68話 ――俺も、大好きだよ
「……疲れた」
「お疲れ様」
来客用の寝室に通された後、俺はベッドに座り込んで大きく息をつく。
イヴも隣に座りながら、そんな俺を見て苦笑した。
今、俺たちの間にはこぶし一つ分くらいの隙間が空いている。
「イヴも、今日はついてきてくれてありがとうな」
「ううん、私が行きたいって言ったんだもん。こちらこそ、ついて行かせてくれてありがとう」
「あぁ」
そこまで話したところで、一度会話が途切れる。
秒針の時間を刻む音だけが部屋に鳴り響くこの静かな雰囲気が、今だけは少しもどかしい。
全てが一段落ついた今、俺たちの恋路を邪魔するものは何もなくなった。
イヴもそのことに気が付いているのか、真顔でも笑顔でもない複雑な表情を浮かべながら視線を右往左往させている。
そんな彼女の様子を横目で気にしながらどうやって話を切り出そうか悩んでいると、不意に彼女が口を開いた。
「ねぇ、一つ聞いてもいい?」
「どうした?」
「後夜祭の時に言いかけたこと、何?」
「……そういえば、そんなこともあったな」
「必ず言うって、約束してくれたもんね?」
「そうだな」
イヴのいやらしい笑みに苦笑を返しながら、俺は一息を置く。
また、彼女に助けられてしまったな。
本当は自分から話を切り出して少しでも格好をつけたかったんだけど。
己の情けなさを心の中で笑いながら、仕切りなおすように口を開いた。
「まずは、一緒に戦ってくれてありがとう。イヴがいなかったら、俺は母さんに楯突くことすらできなかった」
「それは、わたしがしたくてやったことだもん。……シュウトが立ち直れて、本当に良かった」
「言っておくけど、前に俺に言い聞かせてたことと今のイヴの言葉は矛盾してるからな」
「えっ?」
「自分がいいことをしたときには“自分のおかげ”って自分のことを褒めろって言ったの、どこの誰だっけ?」
「あっ」
ようやく思い出したらしい。
イヴが目をまん丸くしながら口元に手を当てる姿に我慢できず、思わず吹き出してしまう。
「本当に変わったよな、イヴ」
出会った頃の彼女なら、すぐ「どういたしまして~」とか「デレてるシュウト可愛い~」とか、嫌味なくらいに明るい笑顔をしながら言いそうなものなのに。
「シュウトが変えてくれたんだよ」
「えっ?」
思いもよらなかった発言に、今度はこちらが目を丸くしてしまう。
その様子を見たイヴは、さっきの俺ほどではないもののクスリと笑みをこぼした。
「シュウトは散々思い知ってると思うけど、出会った頃の私って自己中心的だったでしょ。ただ自分が関わりたいからってシュウトの気も知らずに話しかけたり、連れまわしたり」
「まぁ、確かにあの頃のイヴはいろんな意味で容赦がなかったな」
あの頃は心からウザったく思っていたが、今となってはいい思い出だ。
「でもシュウトの悩んだり、苦しんだりする姿を見て、初めて自分のためじゃなくてシュウトのために何かをしてあげたいって思ったの。それから私は、どうしたらシュウトが笑ってくれるか、どうすればシュウトが幸せになってくれるかを考えて行動するようになった。まぁ、ときどき自分の気持ちが先行しちゃうこともまだあるんだけどね」
そう言って、イヴは苦笑を浮かべる。
「ごめんね、今までたくさん振り回しちゃって」
「謝る必要なんかない。むしろ俺は振り回してくれたことに感謝したいくらいだ」
「どうして?」
「イヴが強引にでも俺と関わってくれなかったら、そもそもイヴとの接点が出来てなかっただろうからな」
あの時の俺は、本当に意固地だった。
周りとの関係を作らないように、誰とも仲良くならないように。
ちょっとやそっと俺に話しかけたくらいじゃ、きっとここまで関係が繋がることもなかっただろう。
「それに声や表情には出してなかったけど、きっとどこかで俺はあの頃の日常を楽しんでたような気がする」
「そうなの?」
「だって、久しぶりに他人との関係ができたんだ。その人が俺を好きでいる人なら尚更だろ。なんなら俺は今でもイヴに振り回されたいって思ってる」
「確かに、前にも言ってたもんね」
「覚えてるんだったら、ちゃんと俺を振り回してくれ」
「何それ」
イヴがクスクスと笑い出すのにつられて、俺の笑みも深くなってしまう。
「分かった、じゃあもうシュウトには遠慮しない。それはそれとして、私に“誰かのために動くこと”を教えてくれたのもシュウトだから。だから……ありがとう」
「お礼を言いたいのは俺もだ。何せイヴには、俺の人生に意味を見出してくれたんだから」
「意味……?」
今度は俺の番。
首を傾げる彼女に俺は深く頷いて、続けた。
「……ずっと、何のために生きているのかが分からなかった。母さんに傷つけられて、誰とも関わらなくなって。日常の何気ない楽しみすら、一つもない。ただ機械的に学校に行って、バイトをして、家事をして寝るだけ。もういっそのこと死んだ方がいいんじゃないかとも思ったけど、死ぬのは怖くて。ただ生き長らえることしか出来ないのが……すごく苦しかった」
今思えば、よくここまで生きてこられたと思う。
一つ一つの行動の意味が、ただ“生きること”しかなくなったら。
その意味すらも自分を苦しめて、勇気のある人間は迷うことなく死をえらぶだろう。
「でも、そんなときにイヴに出会った。イヴと過ごす日々は楽しかった。だから、それだけで俺は生きるのがすごく楽になったんだ。イヴが、俺の生きる意味になってくれたから」
「生きる意味……」
「それだけじゃない。イヴがいてくれたから、俺の今までの人生に意味ができた」
例えば、養親に強要させられたこと。
母さんにご飯を作れと言われたからイヴに手料理を食べさせてあげられたし、英語を喋れと言われたからイヴと英語で話せた。
例えば、養親に傷つけられていたこと。
俺が養親と離れたくないと思わなかったら、そもそもこの街に来てイヴと出会うこともなかった。
例えば、実の両親と死別したこと。
親を亡くしたことで、俺はそばにいてくれる人の大切さを知った。
だからどんなときでも変わらずそばに居続けてくれたイヴが、どれだけ大切な存在か気づくことができた。
気づくことができたから、俺はイヴのそばにいたいと思えた。
「イヴのおかげで、ただ辛かった思い出に意味が出来たんだ。イヴがいてくれたから、苦しくても生きてきてよかったって思えた。……だから、そんなイヴと、これからも一緒にいたい。今までずっと苦しかった分、イヴと一緒に幸せになりたい」
今なら、ちゃんと言える。
後ろ髪を引かれることなく、真っ直ぐに彼女の目を見ていられる。
だから……。
「……好きだ、イヴ。俺と付き合ってほしい」
「っ――!!」
顔を歪ませながらイヴが抱き着いてくる。
その勢いに倒れそうになりながらも、俺はかろうじて彼女を受け止めた。
「あぁぁあ……!!」
その瞬間、背後から大きな嗚咽が聞こえてくる。
せき止めていたダムが決壊したように、イヴが全身を震わせながら大きな声を上げて泣いた。
「ずっと……ずっと、怖かった! 付き合う前に、シュウトが離れちゃうんじゃないかって! どこかに行っちゃうんじゃ……って……!」
彼女の震える声に、俺の目尻からもあふれ出るように涙がこぼれる。
「ずっと待たせてごめん。不安にさせてごめん。……でも、もう大丈夫。絶対、離れない……離さないから」
強く抱き締め合った俺たちは、しばらくの間泣いた。
ずっと実らせることのできなかった恋が、ついに実った。
その喜びと安心を、涙に織り交ぜながら。
「――大好き」
何分経っただろうか。
ようやくお互いに涙が収まった後、イヴが俺を改めて強く抱き締めながら呟く。
「あぁ、俺も――」
もう、遮るものは何もない。
だから俺は、もう母さんと父さんに伝えられない分、ありったけの想いを込めてイヴに返した。
「――俺も、大好きだよ」
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