んで、酷いこと言って。新だって色々悩みがあったからアネ広にいたはずなのに、私は自分のことしか見えてなかった。ごめん」

「エレナちゃん……」

「でも、そんな私を、命を懸けて新は助けてくれた。……嬉しかった。ホントにありがとう」


 そう言うと、エレナちゃんは潤んだ瞳で俺を見つめた。俺は照れ隠しで目線を外した。


「いいよ、そんな。当然のことをしたまでだよ」

「ううん!」と、彼女は力強く首を横に振った。


「事件の時ね、あの場所には私の友達もいたの。でも、怖くて見ていることしかできなかったって謝られたの。だから、新は皆が出来ないことをしてくれたんだよ。凄いよ」

「……そうかな?」

「そうだよ!」


 俺が照れてしまって返す言葉に困っていると、エレナちゃんが俺の右手を持って、両手でギュッと握った。ふいに、目の前のエレナちゃんと目が合う。彼女の顔が吐息が触れそうな距離にあった。


「ねぇ、これからも私のことを守って。私のことを助けて。やっと分かったの、私を大切にしてくれるヒーローは新なんだって」

「……エレナちゃん……」


 情熱的な視線に鼓動が速くなる。ここで手を握り返したら、きっと……。甘い想像が脳内を巡った。握り返したい。桜色の唇が俺の返事を期待している。誘惑に負けてしまいたい。唾を飲み、汗が頬を伝う。



(……だけど。……だけど……!!)


 俺は下を向いて、奥歯で頬を噛んだ。目をつむり数秒苦しみながら悩んだ。そうして、ようやくエレナちゃんの瞳を見返した。


「エレナちゃん。俺が守れる時はもちろん助けたいと思う。でも、いつも守ってあげられるわけじゃない。これからは自分で自分を守ることも必要なんだ」

「新……」

「そのためには、ちゃんと自分自身の力をつけていくんだ。人生を走っていると何回も孤独な瞬間は訪れる。一人で戦わなきゃならない場面がある。その時に、自分を見失わないように、自分が自分のヒーローにならなきゃいけないんだよ」


「そう」と言って悲しそうな顔をしながら、エレナちゃんは俺から手を離した。1回視線を落として、また俺を見る。彼女は眉尻を下げて、辛そうに笑いながら言った。


「お父さんみたいな事を言うのね……」

「エレナちゃん。それが、相手を想うってことなんだよ」


 エレナちゃんは、ハッとして目を見開いて固まった。しばらくして、その大きな瞳にゆっくり涙をたたえて、それを指で拭ってから陽だまりのような笑顔を見せた。


「……そういうこと、言ってくれる人なんて今までいなかった。ありがとう、新」

 

 そう言って目を閉じて、再び目を開けた彼女は凛凛しい表情に変わっていた。

 サッと立ち上がったエレナちゃんは振り返って、俺にピースサインを見せた。


「私、絶対強くなるから! 見ててよね、新!」

 

 エレナちゃんの背中を太陽が照らし、それがまるで後光のようになって彼女を輝かせた。




第1部 完結





◇◇◇◇◇


【親愛なる読者の皆様】


 ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。

 お陰様で第1部、完結です!

 あーなんとお礼を言えば良いか。

 皆、サイコーだぜ!!


 

 ということで、次から第2部「大学生編」がスタートします。

 引き続き読んで頂けると、泣いて喜びます!!


 次回!!

 「雄馬、話って何?」

 「シン、オレら一緒に住もうぜ!」

 「うん……え?」


 お楽しみに!!

 

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