高校1年 1学期 ◆アンダーグラウンド◆

第7話 悪夢の始まり

 関東が梅雨入りして、このところ曇天が続いていた。俺はトイレの個室の窓から空を見て憂鬱な気分になった。


「はあ。曇りの日は、なんかやる気出ないんだよな」

「こないださ~」

「!」


 誰かトイレに入ってきた。


(今の独り言、聞かれてないよな)


「ビクタニのやつに、よお! びくたに! って、後ろからでっかい声で話しかけてやったの。そしたら、めっちゃビクー! ってしてさ~、マジウけたわ」

「うわ~それ見たかったわ~」

「やっば。ウケる」


 不良の絵佐波えさわ他崎たざき締北しめきたと思われる声が聞こえる。一番喋っているのが絵佐波で、あとの二人が同調しているようだ。


「相変わらずビクビクしててキメえな~って思って」

「髪もボサボサだしな!」

「な! 風呂入ってんのかよあいつ」

「今度俺も、後ろから大声出してみよ~かな~」

「ひでえ」


(うわ……酷いな。曳谷ひきたにが大声苦手なの知っててワザとやってるのか。大丈夫かな……)


 それ以後、俺は曳谷のことを目で追う機会が増えた。とりあえず、俺の見ている範囲ではからかわれたりしていないようだったが、不安は心から離れなかった。


 それから10日ほど経った頃、その日は朝から太陽が雲隠れして暗かった。俺は部活帰りに忘れ物をして、一人学校に戻った。いつも高校の最寄り駅まで一緒に帰っている先輩と颯太とゆかりは待っててくれると言ったけど、悪いから先に帰ってもらうように頼んだ。

 忘れ物を回収した後、高校を出て、ふとミカン畑でも見て行こうと思った。ほんの気まぐれだった。高校から駅までの道は道なりだが、一本隣の道を歩けばミカン畑が見えることを先月、発見していた。遠回りになるが、せっかくの一人だし、と立ち寄ってみる。

 先月通った時は白い花が咲いていたが、今は暗がりの中に深緑が広がっているだけだった。


「花、散っちゃったか。そりゃそうか」


 特に収穫もなかったので、そのまま駅に向かって歩いていると、通りがかった公園の奥にうちの制服を見つけた。


(え? こんな時間に何してるんだ?)


 よく見ると、それは曳谷ひきたにだった。俯いていたため、黒の長い前髪が彼の目元を隠しており、より一層陰鬱な雰囲気が漂っていた。

 気が付いたら、俺は曳谷に声をかけていた。


「や、やあ」

「君は……新、だよな」

「うん。あ、あのさ、隣良い?」

「あ、ああ」と、動揺した様子で曳谷は答えた。


 いきなり話しかけたものの、何を話すか考えてなかった俺は必死に話題を探す。足下に一条の冷たい風が吹いた。


「……あのさ、学校どう?」

「どうって?」

「その、楽しいかなって?」

「ふっ。何その質問」

「いや、なんかさ、悩みとかないかなって」

「悩み?」

「いや、あの……」

「……」

「何? 特に話がないなら、もう帰るけど?」

「あの、絵佐波と他崎と締北にさ、嫌な事されてないかなって……」

「……」

「……ちょっと前にさ、あいつらが君にわざと大きな声で話しかけてるって話してたのを聞いてさ。大丈夫かなって」

「ふーん。まあ、大丈夫だよ。こないだ、小突いてきた時に、これ以上するなら担任に言うし、教育委員会にも言うし、掲示板にも晒してやるって言っといたから」

「す、凄いね」

「別に。普通だろ」

「それからは、嫌な事されてないの?」

「まあ。ビクタニって言われてる程度かな」

「え、それ、先生に言わなくて良いの?」

「いい。別にそんくらいなら大したことないし」

「でも、もし、今後エスカレートしたら……」

「いいって別に。この程度で大事にする気はないんだ。それに、うちの高校は進学校だろ。向こうだって、これ以上はあんましてこないだろ。絵佐波はスポーツ推薦で東京体育大学狙ってるって聞いたことあるし」

「そ、そうか」

「……」


 俺は本当に先生に言っておかなくていいのか、と考え込んでしまった。その気配を感じ取った曳谷は語気を強めて言った。


「なあ、もしかして、このこと担任に言おうとか思ってないよな?」

「え、いや」


 図星を突かれて目が泳ぐ。


「正直に言ってほしいんだけど」

「……一応、先生の耳に入れといた方がいいかなって」

「止めてくれよ、絶対。前にそれやられて酷い目にあったことあるんだ」

「え、どういう……」

「親に連絡行って、オヤジに殴られた。イジめられるなんてみっともないってさ」

「そんな……酷い」

「だから、担任に言うなよ」

「わ、わかったけど、大丈夫か? その……」

「オヤジのこと? まあ、なんとか」

「そ……そっか」

「……じゃあな」

「あ、あの」


 鞄をサッと持って歩き出した曳谷を、反射的に呼び止めた。振り向いた曳谷の不満げな視線に思わず怯む。


「あ、あのさ、そのオヤジさんが殴ったって事、君のお母さんは知ってるのか? 知らないなら、お母さんに言ってさ、間に入ってもらって、家族で話し合って、そうしたらどうにかなるんじゃないのか? オヤジさんだって、何か事情があったんじゃ―――」

「は? ……あははは!」


 曳谷の笑い声が静かな公園に響く。

 その笑い声がだんだん小さくなっていき、はぁ、と溜め息をついてから、彼は呆れたように言葉を発した。


「君、温室育ちなんだな。そうだよな、いいよな。見てれば分かるよ」

「え? どういう……」

「じゃ、心配してくれてありがとうございます。もう話しかけないでください」


 曳谷は再び歩き出した。訳の分からない俺は、その苛立ちをそのまま声に乗せた。


「何なんだよ、一体!? 訳わかんねーよ……」


 今度、振り返った曳谷の目にはハッキリと拒絶の色が滲んでいた。 


「君と話すと、惨めになるんだよ!」

「……!」


 それから俺はどうやって自宅に帰ったのか、覚えていない。頭の中で、曳谷の最後の言葉がリフレインしている。その夜、俺は何か怖い夢を見た気がするが、朝起きると忘れてしまっていた。


 公園で話した日の翌日から、曳谷は学校を休みがちになった。俺は何日かは我慢したが、とうとう我慢できなくなって、珍しく登校した曳谷に話しかけた。

「なあ、曳谷」

「え、何」

「心配で……俺のせいだったりするのか、最近休むこと多いの」

「は? 違うから。じゃ」

「……」


 俺は去って行く曳谷の背中をただ呆然と見つめることしか出来なかった。

 

 数日後、俺は悩んだ末、下校中の颯太とゆかりに相談することにした。あの公園の夜から、謎の悪夢もたまに見るようになって、このままじゃまずい気がした。


「曳谷が休みがちになったのは、お前のせいじゃないって。新」と颯太が励ましてくれた。

「そうだよ、曳谷くんだって、声をかけてもらえて本当は嬉しかったと思うよ」と、ゆかりも力を込めて言った。

「そうだぞ。まぁ、とりあえず不良のことは何とかなってるみたいだし、大事おおごとにしたくないんだろ? オヤジさんとか家族のことは、正直なんかよく分かんないし大変そうだけど。でも、これ以上は踏み込めないだろ。曳谷だって嫌だろうし」

「俺……余計なことしちゃったかな?」

「ううん、そんなことないよ! 新くんはたまにお節介すぎるところあるけど! でも、それで救われた人もいるんだよ。私みたいに。新くんは、中学の時から私のヒーローなんだよ!」

「ゆかり……」

「そうだぞ! 自信持ってくれよ!」

「そうだな……」

「こんな時、みやこ先輩だったらなんて言うのかな」と、ゆかりが呟く。

「気にせんでええ! って言うんじゃない? てか、美夜子先輩に相談したいな」と、颯太が返した。

「いや、先輩は受験生だから、俺は、あんまこういうこと言いたくないっていうか」

「新くん……」

「まあ、そうだな。心配するだろうしな」

「……」

「まあ、もう気にすんなよ。新に悪いとこ、1ミリも無いんだしさ」

「あ、ああ……」

「それより、来週からの期末試験だぞ! 僕らが今、一番気にしなきゃいけないのは! な、ゆかり!」

「そ、そうだよぉ! 各学期の試験の点数は、来年のクラス替えに影響するって話だよ?」

「え! マジで? それは気合い入れていかないとな」


 二人に相談したことで俺の気持ちは大分軽くなって、試験勉強に集中できるようになった。たまに悪夢を見るのは変わらなかったけど、それも気にしないように努めた。


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