第17話 肯定される禁忌
脳波測定器をつけながら、雄馬と共に病室の近くを歩いている時、一池と出会った。彼も脳波測定器を被っていた。
「あ、一池」
「ども」と雄馬が軽く会釈する。
「あ、新。そちらの方もお揃いで」
「うん。一池、ちょっと、談話室行かない?」
「そうだな。ここじゃ何だしな」
無人の談話室に入り、丸テーブルを囲むように俺らは椅子に腰を下ろした。雄馬と一池の自己紹介が済んで本題に入る。
「一池、お前の替生前の人もその……」
「ああ、虐待で自殺未遂したんだ」
「……」
「ここじゃ珍しいことじゃないだろ?」
「そうだけど」
「イッチーはなんで、それ気付いたの? 替生前の記憶あったってこと?」
「いや。……それにしても君、馴れ馴れしいな。予想通りだが」
「へへ。それほどでも」と雄馬は
「……」
「ごめん、一池。こういう奴なんだ」
「そうか。まぁ、世の中には色んな人がいるからな。で、何故気づいたかだが、ドナーの
「ノート?」
「そうだ。まぁ、内容は遺言みたいなものだ。自分は酷い家庭環境の中で努力を重ねたが、報われずに海に身投げをしたと。それで、幸か不幸か浜に打ち上げられ病院に搬送されて、替生手術を受けるに至った。だから、手術が成功して、君が生まれることが出来たのなら、夢を掴んで欲しい、チャンスを無駄にしないで欲しいって書いてあった」
「重……」と、雄馬が漏らした。
「君、失礼だぞ。彼の苦悩が分からないのか」
「えっと、一池はノートで替生手術のことを知ったっていうけど、元々は替生前の記憶とか全く持ってなかったの?」
俺が一池に訊ねると、彼は首を横に振った。
「全く。そのノートに出会う前は、俺は惰性で人生を生きていた。俺が産まれた家は割と裕福な家でな、毎日生活が保障されていて努力なんてしなくても、結果なんて出なくても、両親は変わらず俺を可愛がってくれた。だから、努力の必要性が分からなかったんだ。おかげで学力もスポーツの成績も凡庸な人間だった」
「意外だな。優秀な一池にそんな時期があったのか」
「だが、中学1年の秋頃、両親は1冊のノートを手渡してきた。そこには橋宮の無念が綴られていた。父親はアルコール中毒で酒を飲んでは橋宮に暴力を振るい、母親はそれをただ見ているだけの家庭だったそうだ。そんな環境に嫌気が差した橋宮は中学3年の時に、高等公安学校に入ることを目指し勉強していた」
「イッチー、何それ?」
「まあ、警察になるための学校さ。若い内から教育して、立派な警察官を育成することを目的としている。中学を卒業してから入るから、高校のようなところだ」
「へ~。そんな学校があるんだ。すげぇ」
「ここに入れば宿舎で生活ができる、つまり親元から離れられるんだ。橋宮は高等公安学校に入るために死に物狂いで勉強した。筋トレだってした。家で親に殴られるのはきつかったけど、それも中学卒業までの辛抱だと思えたら耐えられたようだ。でも、無理だったんだ」
「無理って?」
「中3の冬に試験を受けて1次試験は合格したんだ。でも、身体検査のある2次試験の前日に、父親に灰皿で殴られたんだ」
俺は絶句した。冷気が背筋を上り、ぞわぞわと鳥肌が立っていく。
「彼が高等公安学校を受験していることが父親にばれたんだ。そしたら、『俺を馬鹿にしてるのか』と、かつて無いほどに激昂した父親が殴りかかってきたそうだ。夢中で家から逃げ出して、走り続けて。しばらくすると、彼は右腕の激痛に気が付いた。殴られたときにかばったからか、青あざができていたそうだ。この腕では翌日の身体検査は合格できないと、彼は絶望した。しかし、不合格なら、どうするのか? また、その家で1年耐えるのか。もしくは家を出て、どこかに雇ってもらうのか、と彼は思い悩んだ。勉強も、筋トレも、彼はやれることはやっている。だが、幾ら頑張っても、いつも理不尽に奪われてしまう。そんな状況に絶望した彼は、それならいっそ、と海に飛び込んだそうだ」
「……何で、何で、親が、そんな……」
俺は苦痛に顔を歪めたが、雄馬は冷静さを保っていた。
「橋宮の事を知った俺は、その日から猛勉強を開始した。自分の環境がいかに恵まれているのかを思い知った。橋宮ならともかく、自分のこの環境で、夢が叶わない事の言い訳ができて良いはずがない」
「だから、努力は報われるって言ってるのか」
「ああ。俺は家庭環境が整っていれば、報われない努力は基本ないはずだと信じている。もし報われなかったときは、俺の努力不足ということになる。目標に到達できなかった場合、目標設定を見直す必要はないのか、努力の質と量に問題はないのか、改めて検討しなくてはならない。そういったところも全て含めて、努力の範囲だ」
そう言い切った一池を、俺は心の底から、かっこいいと思った。
「一池。お前凄いよ」
「橋宮に比べたら、大したことはない」
「しかし、そのノート、よくイッチーに渡してくれたよな。親の立場からすりゃ微妙だろ」
「雄馬……。でも、確かに。一池には替生前の事なんて考えずに、一池の人生を送って欲しいと俺なら思うかな」
「ああ、それについては俺の両親が橋宮の生き方に
「……いいな、お前のお母さん」
「オレ、ヤバいわ、そういう話」と、雄馬は顔を背けた。
「俺は元々、要領も良くないし、他の能力も特別恵まれている訳じゃない。でも、そんな言い訳してられないだろ。橋宮のことを知ってしまったら」
俺は目頭を押さえながら、「うん。確かにな」と返す。
「そんで? イッチーの夢って何なんだ?」と、目を少し赤くした雄馬が顔を背けたまま聞いた。
「俺は医者になりたい」
「おお、すげぇ」
「俺を生かしてくれた病院や国に恩返しがしたいんだ」
「ということは、もしかして、医者になってプロジェクトに携わりたいってこと?」
俺の質問に、一池は腕組みをして天を仰いだ後、俺を見据えて答えた。
「まあ、それが一番だが……。小児科医等、虐待されている子供に気づいてあげられる役割のある医者も良いのではないかと考えている。まだ、具体的に何科にするかは決まっていないが、医学部に入ることは俺の中で決定事項だ」
「凄いよ、一池。俺、感動したよ」
「オレも。流石イッチー」
「いや。大したことはない」
「……一池。このプロジェクトって、やっぱり良いものなのか?」
「ん? 新、どういう意味だ?」
「俺さ、最近よく分かんなくて。この替生手術のせいで、俺には替生前の記憶があるんだ。それで俺って何者なんだろうって、よく分かんなくなって、辛くなってさ。でも、一池の話とか聞くと、この手術があって救われた人もいるんだなって……」
「なるほど。まあ……倫理的に色々問題はあるが、俺はこのプロジェクトは良いと思う。橋宮の場合は、ノートを一池夫妻に渡したことを伝えたら、安心したように亡くなったそうだ。この手術がなかったら、彼の死はこんなに穏やかなものになっただろうか? そういう意味では、替生手術は自殺未遂者にとって救いになっていると思う」
「……」
「浮かない顔だな」
「辛いんだ。この手術が肯定されてしまうのが……」
「まあ、それも1つの見方だな。だが、別の視点から見ても、この手術は価値がある。俺たちの命も、この身体の臓器の1つ1つも貴重な資源だ。そして、それを棄てようとしている人がいる。棄てたくて堪らない人がいる。その一方で、その臓器が欲しくて、でも手に入らなくて涙を流している人がいる。じゃあ、もう分かるよな」
「……」
「オレも別に、今の人生はあんま良くねえけど、この研究自体はいいと思う」
「雄馬もそうなのか?」
雄馬は苦々しい顔をしながら話し始めた。
「だって、虐待するようなやべぇ家ならフツーに死にたくなるだろ。産まれた家がやばいのなんて運なのに、自分のせいじゃねぇのに、それでずっと苦しむことになるんだぜ? その家で死なないで、毎日頑張って耐えて生きましょうって? 簡単に言いやがって……。毎日ボロボロなんだよ、虐待されてるやつは。体も心もすり減らされて、生きるだけで精一杯で。なのに、誰も分かっちゃくれねぇし。不良だ何だと何かにつけて馬鹿にしやがって。お前の今の状況は自己責任だと突き放しやがって。そんなん言われたら、余計死にたくなるわ。良いじゃん、死にたい奴は安楽死させてやれば。何がいけねぇんだよ」
「雄馬……」
「君も苦労しているんだな。見た目と違って、結構話の分かるやつで見直したよ」
「ハハ。そりゃあ、色々経験してっから。アンタも割と良いやつじゃん。ガリ勉とか言って悪かったな」
「え? 言われてないけど」
「あ、マジ?」
雄馬がきまりが悪そうに笑うと、一池は「まぁいい。水に流そう」と呟いた。
「あー、オレも、もうちょいマシな家に生まれたかったわ。マジで妹と比べて差別してくんの、だるすぎんだけど」
「君は差別されてるのか? それって、替生手術を受けたからなのか?」
「そ。混じりモンだってさ」
「それはキツいな」
「ああ。だから、もう一回手術受けたいって気持ちも正直あるんだわ。でも、そしたらダチが悲しむだろ? それに、そもそも自殺未遂してないからドナーにもなれねぇしな」
「確かに。ドナーになるための条件はかなり高めに設定されているからな」
一池は、うーんと唸った後、「このプロジェクトはまだまだ改善の余地がありそうだな」と呟いた。
二人のやりとりを見ながら、彼らの価値観に同調できない俺は、反論もできずにただ口をつぐんでいた。雄馬が辛い状況でも自殺未遂までしないのはアネ広という場所があるからだ。
比目村が生きていた頃はそういう居場所もなかったんだ。見たこともない比目村の孤独な後ろ姿が自然と思い浮かんで、切なくて堪らなくなった。
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