第9話 雄馬という少年



「はっ」


 頭を上げた瞬間、前の扉に額がぶつかった。


「~~~~~~~~~~~~~~~!」


 痛みと共に記憶が蘇ってきた。俺は診察が終わった後、あまりに頭痛が酷かったので、4階の一番目立たない所にあるトイレの個室に駆け込んで座ったまま目をつむったのだ。そしたら、どうやら眠ってしまったらしい。電源を入れたスマホは20時近くを表示している。


「うわあ、マジかよ。病院、もう閉まってる時間じゃん……なんか、最近俺、やばくねえか」


 俺は自分を落ち着かせようと思い、用を足してから個室を出ようとした。しかし、出る間際、悲惨なことに気が付いた。紙がない。


「あ~……もう最悪」


 俺は最悪すぎて、そのまま思考が5分くらいフリーズした。もう、このまま朝までいようかな、なんて破滅的な思考が頭を過ぎった瞬間、誰かが入ってくる音がした。恥を捨てて大声を出す。


「あ、ああ、あの!!!」

「え?」


 若そうな男の声が返ってきた。


「紙! 紙がないっす! 助けてください!」

「あ~。ハハハ。いいっすよ」


 俺は親切な男性のお陰で、窮地を脱することに成功した。そして、個室から出て、お礼を言おうとその男性の顔を見て、二重に驚くことになった。

 一つは、すごいイケメンだったからだ。高い鼻に長い睫毛、灰色の大きな瞳、かなりの美形だ。170センチの俺よりも背が高く、細身の体型をしている。落ち着いた雰囲気から少し年上だろうと推測した。

 もう一つは、そのイケメンが、光る謎の機械がついたプラスチック製の帽子? をしていたからだ。


(この人も何かの病気の治療中なのか? あまりジロジロ見たら悪いよな……)


「あの、紙、ありがとうございました。滅茶苦茶助かりました」


 俺が軽く頭を下げると、男性はニコッと笑った。


「ハハハ。いいって。それより、君も精密検査受けるんだろ? もう診察終わっちゃうから、早く行った方がいいぜ」

「え? 検査……」


 何のことか分からずに黙っていると、イケメンは鏡で前髪を整えながら口を開いた。


「イースタ・イリスの検査だよ。この時間に病院にいるってことは精密検査を受けに来たんだろ?」

「!!」


 イケメンはスマホを見てから、顔をしかめた。


「あ~20時過ぎてんじゃん。まあ、言えば間に合うっしょ」

「あ、あの! 精密検査って何ですか?」

「え?」

「どこでやってるんですか!?」

「え?……あの、診察室48の……て、え!? イースタ・イリスの人だよね?」

「そうですけど」

「……あの、もしかしてだけど、精密検査の対象じゃない人?」

「……わからないですけど、精密検査っていうのは今初めて聞きました」

「~~~~~~!!! マジッかよ、なんでここにいんだよ!」


 イケメンは両手で目を覆って後ろを向いた後、再度向き直った。


「ごめん、今のは聞かなかったことにして」

「え、いや、精密検査ってなんすか? やっぱコレ、やばい病気なんですか?」

「いや」

「この病気、医者に聞いても何も教えてくれないし。なんなんすか?」

「ごめん、ほんとごめん。言えない」

「言えないって言われると、余計気になりますよ。やっぱ、やばい病気なんすね? あ~最悪! 今、診察室48に行けば教えてくれますかね?」

「ちょ、マジで止めて。ホント頼むから」

「じゃあ、教えてくださいよ。じゃないと、診察室行っちゃいますよ?」

「……お前、助けてやったのに、脅すのかよ」


 イケメンは眉根まゆねを寄せながら言った。睨まれて一瞬怯んだが、自らを奮い立たせて反論する。


「いや、それとこれとは別モンすよ。俺はマジでこの病気のこと分かんなくて、不安で頭おかしくなりそうなんすよ。医者に聞いてもはぐらかされるし!」

「……はぁ~」


 イケメンは大きな溜め息をしてから、観念したように俺を見た。


「OK。じゃあ、ちょっと耳貸せ」

「は、はい」

 聞くと、今、この病院の4階には精密検査の対象の人しかいないという。それ以上の事は、ここでは言えないらしく、後日会って、教えてもらうことになった。レインも交換した。


「会う約束、ちゃんと守ってくださいね。破ったら、医者に貴方のことを話してしまうかもしれません」

「こーわっ。助けた奴に脅されるとか、どんな災難だよ」


 イケメンは悪態をつきながらも病院の裏口を教えてくれて、そこから俺は帰ることができた。俺は初めて自分で病気の手がかりを掴めたことの達成感を味わいながら夜道を走った。玄関を開けた途端、怒り心頭の母さんの説教が始まったけど、そんなことも気にならない程、心の中が満ち足りていた。その日は久しぶりに熟睡できた。そして、不思議なことにこの日から悪夢を見ることはなくなった。


***


 イケメンは雄馬ゆうまって名前らしい。レインのアイコンにそう表示されていた。雄馬さんは待ち合わせ場所を新宿のハルタ前に指定してきた。


「まじかよ。新宿とか行ったことないぞ。迷わないかな」


 当日、案の定新宿駅で何回も方向を間違えながら、やっと出口を見つけ、ハルタ前にたどり着いた。


「待ち合わせの時間まであと3分か」


 8月の都会、コンクリートジャングルの熱気に早くも目眩がしてきた。俺も周りの人と同じようにハルタの入り口付近に移動し、入り口のドアが開閉する度に流れる冷気で暑さを凌いでいた。


「よお。待たせたな」


 現れた雄馬さんは病院で見たときより、一層垢抜けていた。緩いウェーブの毛先がツンツンとしており、金髪が太陽の日差しで輝いている。その長髪を後ろで1つ結びにしており、後れ毛が爽やかに靡いている。

 服装は、黒い半袖のTシャツに黒のタイトなズボン、その上、黒に白いラインの入ったスニーカーと暑苦しく、右手の人差し指には銀色の指輪が、首には同じく銀色のネックレスがかかっている。

 雄馬さんのスタイルを見て、モデル体型ってこういう体つきのことを言うのだろうか? なんて考えていた。


「さ、行こうぜ」

「はい。てか、雄馬さんって背ぇ、でかいっすね」

「オレ180あるから」

「やば」

「てか、君、いくつなの?」

「あ、俺15です。今年16の」

「マジ? 何だよ~タメじゃん」

「嘘! 見えない」

「ハハッ。オレが老けてるってこと?」

「いや、大人っぽいから大学生くらいかなって」

「マジか。まぁいいや。じゃ、とりあえずネカフェ行こうぜ」

「え……」


 思いがけないワードに俺の顔が強張こわばる。


「何?」

「いや……ネカフェって何か、大丈夫なのか?」

「は?」

「何か危ないイメージがあるっていうか……。テレビとかで、危ない人も寝泊まりしてるって見たから」

「ハハハ。何それ? 大丈夫だって。何? 自分、心配性?」

「えっと、大丈夫ならいいけど……」

「ほら、早く行くぞ」


 俺は雄馬に背中を押されながら、駅から少し歩いたところにある自由部屋という名前のネカフェに入店した。二人でフラットシートの部屋に入って腰を下ろす。


「初めてネカフェ入った。なんか思ったより綺麗なんだな」

「ハハ。やっぱ内緒話すんなら、ラブホかネカフェだろ」

「ラ、ララ、ラブホ!? 入ったことあんの?」

「ハハハ。内緒」


 悪戯っぽく笑う雄馬に、俺は今更ながらこいつは信用して大丈夫な奴なのかと不安になってきた。いつも余裕ぶった笑顔を浮かべてて胡散臭いし。


「それよりさ、飲み物取って来ようぜ。ここ乾燥するから」

「確かに。冷房効いてるけど、乾燥してて喉やられそう」

「だろ? ネカフェって乾燥してるとこ多いからさ」

「そうなんだ」


 俺達は飲み物を持ってきて乾杯した後、飲み干した。もちろん乾杯は雄馬のノリだ。


「あ~、で。何だっけ」

「イースタ・イリス症候群についてだよ! 精密検査って何なんだよ。雄馬、変な機械のついた帽子? 着けてたしさ……そんなヤバい病気なのかよ!?」


 空になったグラスを傾けて、取り残された氷を回しながら雄馬が言った。


「あー、それ嘘だから」

「……え? 何? どういう意味?」

「そのまんまの意味。イースタ・イリス症候群なんて病気は存在しない」






◇◇◇◇◇


 いつもお読みいただき、ありがとうございます。

 

 補足ですが、作中の雄馬のモデルは私ではなく、私の知人です。

 名前の読みが一緒なのは、偶然です。

 紛らわしくてすみません。

 

 引き続き、応援していただけると幸いです。



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