第18話 「母さん、話があるんだ」

 

 月曜日、また学校が始まってしまった。ここのところ、ずっと学校での居心地が悪い。

 なぜだか分からない――――なんていうのは嘘で本当は気づいてる。認めたくないけど、彼らとはいる世界が違うからだ。


 この学校は進学校だから、家庭環境に恵まれている人が多い。安定した生活に子ども想いの親。人生で多少の挫折はあっても、死を考えるほどの苦境に立たされたことのない顔。理不尽に奪われたことのない顔。人と信頼関係を結びたいという顔。顔顔顔顔顔……。

 俺は、ここにいる人たちに、どんな顔に見えているんだ。


 苦しい、苦しい。ここにいることが、この世界が、苦しい。くそっ。俺は一池みたいに割り切れない。あいつはやっぱ凄いよ。俺は……。


 胸を押さえながら、部室に向かう。流石に今日は出ないとまずい。最近、部活をずっと、休んでしまっていた。もうすぐ中間試験前の部活動停止期間になる。だから今日部活に出ないと、10月31日まで2週間近く部活がなくなってしまう。

 先輩は9月からは受験勉強の関係で週に1回だけ、部活に顔を出していると颯太から聞いた。


(今日、先輩いないと良いんだけど。颯太にもゆかりにも心配させて何をやっているんだ、俺は)

 

「どうでもいいじゃないか、そんな恵まれている奴の事なんて」


 耳元で誰かが囁いた。


「……っ!?」


 驚いて辺りを見回すが人影はなかった。激しく波打っている心臓を、深呼吸で無理矢理鎮めていった。

 


 部室のドアを前に呼吸を整える。


「ふー……」


 よし、大丈夫。ドアに手を掛け、横に引いた。ガラッという音とともに、3人の6つの瞳が俺を捉える。運悪く先輩がいたことに俺は落胆した。


「す、すみませんでした。俺、ずっと休んじゃって」


 緊張しながら話しかけると、先輩は腕を組んで視線を俺から空いてる席へ移した。


「ええで。まあ、座りぃ。ほんで、メロン紅茶飲みぃ。アンタ、顔、真っ青やで」

「え、ああ。すみません。ありがとうございます」


 先輩に促されて椅子に座る。心配そうな表情のゆかりと颯太の視線が痛い。紙コップに口を付けたが、少しも飲めずにテーブルの上にそれを置いた。


「なあ、新。アンタ、アレなん? 肘の難病なんやって?」

「え? まぁ……はい」


 颯太を見ると、眉を下げながら手を合わせている。


「すまんの。アンタの個人情報、聞き出してもうたわ。アンタがあまりに調子悪いみたいやったからな」

「いえ。別に」

「なんや、暗いな~。アンタ、肘のこともあるけど、別に何か悩んどるやろ?」


 ドキリとした。どうやってこの質問をかわそうか、動かない頭で必死に考える。


「そ、そんなこと、ないですよ」

「アンタ、どうせ自分なんてとか、自分は無価値だとか思ぉとるんやろ」


 思わず息を呑んだ。そんなこと俺の顔に出ているのか。急に恥ずかしくなってきて、顔を背ける。


「なあ、新。今、この場で、新なんかとか、新は無価値だとか、そういう目でアンタを見とる者がおるか?……おらんやろ?。

 ジブンがジブンを見る目だけが濁っとんねん! ジブンを見る眼鏡だけが濁っとんねん! そんな濁った眼鏡はほかしてしまえ! 欠陥品やで!」※ほかす:捨てる

「せ……先輩……」


 唾を飲み、下を向く。喉が震えているのを悟られないように声を出す。


「良いこと言いますね。眼鏡してるの、先輩ですけどね」

「やかましい! 物の例えや!」


 思わず笑ってしまった。先輩に活を入れられて少し気が楽になる。ゆかりも颯太も、元気出してと励ましてくれた。俺は良い仲間に恵まれていると思う……。

 そのまま、11月3日の文化祭の話題になった。文芸同好会では、毎年本を作っていると言うが、本と言ってもただ文章を書いてA3の紙に印刷した物をA4サイズの冊子にするというものだった。その冊子を部室に置いて、来た人に読んで貰って感想をノートに書いて貰うというシンプルな形で行うという。先輩は文芸同好会の次期会長は既に颯太に決めているようで、颯太と文化祭の流れの打ち合わせをしていた。


「新くん」

「ゆかり。ごめん、長い間、部活来れなくて」

「いいよ。私こそ、新くんが何か悩んでるみたいなのに、何もしてあげられなくて……。ごめんね……」

「ううん、いいんだ。さっきの先輩の説教で、ちょっと気持ちが回復したから」

「新くん……」

「新、今大丈夫か?」

「あ、颯太。ごめん、何?」

「こんな時で悪いけど、お前だけなんだよ。創作物、提出してないの。詩でも、短編小説でも何でもいいから、11月2日までに提出してほしいんだ」

「あ、ごめん。わかった、頑張るよ」

「うん! 頼んだぞ」



***



 先輩に勇気を貰ってから数日後、夕食後に母さんを呼び止めた。


「あら、新。試験勉強は良いの?」

「母さん、話があるんだ。ちょっと俺の部屋に来てくれる? かおりには聞かれたくなくて」


 怪訝な顔をしている母さんを部屋に招き入れ、そっとドアを閉めた。


「あなた、もう秋なのに、まーだ夏バテ続いてるの? ずっと元気ないじゃない。先週の誕生日の時だってケーキ残しちゃうし。香も父さんも心配して……」

「母さん、俺に隠してることない?」

「な、何よ~怖いわね。ないわよぉ~」

「俺の出生について」


 え、と呟いて、顔色をサッと変えた母さんは次の言葉を必死に探していた。


「な、何のことかしら~あはは」と母さんの目が泳ぐ。

「隠さなくていいよ。もう全部分かったんだ」

「何よ~。何もないわよ~」

比目村ひめむらまなぶ

「……」


 母さんが苦悶に満ちた顔をした後、よろめいてカーペットに膝をついた。


「あなたには関係のないことなのよ。あなたは新なんだから」


 膝を折って、念仏の様にブツブツ呟く母さんの左肩に手を添える。


「母さん」

「ね? 新。今の生活に何の不満もないでしょ? 別に過去のことは良いじゃない。今が良ければいいのよ」


 母さんの瞳が許しを請うように潤んでいる。

 俺は冷静に言葉を続けた。


「母さん。なんで母さんと父さんはプロジェクトに参加したの?」

「……そりゃあ、子どもを助けるためよ……」


 俯いた母さんは口を手で覆って、鼻をすすった。


「……妊娠が分かったときは凄く凄く嬉しかった。男の子か女の子かどっちかな~とか、名前は何にしようかなとか、どっちに似るかな~とか、お父さんと色んな話をして、ワクワクして、とっても幸せだった……。でも、しばらくしてから検査を受けたの。そしたら、脳欠損症で死産する可能性が高いって言われて。本当に頭が真っ白になって……」


 母さんの声が苦しそうに震え出す。


「どうしていいか分からなくて、涙が涸れるほど泣いたわ。だって、不妊治療の末にやっと貴方を授かったのよ? 心臓も元気に動いてたのに、中絶手術も検討して下さいって……言われて……」


 母さんの目が真っ赤になって、零れ出た涙が頬を流れた。俺は母さんの背中をさすった。


「中絶手術なんて考えられなかった。でも、このままでいても死産になってしまう。だから、どうにかならないのか、何でもしますってお医者さんに泣きついたの」

「……母さん」

「それで、この子がどんなに大切か、どんなに産みたいか、この子がいなくなることがどんなに、どんなに辛いか、必死に伝えて、何か手はないんですか? って、聞いたの。そしたらね、教えてくれたのよ、プロジェクトのこと。参加しない理由なんて……なかったわよ」


 カーペットに染みが増えていく。俺はティッシュで嗚咽交じりに泣く母さんの濡れた顔を拭いてあげた。


「……新。それなのね、今、悩んでいる理由は」

「……うん。ごめん、母さん。悲しませるつもりも、責めるつもりもないんだ。ただ、知りたかったんだ」

「そう……」と、母さんは鼻をすすって涙を手の甲で拭った。

「この手術をね、受ける時に聞いたの。手術後に無事子供が産まれても、その子をイジめる人がいるんだって。他人ひとの脳が混じってるから、混じり者だって。だからね、そういう差別は絶対にしないと約束できますかってプロジェクトに参加する時に聞かれたの。差別なんてするわけないじゃないね、私の可愛い子なのに」

「……母さん。香はどうなの?」


 少し落ち着きを取り戻した母さんは、ハァと大きく息を吐いて俺を見つめた。


「香は、プロジェクトを使わないで普通に産まれた子よ。不思議なことにね、一人子どもができて、心にゆとりが出来たからなのか分からないけど、あんなに不妊に悩んでたのに、香のときは結構すぐに妊娠したの」

「そうなんだ」

「でも、だからって、あなたの事を混じり者だなんて、そんなこと思わないからね! あなたも私の中で10ヶ月大切に育てたのよ? 香と変わらないわ。二人とも大事な私と父さんの子よ」

「……ありがとう、母さん」


 母さんが「だからね」と言って、すっと立ち上がった。


「プロジェクトのことはもう忘れましょう。もうあれは過去のことなの。比目村くんには感謝してるけど、彼の人生とか悲しいこととか、可哀想だけど気にしちゃ駄目なの。あなたは新として生まれたの、新としての人生を生きるの。そんな前のことで、自分は混じり者かもなんて悩む必要は全くないの! 分かった、新?」

「うん、ありがとう。母さん」


 俺は目元を袖口で拭いて、母さんに笑顔を見せた。

 母さんは急に思い出した様に声を上げた。


「あ、新。今日ね、アイスがあるの! ハーゲンドッツの抹茶味。好きでしょ? 一緒に食べよ、ね!」


 母さんが足早に部屋を出て、階段を降りていく。


「え、本当!? やったあ! 母さん最高だよ!」

 俺は自分の中にまだ残っている違和感を見ない振りして、明るい声を出しながら母さんの後を追った。



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