第23話 最悪の出目
年の瀬の焼き肉屋の個室に、俺と雄馬とかんちゃんさんは集った。俺は個室に入り、4人掛けテーブルの手前奥の席に着くと、向かいに座ったかんちゃんさんに頭を下げた。
「かんちゃんさん。前は助けてくれて、ありがとうございました」
「ええって。シンタローが元気そうで良かったわ」
頭を上げると、目の前のかんちゃんさんは照れくさそうに頭を掻いていた。
「あれ? シンタローって……?」
「あ、かんちゃん。シンのこと、シンタローって呼んでんの」
俺から見て、かんちゃんさんの右に座っている雄馬が教えてくれた。
「え? なんで?」
「何となくや」
「な、楽しいやつだろ? かんちゃんは」
「う、うん」
「ああ、あと、かんちゃんさんって止めろや。気持ち悪いわ。タメやろ」と、かんちゃんさんは片眉を上げて俺を見据えた。
俺は驚いた。目つきが鋭くて、その雰囲気から絶対年上だと思ったからだ。同級生にはない独特の雰囲気、ビリッとした緊張感を彼は
(こういった雰囲気を持っていないから俺は恵まれていると思われてるのか……?)
顔色を窺いながら、質問する。
「え、じゃあ、なんて呼べばいいの?」
「あ? あ~、カンキ君でええわ。俺、
「分かった。じゃあ、カンキ君で」
「おう」
それから俺らは注文を終えると、天気やエンタメなど無難な会話をした。
10分後、カンキ君は烏龍茶で酔っていた。
「ウソだろ、かんちゃん。なんで烏龍茶で酔うんだよ」
「ああ~、ちょっと行きしなに、な」
「行きしな?」と俺が尋ねると「行く途中っちゅー意味や」とカンキ君は答えた。
「まさか、かんちゃん。やった?」
そう言って、雄馬はニヤッと笑ってからグラスを傾ける仕草をした。
「ああ、ルーカスをな、結構食ってしもた」
「何だ、チョコじゃん」と雄馬は面白くなさそうに呟いた。
「え? チョコ?」
「なんや、シンタローは知らんのか」
「シン、食べたことない? 洋酒入りのチョコ」
「洋酒入り? それ食べて、大丈夫なの?」
「ああ、調べたけど、大丈夫だった」
「そうなんだ」
「でも、かんちゃん。ルーカスで酔うとか、酒弱いな」
「ええんや。酔いたい気分だったんや」
「かんちゃんって、定期的にヘラるよな」
ヘラる……。確か、落ち込むって意味の言葉だ。
心配そうにカンキ君を見ていると、「失礼します」という掛け声と共に、個室の扉が開いた。キビキビとした店員がカルビや牛タンが乗った皿をテーブルに置いて、また扉の外に消えていった。
注文していた肉が来たものの、目の前のカンキ君が気掛かりで俺も雄馬も焼こうとはしなかった。手持ち無沙汰の鉄板はただ無駄に熱を放出していた。
「あ~頭アカンわ。酔った酔った~」
「ちょっと、かんちゃん黙って。店員に誤解される」
「あ~冬はアカンわ。嫌な事、思い出してまう」
そう言ってギュッと目を
俺はかなり気が引けながらも、ここで聞かないと聞けなくなってしまう予感がして、抱えていた疑問を恐る恐る口にした。
「……カンキ君。そういや、同士って聞いたんだけど、今辛いのってその事?」
「おあ? キミ、お前、もう話したんか?」
頭を上げたカンキ君がじとっとした目つきで雄馬を見ると、「わり」と雄馬はすまなそうな顔をした。
「ホンマにこいつは……。まあ、ええわ。そうや、同士や。辛いのも、その事や」
「……」
「かんちゃんの前、壮絶だぜ。シン、聞く覚悟ある?」
「え……」
一瞬迷ったが、これは聞かないと何かが開けない気がした。
「聞きたい。カンキ君の、前の人の人生のこと」
「そうか」と、カンキ君は下を向いて、ポツリポツリと話し始めた。
話を聞いた俺は、言葉を失ってしまった。正直、あまりにも辛くて聞いた事を後悔した。
カンキ君はドナーの記憶、特に虐待の記憶がハッキリと残っている人だった。それが今もカンキ君を苦しめていた。ドナーの名前はハルクというらしい。ハルク君は大阪で生まれた。父親は建設関係の仕事をしていて、ストレスから酒に溺れ、ギャンブル中毒にもなった。それを母親が咎めると暴力を振るうため、家族は父親がいるときは息を潜めて生活をしていたという。
父親は些細なきっかけで激昂し、母親に殴る蹴るの暴行を繰り返した。それでも離婚しようとしない母を見て、ハルク君は10歳くらいの時から身を挺して母を守るようになった。生傷の絶えないハルク君を同級生も学校の先生も腫れ物扱いした。その後、一時、父親の仕事が上手くいって両親の仲が改善したことがあったという。そのためだろうか、ハルク君が中学に入るころ、妹が生まれた。
しかし、幸せは長くは続かなかった。程なくして父親の暴力が再開した。男である自分が母と妹を守らなくてはいけないと必死に頑張ってきたが、ひたすら何も変わらない毎日が繰り返される現実に心が折れてしまった。妹が1歳になったころ、突然我慢の糸が切れてしまい、何もかもがどうでも良くなって、自殺未遂をした。その後、助かってしまったため、替生手術を受けたという。
「俺はハルクの記憶がハッキリあるから、俺自身ハルクの生まれ変わりやと思ぉてる。脳に意識が宿るんなら、ハルクの脳が入っとる俺のこの意識はハルクのもんでもあるんよな。だから、ハルクの実感があるんや。それが……辛い……」
「カンキ君……」
「ハルクは結局、何も守れなかったんや。妹もお母ちゃんも、あの後どうなったかと思うと……」
そういって、カンキ君は机に突っ伏した。小刻みに震える背中を雄馬が悲しげな表情で擦っている。
俺は何も言えなかった。母と妹を捨てて、自分だけ逃げたハルク君。その時の記憶が今も鮮明に残っていて、カンキ君は苦しんでいる。
個室の扉の向こうではカチャカチャとした食事の音と、張り上げた陽気な声が交じり合い、楽しげな調べを奏でている。扉1枚でまるで別世界だ。
騒がしいはずの焼き肉屋の店内で、この個室だけが音を失ったかのようだった。俺ら三人は世界から切り離されてしまったと、そう信じるには十分な空間だった。
どれくらい経ったのだろう。目の前のカンキ君の震えが徐々に収まって来るのと同時に、俺の鼓膜はゆっくりと音を一つ一つ集めて、世界を取り戻していった。
俺は、静かに口を開いた。
「カンキ君。俺、ハルク君は悪くないと思う。よく頑張ったと思う」
「どこがや。結局、何も守れなかったんやぞ」
カンキ君は突っ伏したまま答えた。
「妹さんを守るのは、お母さんの役目だよ。お母さんが子どもを守らなくちゃいけないんだよ。子どもであるハルク君が、お母さんと妹さんを守るって大変だし、限界があるよ。子どもが背負える荷物じゃないよ、それは」
「シンタロー……」
カンキ君は少し頭を上げると、両目を服の袖で擦りながら鼻をすすった。
「ありがとさんな。やけど、ハルクは男やねん。身長だって、お母ちゃんより
俺はまた、何も言えなくなった。ハルク君の記憶を引継いで、罪の意識に苛まれているカンキ君に同情した。ハルク君とは肉体は違っても脳の一部が同じで、記憶も鮮明に引継いでいるのなら、ハルク君と自分を同一視してしまう気持ちも分かる。他人事だと簡単に切り捨てられない辛さがあることを俺は身をもって知っていた。
何でこんなことがあるんだろう。ハルク君の境遇を思うと、やるせなくて胸が張り裂けそうだ。子どもを守る責任を負わなきゃいけないのは彼のお母さんじゃないか。お母さんは大人で、逃げ出す力も知識も持ってるじゃないか。でも、それをしないから、しわ寄せが無力な子どもにいってしまう。知識も経済力もない子どもが逃げられないまま潰される。全部、ハルク君のお母さんのせいだ。でも、きっとそれを言ったら、カンキ君は怒るだろうし、彼の何かが壊れてしまう気がした。
「いやー、ホント、ハルクもかんちゃんも考えが立派だよ。オレは正直、そこまで思えないよ」
雄馬は両手を広げて肩をすくめた。
「立派なもんか。ハルクは逃げ出したんやぞ」
「でも、それまでは盾になってたんでしょ? すげぇよ。なかなか出来ねぇよ。かっけぇよ」
「そ、そうか……」
少し照れたカンキ君を見て、切なさで胸が引き
家庭環境って何なんだろう。親ガチャってなんなんだろう。俺らはサイコロを振る権利すら無く、出目で運命が決まる。悪い目が出たら、基本的に最低15年は親から逃げられない。どんなことをされても――――。
今は13歳とかでアネ広に逃げて来る人もいるけど、ハルク君の時代にはそれもなかった。孤独と絶望の中で
何なんだ、これは……。出生時の、たった1回のサイコロで、こんなに人生が隔たる。自分の人生や夢のために努力することができる人生と、ただこれ以上最低な事にならないために努力して傷だらけになる人生。後者の努力は……本来する必要のない無駄な努力だ。
「おい、シンタロー。どないした?」
「あ、あれ?」
気が付くと涙が俺の頬を濡らしていた。
「ハハ。シン、男泣きじゃん。ハルクに感動しちまったんだよな。分かる」
「あ……うん」と、手の甲で頬を拭きながら答えた。
「なんや。そないにか」
「……ところで、カンキ君は今は大丈夫なの? その……」
「ん? ああ……今の家庭環境は問題ないで。普通や」
そこで一旦、言葉を切って、カンキ君は烏龍茶を飲んだ。そして、溜め息をついてから話を続けた。
「せやけど、無理なんや。いたないんや」
「どうして?」
「……家族ってもの自体が怖いんや。うまく言われへんけど…・・怖うて、しゃあないんや。いつか壊れてまうんやないかとか、色々考えてしもうて……」
「だから、アネ広に……」
「かんちゃんは大阪から家出してきてるからな。すげぇよな」
「ええ! 大阪から?」
「ああ。もう、目に入るみなの光景を変えたかったんや」 ※みな:全て
「そんなに……」
雄馬は腕を組んで、懐かしむような口調で過去を語り始めた。
「かんちゃんは元々家を出たくて、中学卒業後は、大阪でバイトしてたんだよ。でも、給料安くて、このままじゃ家を出られないと思ったから東京に来たんだったよな」
「せや。ホストになろう思うてな。ホストやったら、めっちゃええ暮らしできそうや思うて。せやけど、まさか18歳にならんと働かれへんとはな~」
「ええ……。それでホストで働けなくてどうしたの?」
驚いて訊ねると、その問いには雄馬が答えた。
「かんちゃんさ~、絶望して
「マジでビビったね。あんな目立つとこで一人で寝るやつなんていないからさ、すぐにオレが声をかけてさ。そんなとこで寝てると補導されますよ、つって。そんで、話したら、まあ結構いいやつっぽかったから、ネカフェとか紹介して、まあ色々した」
「いやホンマ、キミには世話になったわ」と、鼻をすすりながらカンキ君は少し微笑んだ。
「良いって」と雄馬はニカッと笑顔になった。
俺は二人のやりとりを複雑な気持ちで眺め、気持ちを押し込むようにコーラを喉に流し込んだ。
雄馬は思い出したかのようにカルビを取ると、鉄板の上に敷き始めた。ジューッという脂が弾ける音が俺の止まらない思考を遮った。
◇◇◇◇◇
【親愛なる読者の皆様へ】
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