高校1年 2学期 ◆新宿アネ広◆

第20話 「今から⚫ぬから」とか、ざけんなよ!!!


「何でこいつ、またいるわけ?」


 赤いアイラインを引いた大きな瞳の女の子が立ったまま、座っている俺を睨みつけている。ピンク色のツインテールは腰まで伸びており、白い大きな襟のついた黒いワンピースが風でひらめいている。

 雄馬が俺の肩に手を回して、とびきりの笑顔を作った。


「そう言うなってエレナ。シンは俺の親! 友! なんだから」

「はぁ? ぜってぇ違うじゃん。合うわけないじゃん」

「まぁまぁ、ヒメ様落ち着いて。せっかくの可愛いお顔が台無しっすよ」と、のだっち君が宥める。

「はぁ、ウッザ。消えろ」


 そう言って、エレナちゃんはツインテールを揺らしながら、ネオン街に消えていった。

 俺らは一瞬立ち上がったものの、再度、アネ広の一角で円状に地面に座った。


「はぁ、難しいお年頃ですね~ヒメ様は」

「エレナは元から気難しいからな。シン、気にするなよ」

「お、おう」

「あいつもさ、家がヤバくて逃げて来てるから、シンが恵まれているのが面白くないんだよ」

「そうなんだ……」


 ここ最近、よくエレナちゃんを見かけるようになった。雄馬と一緒に話していることが多く、俺が雄馬に話しかけると、怒りを込めた視線を送ってから去って行くのだ。のだっち君がヒメ様と呼ぶのは、本名が花満月姫だからだと言う。花満月姫でエレナと読むらしい。女児向けアニメの主人公で、花満月姫エレナというキャラがいるそうだ。


「俺、やっぱ恵まれているのが顔に出てるの?」

「あー、そっすね。分かるっす。なんかホワホワしてるっす」

「そうなんだ……」

「いや、のだっち、それじゃ伝わんねーだろ。何だろな、シンはキリキリした感じがねーんだよな」

「キミッチも分かりにくいっす」

「ウソ。伝わったよな、シン?」

「うーん、多分……?」

「あーダメっすね。自分ら語彙力死んでるからダメっす」

「え~。いけそうだけどな~」


 エレナちゃんに嫌われているのは多少辛いけど、ここだと息苦しさがない。11月も中旬になって、部活も先輩が引退し颯太が会長になった。体調が良いときだけ部活に出てくる感じでいいと言ってくれたため、大分気が楽になった。颯太曰く、どうせ部活は本読んで話してるだけだから、と。本当に俺は友達に恵まれているなと思い耽っていると、雄馬がスマホの画面を凝視しながら、唐突に立ち上がった。


「はあ!?」

「え、いきなりどうしたの?」


 雄馬は、始めのうちは驚いたような表情を浮かべていたが、次第に呆れたような表情へと変わっていった。いったい何を見ているのだろう。


「……はぁ」

「ヒメ様?」

「そう、ちょっと行ってくるわ」


 それから俺を一瞥し、わりい、と呟くよう告げると、すらっとした雄馬のシルエットは人混みの中へ消えていった。


「ど、どうしたの?」

「あ~、よくあることっす。ヒメ様、オーバードーズしちゃったっす」と、のだっち君はマッシュルームヘアを指でいじりながら答えた。

「オーバードーズって薬をたくさん飲むことだっけ?」

「そっすよ。ハイになれるみたいで。自分はやらないすけど」

「そうなんだ……」

「ヒメ様の場合、一人で路上でやるから危ないんすよ。こんなところで一人でぶっ倒れてたら、ヤバいっすよ」

「なんでそんな事……。せめて皆の前でやればいいのに」

「キミッチが好きなんすよ。キミッチの気を引きたくて、わざとこういうことするっす。自分が前に助けに言ったら、意識が戻った後でお前じゃねぇってキレられたんで」


 そう言って、のだっち君は大きな溜め息をついた。


「そ、そうなんだ……」

「あ、引いてるっすね」

「えっと……はい」

「いいっすよ。それが普通の反応すから。ここにいるやつは皆、感覚が麻痺しちゃってるんすよ」

「やっぱり、皆、嫌な事があって家にいたくなくて、ここにいるの?」

「まあ、大半がそっすね。なんかここにいると安心するんすよ。皆、似たような境遇だから」

「……」

「……シンちゃん。余計なお世話すけど、死が怖いうちは、こんなとこ来るべきじゃないと思うっすよ」

「え? それってどういう……」


 俺が言いかけてる間に、のだっち君は「よっ」と立ち上がった。


「さて、もう遅くなってきたし、そろそろ帰った方が良いんじゃないすか? 親、心配しますよ?」

「え、のだっち君はどうするの?」

「自分は適当にブラブラするっす。大丈夫すよ。自分、ここの知り合い多いんで」

「あ、そうなんだ。じゃあ、ごめん。帰るね」

「おつっす~」


 そう言って手を振ったのだっち君は、何かを諦めたような顔をしていた。



***



「お前、こういうこと、いい加減やめろよ」


 エレナがレインで、「今から死ぬから」というメッセージを寄越したので現場に急行した。追加で空になった風邪薬のビンとホテル街の写真を送りつけて来たので場所の特定は容易かった。おそらく、死ぬ気はないだろうと思ったが、場所が場所だけに向かわざるを得なかった。

 写真の場所に着くと直立不動のエレナがいた。


「なんだ、やっぱ薬飲んでないじゃん」


 安堵のため息をついて、続いて振り回されたことに対する怒りが込み上げてくる。


「だって、アンタがいけないんじゃん!」


 また、それか。聞き飽きた台詞にうんざりする。

 エレナはオレに求めすぎる。オレはエレナとそういう仲になる気はない。妹みたいな存在だから、或いは同情心から構っているだけなのに、それだけでは不満なようだ。


「アタシのこと、面倒見れないなら、変に助けんなよ!」


 エレナは持っていたピンク色のリュックを地面に叩きつけた。確かに1年くらい前、夜中に一人でいたエレナをオレが助けたことがあった。聞くと、母親の彼氏に襲われそうになって自宅から逃げ出したのだという。飯を食わせて、昼間にネカフェでシャワーを浴びさせてやった。それが縁でエレナはオレを何かにつけて頼るようになった。ただ頼るだけなら良かったのだが、それがどんどんエスカレートして今じゃ執着に変わっている。今だってホテルを指さして、オレを試している。


「してよ! アンタ、こうなること分かってたでしょ!? なんで、してくんないの!? アタシのこと、好きだから助けてくれたんじゃないの!?」


 もう言ってることが滅茶苦茶だ。とりあえず、死ぬ気はないようだし安心したので視線をエレナから逸らした。


「アタシのこと、愛してよ! アタシを助けたんだから責任取れよ!! アタシを1番に見てよ! エコヒイキしてよ! しなさいよ!!」

「……」

「何黙ってんだよ!! 何か言えよ!!」


 ホテル街に怒号が響く。通行人の視線を浴びながら、オレは驚くほど何も感じてはいなかった。


「なんで、そんな冷たい目……」


 エレナが泣き崩れる。周りからはオレが悪者に見えてるんだろうな、なんて考えながら冷静に彼女を見下ろす。彼女の、母親に愛されなかった生い立ちや、母親の彼氏に手を出されそうになったことについては可哀想に思う。だけど、こう何度も自殺未遂を装って呼び出されて、愛を強要されては堪らない。


「オレは、エレナの母親にも父親にもなれないよ」

「はぁ!? 何言ってんの? 当たり前じゃない!? ふざけんなよ! バカ!!」


 エレナがリュックにぶら下げていたぬいぐるみのキーホルダーを、そのチェーンを乱暴に外した後、オレに投げつけてきた。ぬいぐるみがオレの腹に当たった後、路傍を転がっていく。その様を見ていたオレの瞳に複数の黒服の姿が映った。オレらとの距離は10メートルもなさそうだ、こちらに向かってくる。


「おいっ、エレナ! ここじゃ迷惑だって! とにかく移動するぞ!!」

「うっさい! 触んな! シネ!」


 オレは暴れるエレナとリュックを抱きかかえて、ホテル街から立ち去った。そもそも未成年のオレらがホテル街にいること自体まずいのに、そこで騒ぎを起こせばほぼ確で補導されてしまう。いや、補導はまだマシか。


 エレナが喚きながらオレの背中を拳で何度も叩いている。正論を言っても、今は彼女を悪化させるだけだろう。走って人通りの多いところまで来たとき、一気に疲労感に襲われた。すぐに彼女を下ろし、リュックを差し出す。恨み顔のエレナは乱暴にリュックをひったくり、オレの右の二の腕を殴ってから、ヒステリックに叫んだ。


「アンタがヒーローだと思ったアタシが間違いだった!! 全然役に立たねぇじゃん!! この役立たず!! 消えろ!! シネ!!」


 目に涙を浮かべながら、ひとしきり騒いで、それからオレに背を向けて歩き始めた。

 去り際、「アタシがおかしくなったら、アンタのせいだから」と、ぼそっと呟くのが聞こえた。


「……」


 オレはその場で、しばらく呆然と立ち尽くしていた。肩がぶつかってホスト風の男に舌打ちをされる。オレを避けるように人の流れができる。


「……」


 なんでいつもこうなるんだろう。親切にすると、結局最後は恨まれる。彼氏でもないのに、愛せとキレられる。理不尽だ。でも考えてみれば、オレの人生は最初から理不尽に満ちていた。期待を持っては潰されて、それが繰り返されるうちにオレの瞳は濁っていった。


(もう希望の光なんて見えやしねぇよ)


「よっすよっす。大丈夫っすか?」


 ハッとして声のした方を見ると、のだっちがいた。


「のだっち……ちっと今回キツかった」

「やっほ。ヒメちゃんに派手にやられてたね~」

「ジュリナ」


 二人に促されるまま、新宿姉萌根あねもねビル横のレンガ花壇の縁に腰を下ろす。ジュリナは長い青髪を左右に揺らしながらコンビニに入り、戻ってきて温かい缶コーヒーをオレの右頬に押しつけた。


「はい、どうぞ!」

「あっつ! ざけんなよ! クソが!」

「ごめん、ごめん」と舌を出すジュリナを睨みつける。

「キミッチ、めっちゃ機嫌悪いっすね」

「当たり前だろ」

「あら怖い。でも、今回ヒメちゃん凄かったね。また月のアレ?」

「知らねぇよ、そんなの」

「ジュリ姉、男にその手の話はダメっすよ。分かんないっす」

「ふーん。でも、大事なことだよ」

「そうだけど」


 ジュリナが不思議そうに俺を見つめた。


「え、キミちゃんはヒメちゃんと付き合ってはないんだよね?」

「そうだよ! ホント、理不尽すぎだろ……」

「でも、何かいつもこうなるっすね」

「なんで? なんで、オレいつもこうなんの?」

「イケメンだからじゃな~い?」

「メンヘラ製造機っすね」

「マジメに答えろよ……」

「付き合ってないけど、そういう仲になったことがあるとか?」

「馬鹿言うなよ。あるわけねぇだろ、そんなこと。エレナは妹にしか見えねぇよ」

「キミッチって意外と手ぇ出さないタイプなんすよ」

「え、意外~。てっきり……」

「……なんだよ。お前らにオレはどんな風に見えてんだよ」

「それは……うふっ」

「もう見たまんまっすよ」

「はぁ~。こいつら、うぜぇ~」


 身体を後ろに少し倒して天を仰ぐ。鬱陶しいほどの密雲が空を覆っていて、星明かりなんて全く見えなかった。



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