第30話 彼女の秘密/楽しいディナー

 俺がエレナちゃんの護衛を始めてから1月半が経った。学校では中間試験が終わり、俺は久々にアネ広に来ていた。試験前の部活動停止期間と中間試験で2週間くらいアネ広に来られなかったのだ。エレナちゃんのことが気掛かりではあったが、雄馬からレインが入っていないところをみると一先ず無事なようだ。


 アネ広のいつもの場所で、雄馬とエレナちゃんを見つけた。声を掛けて近況を聞くと、何も変わりはないという。

 そろそろ行かなきゃと腰を上げたエレナちゃんに、いつも通り俺らもついて行く。


「ここで良いから」


 新宿駅東口の駅前広場で立ち止まったエレナちゃんは、俺たちの顔を見てそう言ってから、一人で歩き出した。

 彼女は黒いリュックにつけた黒い大きなリボンを揺らしながら、新宿駅の東改札に通じる階段を降りていった。


「よし」と、雄馬が呟いて、踵を返す。

 俺も一緒に隣を歩く。


「また、3時間後くらいにエレナを迎えにきますかね」と、気の抜けた口調で雄馬が言った。


「あのさ、俺たち、いつも駅前まで護衛して別れて、3時間くらいしたらまた駅前に迎えに行ってるけど、エレナちゃんはその間、何してんの?」


 俺がそう聞くと、雄馬が目を見開いた。


「え!? シン、お前、今まで知らないで付いて来てたの?」

「え? うん。何か用事あるのかなって思って」

「あー、そうなんだ……」と、雄馬は呆れた顔つきになった。

「え? 何だよ。何かあんのか?」

「あー、ごめん。本人に聞いて」と雄馬は視線を逸らした。

「何だよ、それ」


 オレンジ色の空がゆっくりと藍色に染められていく。ポツポツと街路灯を灯し始めた駅前の交差点で信号待ちをしていたら、後ろから聞き慣れた挨拶をされた。


「よっすよっす~」

「あ、のだっち君」と俺が言うと、彼は「よっ」と言って俺の右隣に並んだ。

「あれ? ヒメ様、送ったとこ?」

「おう、のだっち。そう、今電車で行ったとこ」

「はあ~。頑張るっすね~」


 信号が青に変わった。アネ広に向かって歩き始める。


「しかし、ココ最近、ルイのことが落ち着いて来たからか、よく案件入れてるっすね。精が出るっすよね~」

「え? 案件?」


 俺が聞き返すと、あちゃーという文字が雄馬の顔に浮かんだ。


「ねえ、のだっち君、案件って何?」

「え、案件って言ったら、パパ活のことじゃないすか」


 のだっち君は、さも当然のように答えた。


「え……」


 頭が真っ白になる。


「あ、いやでも、エレナの場合はただ飯食ってるだけだから」と雄馬は気まずそうに言った。


「……そうなの?」

「そうみたいっす。本人から聞いた話すけど」

「じゃあ、本当のところは分かんないじゃん」

 

 俺は嫌悪感を隠せず、ちょっとキツい口調になってしまった。

 あー、と雄馬が頭を掻きながら俺を見た。


「多分、本当だと思う。あいつ、性的な事、苦手だからさ」

「え?」

「あいつが、家にいたくない理由、知ってるだろ? 母親の彼氏に手を出されそうになったからって。あれでさ、性的な事にトラウマ持ってんだよ、あいつ」

「ええ!? だって、雄馬にはホテル行ってよってキレたのに?」 

「あー……。それがよく分かんなくてさ、オレとそーゆうことをすれば何か変わるかもとか、リハビリになるかもと思ったって、後から聞いたわ」

「ええ? どゆこと?」

「オレにも分かんねーよ。あいつの考えてる事は」


 歩きながら雄馬は腕を組んで首をかしげた。


「ルイと出来なかったのは、それでか」と俺は合点がいった。

「お前、絶対言うなよ!? エレナがそういうトラウマあるってこと。話したってバレたら、どんな目に遭うか……」

「恐ろしいっすね」

「わ、分かった。けど、パパ活なんてめてほしいな」

「それは無理っすね。生活出来なくなるんで」

「……」

「シン、ここじゃパパ活なんて普通だから」

「……でも、嫌だよ……」

「そういうの、上から目線って言うんすよ」


  ピシャリと言われて驚いた俺は、のだっち君の顔を見た。


「え?」

「ちょ、のだっち」

「ここにいるやつは自分で飯食ってかなきゃなんないんすよ。親が面倒見てくれる訳じゃないんで。だから、ルールとか道徳とか倫理だとか、そんな甘いこと言ってられないんすよ。それに拘るなら、そもそもこんなとこに来ちゃいけないっすよ」


 ショックだった。そんなこと認めたくなかった。だけど、同時にその通りだとも思った。辛いけど、ここではそれが生きる道なんだ……。 


「……ごめん、のだっち。確かにそうだよな」

「あー……。まぁ、良い社会勉強になったな! シン!」

「うん……」


 俺はこの時、この二人はどうやって生活しているのかと疑問に思ったが、恐くて聞けなかった。この日は、少し彼らと遊んでから帰った。エレナちゃんの迎えは、彼らに任せた。エレナちゃんを見たら、どうしても拒んでしまいそうだったから。



***



 数日後の夜7時過ぎ、新宿駅東改札前。


「ごめん、お待たせ」


 ピンクのツインテールを揺らしながら、小走りでエレナちゃんが駆け寄ってくる。  

 俺と雄馬はエレナちゃんの両サイドに立って、一緒に歩く。

 俺はエレナちゃんがパパ活をしていると聞いたあの日以降、今日までに2回くらいエレナちゃんの護衛をしたが、2回とも彼女の目をまともに見られなかった。それを感じ取ったのか、エレナちゃんも俺といる時は口数が少なくなっていた。


「……」


 三人とも無言のまま歩く。階段を上り、新宿駅東口の駅前広場を通り過ぎたときだった。


「そうだ、飯行かね!」と、雄馬が思いついたように言った。

「え? 飯?」

「そ、オレ腹減っちゃってさ」

「俺は良いけど……」と、エレナちゃんをチラリと見ると、コクンと頭を下げた。


 決まり、と言った雄馬は、そのままファミレスのサイデリアに向かった。

 夕食時と言うこともあり行列が店の外まで出来ていた。15分くらい待ってから、ようやく席に着く。待っている間から、雄馬はその長身を活かして辺りを見回す等、確認を怠らなかった。


「うん、あいつ見なかった。大丈夫」


 そう言って、俺の向かいに座った雄馬は足を組んだ。


「……」

「エレナちゃん、大丈夫だよ」と、俺はエレナちゃんに声をかけた。


 俺から見て雄馬の左隣に座った彼女は伏し目がちに「うん」と頷いた。テーブルの左側は壁になっており、そこに寄りかかるようにして体を丸めている彼女が気の毒に思えた。


「さ、さっさと食おうぜ。何にするかな~」

 

 雄馬は弾んだ声でメニュー表をテーブルの上に広げると、頬杖を突いて眺めはじめた。注文が決まり、雄馬が注文用紙に全員分の注文を書いて店員さんに渡した後、ドリンクバーに向かった。

 俺はエレナちゃんと二人残されて、いたたまれない気持ちになった。



「エレナちゃん……」


 我慢できなくなった俺は何かを言おうとしたが、言葉が続かなかった。


「……新。アンタさ、知ってるんでしょ? その、アタシがしてること……」


 エレナちゃんは絞り出すような声で言った。


「……うん」

「……アンタがさ、急に、アタシにあんま話しかけなくなったからさ、なんか分かっちゃったよ……」


 エレナちゃんが沈んだ表情で、言葉をポツリポツリと繋ぐ。


「……アンタも……アンタも、アタシが、汚いって、思ってるんでしょ……」

「ち、違うよ! それは違う!」


 今にも泣き出しそうな表情のエレナちゃんに、たまらず声を上げた。正直、パパ活自体の嫌悪感は消えてない。でも、それが生きる手段なら仕方ないことも理解できる。俺は自分の葛藤に蓋をして、話を続けた。


「俺は、ただ心配なだけだよ。そんな事して、また変な奴に捕まったりしたら、どうしようって……」

「新……」

「そんな危ない事、本当はしてほしくないけど……でも、しないでって言える程、無責任にもなれないんだ。ごめん」

「……ううん」


 エレナちゃんは震えた喉で溜め息をつくと、少し安心した顔付きになった。ちょうど雄馬が全員分のドリンクをトレーに乗せて帰ってきた。


「おー、戻ったぞ。適当にコーラ2つとオレンジジュース持ってきた」

「あ、雄馬、ありがと」

「おう。とりあえず一通り見てきたけど知ってるやつ、いなさそうで安心したわ」

「流石だな」

「だろ? ほら、エレナも」と、席に着いた雄馬はエレナちゃんの前にオレンジジュースを置いた。

 雄馬がコーラに浮いてる氷をストローでクルクル回しながら、口を開く。


「でも、あいつをアネ広で見なくなってから、もうすぐ2ヶ月か。もう諦めてると思うけどな~」

「まぁ、流石にな~」

「……そうだね」


 また、俺らの間に沈黙が流れ始めたとき、注文していた食事が来た。


「お待たせしませた! イタリア風ドリアです!」

「おー。うまそ!」と雄馬がパッと笑顔になる。


 続けて、エレナちゃんと俺の食事も運ばれてきた。


「とりあえず今は食おう! 食って力つけようぜ!」と、拳を見せながら雄馬が言った。

「ああ。そうだな」

「……うん」


 エレナちゃんは久々の友人との食事にホッとしたのか、表情がやわらいだ。思えば、彼女は護衛を始めた時から、ずっと食事は安全のためにネカフェの部屋で摂っていたので、こういう場は久しぶりで本当に嬉しそうに笑った。


「なんか、デザートも食べたくなっちゃった」と、食事が終わった後、エレナちゃんはチョコティラミスを追加で注文した。俺と雄馬も、同じものを追加注文した。

 三人でチョコティラミスを味わう。ティラミスの上にはたっぷりチョコソースがかかっていて、中にもチョコソースが入っていた。マスカルポーネクリームも濃厚で、コーヒーの染みこんだスポンジとチョコの組み合わせも旨かった。俺には少し甘すぎると感じるところもあったが、エレナちゃんは両頬に手を当てて「美味しい」と喜んでいた。


 俺たちは数ヶ月ぶりに和やかな空気を愉しんだ。

 本当に心がほどけるような心地良い時間だった。




◇◇◇◇◇


【親愛なる読者の皆様】


すみません!!

今日の更新、20時になってしまいました!!


今日、金曜日だと思い込んでました!!

申し訳ありません!!

明日はちゃんと17~18時ごろに上げます!!



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