第26話 恐い彼氏
1月下旬、アネ広に向かう途中の大通りで、怪しい男と一緒に歩くエレナちゃんを見つけた。男の背丈は俺よりも少し小さく、黒髪のマッシュで前髪は目にかかっている。黒いマスクをしており、表情は窺えない。黒いモッズコートに黒いスキニーパンツを合わせており、目元と耳、手以外は黒に包まれていた。夜の繁華街の灯りが男を照らすと、右耳についている6個のピアスが銀色にギラッと光った。
男の右隣にいるエレナちゃんはやけに媚びた目をして男を見上げていた。エレナちゃんを見つめ返す男の目は冷たく、それでいて粘着質そうな嫌な色をしている。上下関係が出来ているのだろうか。二人の周りには、悪い意味で二人だけの世界のような、異様な空気が漂っていた。男とエレナちゃんはどういった関係なのだろう……。
「おい! 何見てんだよ!」
男が俺の視線に気づいて、声を荒らげた。肩を怒らせて速歩で近づいてくる。
エレナちゃんは俺に気付くと、驚いて目と口を大きく開けてから慌てたように男の後を追った。
「あ、すみません……」
目の前に来た男に俺が頭を少し下げて謝ると、後から来たエレナちゃんが怯えた表情で男の腕を引っ張った。
「ちょっと、ルイ君。こいつに構わないで行こう? ね?」
「は? こいつ? 何、お前知り合いなん?」
「あ、ちょっとだけ……」
「あ!? おい、誰なんだよこいつ! まさかてめぇ、浮気してんじゃねぇだろうな!?」
男の怒鳴り声でエレナちゃんの肩がビクッと上下し、近くにいた通行人が一斉にこちらに視線を向けた。
「何? 修羅場?」と、不安と興味が
通行人たちの好奇の目にさらされたエレナちゃんは「そんなわけないじゃん……」と震えながら答えた。
「……チッ。おいお前、エレナを狙ってんじゃねえだろうな?」
通行人の視線に苛立った様子の男は、その怒りをぶつけるように俺を睨みつけた。
嫌な目だ。全身の毛が逆立つような本当に嫌な目だ。
瞳孔が開いて、奥がギラついている。
恐怖で身体が強張った。後ろでエレナちゃんが両手を唇に押し当てて泣きそうな顔をしていた。
「いや、そういうわけじゃないです……」
「じゃあ、何だよその顔! エレナ見てただろ今! おい!! 何とか言えよ!!」
男に手で胸をドンッと押され、思わずよろける。
(こいつヤバい! もう逃げよう! 怖い、やばい、怖い……)
俺が体勢を整えながら退路を探してる時だった。
「やめて! ルイ君、もうやめて! お願い!!」
必死に叫びながら、エレナちゃんは男に抱きついていた。
「うるせぇ! 黙ってろ!」
男はエレナちゃんを怒鳴りつけた。
怒鳴られたエレナちゃんはギュッと目を瞑ったが、男にしがみついたままだった。
エレナちゃんの目尻から涙の粒が現れた瞬間、俺は腹の底が沸騰するのを感じた。突き上げる激情に身を任せて男を正面から見据えて言い返した。
「ちょっと!! エレナちゃん、怯えてるじゃないですか!! 可哀想だと思わないんですか!?」
予想以上に大きな声が出たことに俺自身も驚いた。男は俺がこんな力強く言い返してくると思ってなかったようで、ギョッとした顔で俺を見つめた。
「は……はぁ? お、おめぇのせいだろうが!」と男は舌を振るわせながら言った。
「何言ってるんですか! 俺にとってエレナちゃんはただの知人だし、好きでもないです! それに最後に会ったのだって数ヶ月前なんですよ!?」
「……」
男は少し冷静になったのか、バツが悪そうに口元を歪ませた。俺は怒りを込めた瞳で男を見続けた。エレナちゃんはルイから手を離して棒立ちで俺を見ている。
「チッ……クソッ! もう人の彼女を見んじゃねーぞ! 行くぞ、エレナ!」
男はそう言うと、俺の視線から逃げるように踵を返した。舌打ちしながら通行人の壁を割って去って行く。エレナちゃんは赤い目をおろおろと泳がせた後、振り返りながら小走りで男について行った。
(ああ、あの恐そうな男は彼氏なのか……)
脅威が去った途端に全身に巡らされていた緊張の糸が切れ、膝が笑い始める。堪らず近くにあった街灯に寄りかかる。通行人たちは終幕を知ると、その壁を一斉に崩して散り散りに消えていった。何人かが去り際に、俺に哀れみの視線を寄越した。
膝が落ち着いて来た頃、「あれ? シン?」と後ろから聞き慣れた声がした。声の方を見ると、チェスターコートのポケットに両手を突っ込んだ雄馬がいた。
「どした? こんなところで突っ立って。アネ広行かねぇの?」
「あ、雄馬……。ちょっと色々あって……」
「何? 何かあった?」
「……今さっき、そこでエレナちゃんと会ったんだけどさ、なんか恐そうな彼氏といたんだよ。ルイとかいうやつ」
「ふーん、そうなんだ」
「あれ、驚かないの?」
「まあな。12月頃から、エレナ、色んなマッチングアプリで男漁りしてたんだよ。ついに彼氏作ったのかー」
「男漁りって……。雄馬は心配じゃないのか?」
「えー? まぁ、心配だけどさ、オレは何もできなくね? だって、それ
「……まぁ、そうだな……」
「こういうのって結局、個人の自由じゃん。オレらには何もできないだろ」
「うん……」
沈黙した俺らの間を、身を切るような冷たい風が吹き抜けていった。
その後はというと、驚くほど何事も無く日常が過ぎていった。あれからもアネ広にはたまに通っていたが、ルイにもエレナちゃんにも会うことはなかった。
だけど、もうすぐルイに会ってから1ヶ月が経とうというのに、俺は未だにあの目の恐怖が忘れられなかった。生理的な恐怖。本能が逃げるべきだと叫ぶ目。エレナちゃんのことは心配ではあるけど、やはりどうすることもできないと思った。これ以上、何も抱えたくなかった。
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