第14話 式美先生

 

 診察室の丸椅子に座り、式美先生と相対する。

 先生を前にして、こんなに緊張したことはなかった。体全体が強張る。見慣れているはずの先生の三白眼が、今日はやけに怖く感じた。


「受診を早めたんだね。何かあった?」と、表情を動かさずに先生が言った。

「先生。俺、全部知ってます。プロジェクトのこと」

「……何のことかな」


 尚も眉一つ動かさない先生を見て、俺は怒りを覚えた。


「とぼけないでください! 安楽死を望む人に、安楽死を与える代わりに、脳細胞の一部を脳欠損症の胎児に移植するという極秘のプロジェクト、俺はもう知ってますから!」

「……」


 先生は一回項垂うなだれて、それから顔を上げた。その瞳は氷のように冷たい色をしていて、ゾクリと背筋が寒くなる。いつも表情が乏しいながら柔らかい雰囲気があったのに、今は彫刻のように無表情だ。


「誰から聞いた?」

「いや! あの! 自分で気づきました! ネットで調べて!」


 うわずった声でそう答えると、先生は呆れたように、ふっと笑った。


「ネットで出てこないだろ、こんなこと。出ないように規制してるんだから」

「え……」

「まあいい。漏らした奴の見当はついてる」

「あ! いや! 彼は悪くなくて! 僕が無理矢理聞き出したんです!」

「……彼って言ってるけど」

「あ……」


 しまった――――!

 何とか誤魔化そうとするも言葉が思い浮かばない。


「彼にはしかるべき処分を検討させてもらおうかな」


 淡々と、だがハッキリと先生はそう告げた。


「そんな! あの、お願いです! 処分は俺にしてください! なんでもします!」


 俺は取り乱して大声を上げたが、先生の表情は変わらず冷たい眼差しを俺に向けた。


「そうは言われてもね」

「……」


 返す言葉もなく、俺は俯くことしかできなかった。


「……」

「……」


 先に静寂を破ったのは先生だった。


「それで、今日は嘘をついていた私を責めに来たのかな?」

「いえ、ただ、真実が知りたくて」

「真実?」


 先生が俺を見据えた。


「俺がなぜプロジェクトに参加したのかとか、前世の俺はどうだったのかとか」

「……前世、替生前たいせいまえのことか。君たちの言う前世、つまりドナーの人生というのは我々の間では替生前と呼んでいる。プロジェクトの手術、替生手術たいせいしゅじゅつをする前という意味だ。それで……君は今15歳か。ならば、15、6年前の記録を見てみないと詳しいことは分からないが……」


 先生は俺をチラリと見やった。俺は縋るような気持ちで先生を見つめ返す。先生は少し沈黙してから口を開いた。


「……まあ、調べておく。次来たときに教えるという感じで良いか?」

「ありがとうございます!」


 そう言うと、先生は目を閉じて長く息を吐いてから瞼を開けた。


「では、もう隠す必要無くなったから精密検査を受けてもらう。……ちょうど来月、精密検査の枠があるな。予約を入れて良いか?」

「え、あの、今更なんですが、僕がこんな極秘プロジェクトを知っちゃったの、まずかったです……よね?」


 恐る恐る訊ねてみると、先生は俺から視線を外し、パソコンの画面を見ながら会話を続けた。


「良くはないが、バレてしまっては仕方がない。君、口外しないでくれるな? まあ、したところで誰も信じないとは思うが。証拠もないしな」

「え、でも脳の一部があるじゃないですか」

「その脳の一部がドナーの比目村ひめむら君から移植されたものだっていう証明は? できないよな? それに比目村君の肉体はもう存在しないしな」

「あ……」

「とはいえ、リスクは減らしたい。新君は他人に軽々しく話さないでくれよ」

「はい……ていうか比目村って言うんですね。前世、いや、替生前」

「ああ。今、パソコンで見られる情報だと、比目村ひめむら まなぶ、14歳、全身に打撲痕あり。えー……、飛び降り自殺を図ったところ未遂に終わり、病院に搬送されたってことしかこの記録からは分からないな」

「打撲痕……」

「まあ、君の場合、拳で殴られた跡のようだな」

「……」

「……過去の事なんて気にしない方がいい。せっかく今は前の事を忘れて、良い環境で生活できているんだ」


 ここで俺は、アレを先生に報告してなかったことに気が付いた。


「先生。俺、替生前の記憶、多分あります」

「……なんだと」


 先生の顔が険しくなった。

 俺は躊躇いがちに、7月ごろに頻繁に見ていた悪夢の話をした。


「7月の受診時に教えてもらいたかったが、まあ、いい。最近はその夢を見てないんだな?」

「はい、何故だか前回の受診日から見なくなってます」

「……その日、もしくはその前後に何かあったと考えるのが自然だが、思い当たることは?」

「……ないです」


 へえ、と意地悪な笑みを浮かべながら、先生は頬杖を突いた。


「まあ、いい。それで来月の精密検査のことだが……」

「あ、先生、漏らした人の処分はどうするつもりですか?」

「……一旦、保留にしておく」

「あ、ありがとうございます」


 ほっと胸をなで下ろし、精密検査の日程の説明を受けてから、診察室を出た。退室した後に、薬の服用について確認していない事に気づいた。しかし、病院での会計時に薬を処方されなかったので、もう飲まなくていいという事だと解釈した。


***


 数日後、俺と雄馬はネカフェ『自由部屋』に来ていた。最近の俺は、部活が休みの日は雄馬とよく会うようになっていた。なんとなく、学校の友達よりも雄馬と一緒にいる方が居心地が良かった。


「絶対虐待からの自殺未遂ルートじゃん」

「うん。想像はしてたけど、さすがにきついわ」

「まあ、いいじゃん。今世がいいなら。前世のことなんて忘れるしかないって」

「あ、それと、謝らなきゃいけないかもしれない」

「え、何? 怖いんだけど」

「先生に雄馬から聞いたことバレたかも」

「あー。ハハハ。オレも実はミスっちゃったからな」

「え、何?」

「お前に初めて会った翌日にさ、シキセンに聞いちゃってさ。もし、このプロジェクトを誰かに喋っちゃったらどうなるんすかって」

「ええ……」


 俺は体から気が抜けて、間抜けな声が出た。


「いや、だって、怖かったんだよ! 誰かに喋って罰金とかだったら、やべぇなって」

「そしたら、なんて言われたの?」

「いい笑顔で、もしも話したことで何かあったら処分考えるからって言われた」

「こわ。てか、あの先生、いい笑顔することあるんだ……」

「マジで怖かった」


 雄馬が苦い顔をして、舌を出した。


「でも、とりあえず、すぐ何かされるようじゃなくてよかったよ」

「ああ。てか、シキセンって、たまにすげえ圧出すよな。アレ、苦手すぎる」

「うん。分かる」

「あ、ところで精密検査出るようになるんだろ? いつ?」

「えっとね……」


 受付で渡された予約表を雄馬に見せる。


「10月14と15か。オレと一緒じゃん!」

「え、2日間も。学校休めるかな」

「両方土日だって。いつも病院閉まってる土日にやってんだよ。1日目は問診とMRIやった後、脳波測定器付けて、そのまま寝て、2日目の夕方に退院するって感じ」

「脳波測定器って、機械のついた帽子みたいなやつのこと?」

「そうそう、あれ」

「へえー」

「オレ、ひそかに楽しみにしてんだ、精密検査。タダ飯が食えるからな。最近の病院食は旨いんだぜ?」

「そうなんだ。ってあれ、精密検査っていつも土日にやってるって言ったよね。雄馬と初めて会ったの、金曜なんだけど」

「あーそれね。何かシキセンが学会? 勉強会だかで、日程がずれたんだよ。そんで、金曜の夜から翌日までの日程に変わってたんだよ」

「マジか。じゃあ、あの時、トイレで寝てなかったら雄馬と出会えてなかったんだ」

「そ。あの時はマジでビビったわ。何で、精密検査じゃないやつがこのフロアにいんのって」

「確かに」


 その後は精密検査の初日に待ち合わせる場所と時間を決めて、雄馬と別れた。


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