第25話 式美先生/拒めなかった誘い――――作者コメント有


――――先生は先生の人生を生きた方が良いと思います――――


昼間の患者さんが私に投げかけた言葉が、頭の中で繰り返される。


「……好き放題言ってくれたな……」


 当直室の天井に向かって呟くと空しさが胸を染めた。

 ベッドに仰向けなっていると、このまま何処までも沈んでいってしまいそうな感覚に陥った。雨粒が窓を激しく叩く音が聞こえる。まるで彼を呼んでいるかのように。



 あの日もこんな雨の五月蠅い日だった。瞼を閉じると、私のドナーである蓮人れんとの記憶が蘇った。


 私はこの病院で替生手術を受けて、ドナーの記憶の大部分を引継いで想起させた初めての患者だった。

 蓮人の記憶を辿る。彼の人生は散々なものだった。小学生の頃から精神疾患のある母親の世話をしなくてはならなかった。所謂ヤングケアラーというものだ。父親も兄弟もいないため、彼が母親を支えるしかない。学校から帰って玄関扉を開けたらまずやることは、泣いてるか落ち込んでいるか、激昂して暴れている母親を落ち着かせることだった。その後は、母親に代わって、買い物や洗濯、食事の支度と家事をこなす。その間、ずっと暗い表情を保ったままする必要がある。彼の明るい表情は母親の激高を誘発するためである。


 勿論、趣味などは持てず、テレビのチャンネル権もなく、宿題をする時間すら確保が難しい状況であった。彼は家では、ひたすら心を殺しながら時が過ぎるのを待つしかなかった。


 学校でも居場所はなかった。無趣味で個性のない根暗な蓮人は、すぐに同級生にからかわれるようになり、やがて孤立していった。担任の先生は見て見ぬ振りをした。


 彼が19歳の時、母親が亡くなった。向精神薬を酒と一緒に服用し自ら命を絶ったのだ。それから彼の人生は一層悲惨なものになっていく。まず、金銭的に困窮した。母親は障害年金と、愛人業で生計を立てていたため、母親が亡くなった事で無収入になる。親戚の助けを借りて最低限の葬式を出したが、残った遺産は30万もなかった。半年も経たないうちに、5万の家賃を滞納するようになった。


 当然、彼はその間何もしなかったわけではない。就労に向けて動いてはいた。だが、バイトの面接では、常に中卒の学歴が足を引っ張った。しかも彼は対人恐怖症もあったため、余計に難航することになった。


「君、高校も行ってないの? 勉強できなかったの? まあ、頭良さそうには見えないもんね」

「そんなに人と目を合わせられないんだったら接客なんて無理でしょ。学歴もないのに、コミュニケーション能力もないとか……」

「怠け者はいらないから」


 採用担当は皆、軽蔑の眼差しを向け、酷い言葉とともに彼を店から追い出した。後が無くなって肉体労働に挑戦するも、生まれつき筋肉がつきにくい体であった彼は、すぐに音を上げた。彼が最後に行き着いたのはホストだった。


 その頃には20歳を越えていたが、残念な事に彼は酒に弱かった。それでも太客と呼べる人が二人現れる。一人はナイトワークの女性で、もう一人は女医だ。彼は慣れないながらもホストの仕事に真摯に取り組んでいた。しかし、ホストになってから数ヶ月経ったとき、彼のミスでナイトワークの女性を怒らせてしまった。タバコの火をつけるタイミングが遅れたのだ。


「お前さぁ! 学歴もねぇし、話も面白くねぇし、気もきかねぇとか終わってんな!! このゴミが!!」


 ヒステリックに叫んで立ち上がった彼女は、ピンヒールのトップリフトを彼の太ももに勢いよく突き刺した。ブスリと肉が凹む。彼が痛みで上半身を丸めると、柑橘系の香りを漂わせながらアルマンドが後頭部から流れてきた。髪先から落ちた雫がスラックスに染みをつくっていく。


「頭冷えた?」と嘲笑う彼女を見て、彼の中で何かが壊れた。そのまま立って、後ろから聞こえる彼女の喚き声を無視しながら店を出た。篠突く雨の中を傘も差さずに歩く。


 彼の押し殺した泣き声をザーッという雨音が掻き消していった。雨が化粧を洗い流し、自信の無い素顔が晒される。そこに容赦なく雨が降り注ぐ。


 シャツが肌に貼り付いて靴がすっかり重くなった頃、横断歩道橋の上に着いた。欄干に手を掛けて歩道橋の下を見下ろす。車が通る度に、足裏を振動が駆け抜けた。滲んだ車のライトが次から次に足元を通り過ぎる。幾つか見送った時、車道の先に一際大きな光を見つけた。大型トラックのヘッドライトだ。後、4秒で真下に来るだろう。


(あれが来たら……)


 欄干に上体を預けた時だった。

青風あおかぜ君?」


 源氏名を呼ばれ、振り向くとあずまさんがいた。もう一人の太客だ。彼女の傘に雨が落ちては流れていく。


「やっぱり青風君じゃない。どうしたの? こんなところで」

「あ、東さん……」


 汚れた顔を見られないように顔を逸らす。


「お店に行ってもいなかったから、諦めて帰ろうとしたら貴方が見えて……」

「……スミマセン、俺……」

「……酷い顔をしているわ。何かあったの?」


 東さんは彼に寄り添って、その傘に入れてくれた。彼は何もかも諦めたはずなのに、気付けば自分の生い立ちを泣きながら彼女に話していた。

 将来に希望が無いことも、この人生を終わらせたいことも――――。


 黙って聞いていた東さんは、全てを吐き出して後悔を滲ませている彼の顔を見据えて、小声でこう言った。


「貴方を苦しみから解放してあげる」


 それから彼は、東さん――――東先生に言われるがまま、替生手術を受けた。どうせ捨てる人生だ、どうなっても構わなかった。死への恐怖心が麻痺するくらいには彼は壊れていたのだ。それに、こんな自分でも最期に誰かの役に立てるのならと、安楽死を正当化する理由があったのも助かった。



 暖房の風が顔を撫で、鮮やかだった記憶が徐々に色を失って、ぼやけていった。それと入れ替わるように暗闇が瞼の裏に広がった。


「……まさか、こんなに蓮人の記憶が引継がれるとは思わなかったが……。これでは本当に、蓮人の脳が体を替えたようではないか」


 もし蓮人の記憶がここまで残っていなかったら、東先生への恩を返すために医者になっていなかったかもしれない。


「自分の人生を生きろ、か」


 目を開くと、相変わらず無機質な天井が広がっていた。ぼんやり眺めていると仕事用のスマホが鳴った。私は起き上がって、電話に出ながら足早に当直室から退出した。




◇◇◇◇◇


 【親愛なる読者の皆様へ♡】


ここまでお読みいただき、ありがとうございます!

また、♡、★など、いつも感謝です!


俺は多忙&寒さでヘロヘロですが、皆様のおかげで何とか頑張れてます。

雪見だ⚫ふく食べたい……


皆さんも一緒に雪見だ⚫ふく食べましょう(^^)

あと、これからも応援よろしくお願いします! 

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