第13話 困惑


 夏休みが明けた9月中旬。

 二学期が始まってからも元気のない俺を皆が心配していた。


 チャイムが昼休みの始まりを告げると、静かだった教室内に一気に色んな音が溢れて賑やかになった。俺は、その楽しげな音を聞く度に、寂しさに似た感情を少しずつ、だが着実に募らせていった。


「おい、新、大丈夫か?」と颯太が、俺の右肩に手を掛けてきた。

「あ、ごめん。何?」

「なんかここのところ、ずっと元気なくないか?」

「それ俺も思った」と、健が同調する。

「そうかな」

「そうだよ、なんか暗いよ。やっぱ悩みがあるのか?」

「別に」

「もしかして、また曳谷のこと」

「いや、本当にそういうんじゃないから。大丈夫、ありがとう。ごめん、ちょっとトイレ」


 気まずさからトイレに避難した。またあいつらに心配をかけてしまったと罪悪感を覚える。鏡の中に映る自分は確かに覇気のない顔で暗い表情をしている。

 皆いいやつなのに、居心地の悪さを感じる俺はおかしいのかな。雄馬の前だと楽しく笑えるのに……。

 

 どうしちゃったんだよ、俺。

 学校で、あいつらにどんな顔して接したらいいか分からない。

 俺、前どうやってあいつらと話してたっけ。

 どんなテンションで、どんな顔で、話してたっけ?

 もう思い出せないよ……。


 クラスに戻る途中、廊下で一池いちいけに出会った。


「あ、新。探したぞ」

「一池、どうしたの?」

「保護者会のプリント、お前だけ未提出だからもらえるか?」

「あ、忘れてた。ちょっと待って」


 教室に戻ると颯太も健もいなくて少し安堵した。クラス委員の一池にプリントを渡すと、彼は無表情のまま、それを受け取った。


「ありがとう。じゃ、今から先生に出してくるな」


 そう言うと、一池は足早に教室を出ていった。

 次の瞬間、俺は無意識のうちに彼を追いかけていた。人がほとんどいない廊下を進み、彼を呼び止める。


「な、なあ、一池!」

「ん? どうした、新」

 

 彼は足を止めて、少し驚きながら俺に視線を向けた。


「あのさ、お前よく『努力は報われる。報われないなら努力が足りない』って言ってるじゃん」

「ああ。それがどうした?」

「報われない状況もあると思わないの?」

「報われない状況? うーん。報われると信じてするもんだろ、努力って。報われなかったら、報われるまで努力するかな、俺なら」

「でも、もし、報われる可能性の低い状況に生まれたら……例えば虐待とかがある家庭環境で、それで努力してもどうにもならなくて自殺したら、それって努力不足なのか……?」


 普段表情が乏しい一池の顔がサッと曇った。

 沈黙した俺たちの間に、蝉の孤独な鳴き声が響き渡る。それは自分を認めてくれと叫んでいるようだった。

 しばらくして小さくなった蝉の声を掻き消すように、一池が言葉を返す。


「どうした新? 何だってそんな事を考える?」

「いや、ちょっとニュースでさ、虐待のやつ、見ちゃって」


 少し悩んでから一池は口を開いた。


「……年齢にもよるが、15、6歳ぐらいなら努力不足なんじゃないか? 今の時代、死ぬ前にやれることなんていくらでもあるだろ。ネットで情報を集めることも容易だし、その家庭から逃げて、行政に助けを求めたりとか、色々あるだろ。劣悪な環境でも這い上がって成功してる人なんて五万といる。……てか、どうした? そんなこと聞くなんて。悩みがあるなら俺で良ければ聞くぞ」

「あ、いや、ありがとう。引き留めてごめん」

「あ、ああ。じゃあ、俺はもう行くぞ」

「おう」

 

 一池の背中が遠ざかっていく。

 

 彼は良い奴だ。とっつきにくいところはあるけれど、昔から優等生で面倒見はいいし、今だって悩みを聞くと言ってくれた。


 良い奴だ……。

 良い奴なのに……。


「……どうしてこんなに腹立たしいんだろう……」



***



 夏休みからもう1ヶ月以上、新の様子がおかしい。あんなにアスキミの映画を楽しみにしていたのに、8月にシアターから出たときの新は恐ろしい程の無表情だった。皆ずっと心配しているけど、新に聞いても大丈夫しか言わない。でも、そう言われてしまっては、これ以上踏み込めない。


「颯太くん」

 声をかけられて、そちらを向くと、少し元気のない様子のゆかりがいた。

「私、未提出のプリントがあるから職員室に行ってくるね。ちょっと相談とかするから時間かかるかも」

「ああ、いってらっしゃい」


 ゆかりが部屋を出て行き、一人部室に残される。

 美夜子先輩も2学期からは受験勉強の関係で週に1回しか来ないし、新は今日も謎の体調不良で部活に来ない。


「あー、モヤモヤする」


 僕は画面の中の天ノ川セイラちゃんを見つめ、一時の幸福感を得た。

 ニヤけた顔を元に戻しつつ、考えても仕方ないと本を開いたとき、部室のドアの曇りガラスの窓に人影が映った。そのシルエットは左右に揺れるばかりで、なかなか部屋に入ってこない。

 ゆかり……じゃないよな?

 困惑しながら、ゆっくりとドアを開ける。

 あ、っと小さく叫んだ細身で高身長の男子学生と目が合った。


「あのー、どうしたんですか?」と、僕から声をかける。

「あの、ここって文芸同好会の部室?」

「そうだけど。もしかして、新入部員!?」

「あ、ごめん、そういうわけじゃ無いんだ」


「そうなんだ」とガッカリして、目線を下ろすと上履きの淵の色が緑だった。

 急に吹き出した冷や汗が僕の頬を伝う。


「あ! スミマセン! 先輩でしたか……」

「いや、いいよ」

「それで、どうしたんですか?」と恐る恐る彼の顔色を窺う。

「ちょっと、美夜子のことでお礼が言いたくてさ。君が颯太くんだね?」

「み、み、美夜子先輩のことで!?」


 その場で聞き出したい気持ちをぐっと抑えて、部室に入って貰った。入り口付近の椅子に僕と光沢ひかりさわと名乗ったその先輩は腰掛けた。光沢先輩は美夜子先輩の中学からの友人なのだという。


「新くんと、ゆかりさんはいないみたいだね」

「よくご存じですね」

「美夜子からよく聞いててさ、生意気な新くんと、メガネの颯太くんとアイドルのゆかりさんががいて楽しいって」

「僕……メガネしか特徴ないのか」


 ショックで肩の力が抜ける。


「ははは、ドンマイ」

「あはは……。それで、お礼って何ですか?」

「ああ。美夜子を元気づけてくれて感謝しているんだ。ありがとう。本当は君たち3人いる時に言いたかったんだけど……」

「あ、いやいや、こちらこそ。美夜子先輩にはホント助けられてばかりで。むしろ僕の方がお礼を言いたいですよ。あ、他の二人には僕から伝えておきますね。新は今日休みだし、ゆかりは用事でいつ戻ってくるか分からないんで」

「ありがとう。……美夜子さ、最近凄い楽しそうで、大学も医学部行くって張り切りだして。君たちのおかげなんだよ。本当にありがとう」


 整った顔立ちの光沢先輩が頬を緩めたのを見て、嬉しい反面、強力なライバルの出現に対抗心が俄然湧き始めた。光沢先輩に対するプラスとマイナスの感情が内心でせめぎ合っているのを悟られないように言葉を返す。


「い、いえ、そんな。僕らは普通に美夜子先輩と部活してただけで」

「それが良かったんだよ」


 一呼吸おいてから、光沢先輩は悲しげな目つきで話し始めた。


「美夜子、去年、学校来れなくなったときがあってさ。イジメとかじゃないんだけど、お兄さんのこと知ってショックで来れなくなっちゃったんだ」

「え、お兄さんの事……」

「……お兄さんさ、美夜子が小さいころに亡くなってるんだよね。自ら、その……」

「え……」


(自らって、つまり、自殺ってことだよな……)


「美夜子は、それをお母さんの日記でたまたま知っちゃったみたいでさ。ショックで、塞ぎ込んで、ちょっと不登校になっちゃったんだ。……美夜子のとこってシングルマザーの家庭でさ、お兄さんのことがあったから、お母さんと一緒に小さい頃に大阪から東京に来たらしくて。でも、お母さん大阪弁だし、自分も何となく身について。お兄さんのことを知った後は、大阪弁で話す度に思い出してしまって……。辛いよな、そんなの」

「……」


 情けないことに、何も言葉が思いつかなかった。


「俺、頑張って励ましたけど、全然、俺の声なんて届かなくて。その時の美夜子は見ていられないくらい憔悴してて。でも、秋頃、学校に来るようになって、やけに元気で。前も元気で面白い人だったけど、復学後の彼女は、なんだか痛々しさもあって、でも俺、どうすることも出来なかった。大学だって、手っ取り早く金が稼げる仕事につくんやって言って。なんか投げやりになってて」


 光沢先輩は溢れる思いに任せて矢継ぎ早に話した後、一呼吸おいてから、再び口を開いた。


「だけど、そんな感じだった美夜子が、3年生になってから、だんだん元の美夜子に戻ってきたんだ。自然に笑うようになって、大学もお兄さんみたいな人を救いたいから精神科医になるんだって言い始めて。最近、それが君たちのおかげなんだって気が付いたんだ。だから、本当にありがとう」


 光沢先輩はどうやら気持ちを言い尽くしたらしく、温かく穏やかな視線を僕に向けた。


(美夜子先輩……。そんな辛い気持ちを抱えていたなんて、僕、全然、気づきませんでした……。半年も一緒に過ごしてたのに。駄目な男ですみません)

 僕は自分の不甲斐なさを痛感しながら言葉を返した。


「いえ、僕たちは何も……。それは美夜子先輩が頑張ったからですよ」

「それでも言いたいんだ。俺は何も出来なかったから」

「……光沢先輩。何で、先輩はそこまで美夜子先輩のことを……」


 多すぎる情報量に頭がパンクした僕の内心は、美夜子先輩への同情や光沢先輩への対抗心などが渦を巻き、それらに押し出されるように疑問が口から零れていた。

 零れた後で後悔が押し寄せる。

 

(ここで、もし『好きだから』って返されたら……)


 嫌な汗が額を濡らす。

 固唾を呑みながら返答を待った。


「助けられたことがあるんだ、中学のとき。だから、美夜子は恩人だから助けたいんだ」

「……」


(こ、これは……。美夜子先輩のことを好き、とは言い切れない、か? とりあえず、安心していいのか……?)


 懊悩する僕にまるで気が付かない様子の光沢先輩は、期待に満ちた瞳で僕を見た。


「もうすぐ、美夜子は部活を引退しちゃうけど、それまで美夜子のこと変わらず支えてほしいんだ。頼んだよ」

「……っ! 分かりました! 任せてください!」


 僕は煩悶をひとまず横に置き、使命感を胸に力強く返事をすると、光沢先輩は晴れやかな笑顔を見せて部室を後にした。


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