高校1年 3学期 ◆混乱◆

第24話 「救済」への疑念



 元旦、俺は例年通り、いつもの同中おなちゅう4人で初詣に行くことになった。ピンと張り詰めた寒さに震えながら俺がゆかりの家の前で待っていると、玄関ドアが開いた。勢いよく出てきたゆかりはふわふわの白いコートに茶色いニットのミニスカートを合わせており、ムートンブーツを履いている。

 首に巻いたピンクのマフラーに顎を埋めながら俺を見る。


「お待たせ、新くん」

「ううん。明けましておめでとう、ゆかり」

「あ! 明けましておめでとう!」


 ゆかりは振り返ると「じゃあ、お母さん。行ってくるね!」と元気に言った。

 玄関先にはエプロン姿の上品な女性――――ゆかりの母親が穏やかな眼差しをゆかりに向けていた。


「はい。いってらっしゃい。あら、新くん」

「おはようございます」と、笑顔を作る。

「おはよう。ゆかりをよろしくね!」

「はい、行ってきます」


 ゆかりの母親が微笑んで俺らに手を振った後、玄関をゆっくり閉めた。

 玄関の鍵が閉まった音と同時に、俺の中でグチャッと音が鳴って、心に皺が寄った。


「新くん? どうしたの?」

「何でもないよ、行こう」


 とっさに平静を装った。


(何なんだ。この差は)


「あ、颯太くんと健くん、もういるよ!」

 

 十数メートル先の駅前に二人を見つけたゆかりが叫んだ。


「おー、ゆかり! 新!」と俺たちに気がついた健が手を振る。

 

 颯太と健とも新年の挨拶を済ませた後、4人で駅の改札を通り抜けた。これから向かうのは都内の初詣スポットとして人気のある神社で、厄除けで人気らしい。

 スマホを片手に颯太が先頭を歩く。俺以外の3人は正月気分で話に花を咲かせていた。これから行く神社は恋愛成就にもご利益があるようで、ゆかりは特に浮かれていた。好きなやつでもいるんだろうか。


 俺も場の空気を悪くしないように明るく相槌を打つ。この浮かれた空気感はキツいが何とか耐えるしかない。

 頑張れ、俺。笑顔を崩すな。俺のうちを悟らせるな。また、彼らを心配させてしまう。今日一日耐えるんだ……。


 ごった返した神社でうやうやしくおまいりをして、おみくじを引く。凶が出たそれを大げさに悲しがり、おみくじ掛けに結びつける――――全て作業だ。作業を無心でこなしていく。

 心を動かすと何か醜いものが溢れてきそうな恐怖があった。


「なぁ、俺、腹減ったわ」

 

 健がジャンパーに手を突っ込んで白い息を吐きながら俺らを見た。


「じゃあ、皆でご飯食べに行くか。新もゆかりも、このあと大丈夫?」

「もちろん」

「私も大丈夫だよ」


 着物姿の女性グループや家族連れの波を避けながら、4人でファミレスに向かう。流石に今日はカラオケは行かないだろうから、後3時間で解散のはず


(それまでちゃんと演じろよ、俺……)


 予想通り、3時間後、俺は自室にいた。疲れた、ファミレスの食事も味がしなかった。力尽きたように椅子に座り、背もたれにと寄りかかる。


 虚ろな目で天井を見る。

 ……あいつらは皆いいやつなのに、なんで居心地が悪く感じるのか、今日分かった。頑張って演じなきゃいけないからだ。貴方たちと同じく普通の人生を送ってきた人間です、と。


「やっぱり、原因は俺の方にあったな……」

 

 良いやつらだから、余計に知られたくない。俺のうちを見せたくないし悟らせたくない。悲しい顔をさせたくない。ああ、誰にも相談せず、ある日突然いなくなる人って、こういう心境なんだろうな……。



***



 憂鬱な気分を引きったまま、高校では3学期が始まった。流れるように過ぎる代わり映えのしない日々が俺にとっては有難かった。


 やがて1月の精密検査の日になった。今回は雄馬が風邪をひいて来られなくなったため、俺が一人で受けることになった。一池の姿は無かった。


「うん、異常なしだな」


 精密検査2日目の午後、脳波測定器の結果を見て、先生が呟く。


「先生。先生は当然、替生手術に賛成なんですよね?」


 パソコンを操作していた先生の手が止まった。


「……君は違うのか?」


 先生はパソコンを見つめたままだ。


「……俺は替生手術って何なんだろうって最近思います」

「……何かあったか?」と、ようやく先生は頭だけ動かして俺を見た。


「まぁ、色々と」


 そう言うと、先生は長く息を吐いてパソコンから手を離し、俺に向き直った。


「……正直言うと、君の様子は気がかりだった。会う度に気力を失っているように見えたのでね」

「まぁ。そうですね」


 俺は一呼吸おいて、先生に尋ねた。


「先生、この手術って本当に人を救ってるんですか?」


 先生は俺から視線を逸らして眉間に皺を寄せた。


「……少なくとも1人は救っているだろう。安楽死したい者を。後は、手術が上手くいけば、無事に胎児を出産したい母親と、その配偶者や親族、そしてもちろん、胎児自身も救うことになるじゃないか」

「胎児自身は救われてるってことになるのかな……結局、子どもを産むって親のエゴですよね」


 自分で発したキツい物言いに少し驚いた。だけど、これがうちの本音なのだと納得もした。


「……親御さんと何かあったのか?」


 先生の顔が心配そうに歪んだ。


「いえ、別にないです。両親とも妹とも仲はいいです。でも心が、うちが満たされない、何か居場所を感じないんです」

「そんな……君のところは、とりわけ良いご家庭だろ」

「良い家庭だけど……繋がってない感じがして……」

「……」


 先生は両膝に置いた拳に力を込めて目を瞑り、それから目を開けて俺を見つめ、語気を強めて言った。


「新君、冷静になって考えて欲しい。替生手術を受けた後、出生に至っても……」

「恵まれない家庭じゃない人もいるって話ですか? 混じり者って」

「……知っていたか。まさか君の家ではそんな差別はないだろう?」

「ないです。そんな差別がある家に比べたら、全然いいですよ。贅沢な悩みだってことくらい解ってるんです。でも、じゃあ、いつまでも満たされないうちの痛みはどうしたらいいんでしょうか?」


 そう言うと、先生は悲しそうに視線を落とし唇をきつく結んだ。


「先生、なんでこんな手術、あるんですか。そもそもこれ、世間にバレたらヤバい手術じゃないですか。何で、そんなの先生やってるんですか?」

「……私がこの手術に意義を感じているからだ」

「……先生、俺、ここ最近色々考えてたんです。俺の知っている先生は、こんな禁忌に手を染めるような人じゃないって」

「……」

「式美先生には中学のときから診てもらってるから、もう4年も経ちますね。流石にそれだけ関わってれば、先生がいくら無愛想でも、実は優しくて、むやみに法を破る人じゃないってことくらい分かります」

「……何が言いたい」

「先生、替生者なんじゃないですか?」

「……」


 先生は沈痛な色が浮かんだ瞳を隠すように瞼を閉じた。


「沈黙は肯定とみなしていいですか?」

「……好きにしろ」


 そう言った先生の声は動揺と哀情が滲んでいる気がした。


「……先生。この手術に恩を感じているのかもしれませんが、俺は正直そこまで良いものだと思えません。こんな手術に囚われてないで、先生は先生の人生を生きた方が良いと思います。余計なお世話ですけど」


 先生は薄目を開けて「本当にな」と答えた。


「では、検査は終わってるので、失礼します」

「……」


 俺は振り返らずに診察室の扉を閉めた。


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