第11話 新宿アネ広――――逃げ場

 

 目を覚ますと、俺を覗き込む二人――――雄馬と黒いパーカーを着た鋭い目つきの赤髪の男と目があった。


「あ、気が付いたか?」

 雄馬の言葉に「あ、ああ」と答えて、俺は仰向けの姿勢から、ゆっくり上半身を起こす。

「気分はどうだ?」

「ちょっとクラクラするけど、大丈夫」

「そっか。良かった」

「おう、もう大丈夫そうやな」と鋭い目つきの男が太い声で言った。


 その男は立ち上がりながら「キミ、もうええか?」と雄馬を見る。

「うん。ありがと、かんちゃん」

「おう。兄ちゃん、気ぃつけや」


 そう言って、かんちゃんと呼ばれる男は部屋を出て行った。


「お前が突然ぶっ倒れるから、ダチに来てもらってたんだよ」

「ごめん」

「いいって」

「……そう言えば、キミって言ってたけど……」

「あ、それオレの事。名前、君影きみかげ雄馬だから」

「そうなんだ」

「……まっ、とりあえず、今日はもう帰るか。疲れたろ」

「ああ」


 俺は力なく立って、ふと、疑問が口から漏れた。


「俺の前世も虐待があったのかな?」

「……まあ、あっただろうな。このプロジェクトに参加する奴の殆どは虐待された奴だって聞いたしな」

「そうか……」



 夕闇の中、温かみのある白い街灯に照らされた歩道を力なく歩く。

「あのさ、言いたくねえなら良いけどよ、思い出しちまったのか? その……」

「……たぶん」

「マジか……」


 雄馬は頭をかきながら、すまんと言った。


「いや、雄馬のせいじゃないよ……」


 あの恐ろしい予感がする夢、あれは多分前世の記憶だ。あの聞き覚えのない若い声も、前世の人のものなんだろう。確証はないけど、強くそう思うんだ。

 じゃあ、前世の人は、虐待から逃れるために安楽死を望んだのだろう。でも、記憶が引き継がれるという、医者の想定外のことが起きた。脳をもらったばかりに俺は今、苦痛を味わってる。だけど、脳をもらわなかったら産まれてくることができなかった……。


 また吐き気が込み上げてくる。


(……思考がまとまらない。目的地のないまま荒野を彷徨っている気分だ……)


「なあ。ちょっと寄り道できるか?」

 黙って前を歩いていた雄馬が、突然振り返って穏やかに言った。

「え。まぁ、いいけど……」


 雄馬に連れられて来たのは、アネ広だった。



 新宿のアネ広――――新宿姉萌根あねもねビルの近くにある広場のような場所で、よく家出した少女や少年が集まる場所。不良のたまり場。俺が持っている知識はこれくらいだ。ニュースで度々耳にするが、正直怖いイメージしかないし、俺には一生縁のない世界だと思ってた。

 それが、今、目の前に広がっている。


 意外と普通の格好の人も歩いてる。これが最初に抱いた感想だ。


 アネ広には、見るからにヤンキーだったりギャルみたいな人たちが集まっていて、歩くと難癖をつけられたりカツアゲされたり、喧嘩がよく起きるイメージを持っていた。だから、案外、皆平和に過ごしていることに驚いた。

 もちろん、全身をゴテゴテの黒い服(ゴスロリと言うのか?)で着飾ってる若い女性や、酒の缶と共に地面に寝っ転がってる20代くらいの男性、段ボールを敷いて座って宴会を開いてるグループ等、普通じゃあり得ない光景も見られるが。


「……なんか、すごい所だな」


 俺は眉をひそめながら呟いた。


「な、面白いだろ?」


 俺とは対照的に、ネオンの光に照らされた雄馬の顔は妖しい笑顔を作っていた。


「えぇっと……うん……。でも、やっぱちょっと怖いな。雄馬はここに良く来るのか?」

「ああ、なんか居心地が良くてな」

「……そうなんだ」


 生暖かい風に乗って、酒とタバコと香水のむせるような匂いが、喧噪と混じり合って運ばれてくる。目に入る全ての看板が激しく主張していて、どうにも落ち着かない。なんで俺をここに連れてきたんだろうと雄馬に目をやると、遠くを見つめながら彼は口を開いた。


「ここには、オレらと同じくらいの年のやつがたくさんいるだろ? 男も女も」

「あ、ああ」

「ここにいるやつらはさ、虐待とかイジメから逃げてきたやつが多いんだよ。もう、そんなやつばっか。まぁ、最近はアネ広に憧れて来るとかいう不思議なやつもチラホラ現れてるけどな」

「虐待とかイジメ……」

「オレの周りじゃ、虐待が1番多いかな。親に殴られたり、暴言吐かれたり。家に居場所がねぇんだよ」

「……」

「だからさ、オレが言いたいのは、お前だけじゃねぇってこと。虐待を経験してるやつは意外と結構いるもんだぜ」


 雄馬はそう言って、俺の胸を軽く手の甲で叩いた。

 強張ってた心が少し緩むのを感じた。


「……ありがと。お前いいやつだな」

「ハハ。どーいたしまして。じゃ、帰るか」

「……おう」


 雄馬は新宿駅東口まで送ってくれた。夜の新宿が来たときとは全然違って見えたのはネオンのせいだけじゃないだろう。

 自宅の最寄駅に着いた時、そこらに散らばっているありふれた看板に、生まれて初めて形容しがたい違和感を抱いた。



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