63話 暗い教室の陰で
「――えへへ、また一緒だね」
「あんまりくっつくなよ、衣装が崩れちゃうから」
小さく笑いながら寄りかかってきたイヴを、俺も笑みを浮かべながら受け止める。
身なりを整えた俺たちは、麗華や高嶺兄妹と共に暗い教室に入って持ち場についた。
もうそろそろ時間になるはずなので、すぐにお客が次々と足を運びに来るだろう。
「……なんだか、久しぶり」
「何がだ?」
「こうして暗い部屋の中で、シュウトと二人でいられるの」
胸にイヴの頭が預けられていてあまり見えないが、なんとなく切ない顔をしているのが分かる。
あの日のことを思い出しているのだろうか。
「……暗いと、よりシュウトがここにいるんだって分かる。不思議だね、姿はあんまり見えないのに」
「きっと視覚が遮断されている分、触覚や聴覚が敏感になってるんだろうな」
「そういうものなの?」
「だって聞いたことがあるぞ」
「そうなんだ。……ちなみに、今の返しはモテない返しだからね」
「うっ……」
「乙女のロマンチックな言葉には、理論じゃなくて同じロマンで返さなくちゃ。“do”で聞かれたら“do”で返すのと同じようにね」
むふー、と音を立てて自慢げに説教してくるイヴ。
意味が全く分からないのに、何故か腑に落ちてしまって反論できない。
こういうのを乙女心というのだろうか。
英語で例えられているのが、よりそれっぽさを醸していてむず痒い。
「でも、もしじゃあ俺に“それは君の心の中に俺がいるからだよ”とか言われてもイヴは嬉しいのか?」
「それは……ちょっと気持ち悪いかも」
「だろ?」
「というか、ちょっと的外れじゃない?」
「う、うるさいな……慣れてないんだよ」
恥ずかしくなってそっぽを向けば、イヴがクスリと笑う。
再び俺の胸に体を預け、噛み締めるように息をついた。
「……楽しい。ずっと、これが欲しかった」
その言葉に、この一か月間ずっと離れ離れだったことを話しているのだと察する。
「……ごめん、寂しかったよな」
「寂しかった。もう、シュウトと話せなくなるんじゃないかって怖かった。話しかけに行きたいけど、シュウトが一人になりたがってるんだって思うと行けなくて……苦しかった」
イヴは「お願い、少しだけ弱音を吐かせて」というと、俺の衣装の裾を強く握りながら、胸の奥に仕舞い込んていた気持ちを吐露していく。
「実は、まだ怖いの。シュウトと離れ離れになっちゃうんじゃないかって。あの日みたいに、また突然シュウトがいなくなったらどうしようって。初めてシュウトが私から離れようとした時とは比べ物にならないくらい、ずっと、ずっと怖い。……今までシュウトはこの気持ちをずっと抱えてきたんだね……知らなかった」
「俺もイヴに突然会えなくなったらって思うと、まだ怖いよ。今は辛うじて前を向けてるけど、だからって怖さが消えるわけじゃない。人は、本当に突然いなくなるから」
「……うん」
「でも、だからこそ大丈夫とも思えるんだ。離れたくない思いは一緒にいたい思いの裏返しだから。一緒にいたいと思えば思うだけ、二人の時間を増やすことができる。人には、それだけの力がある。それに、別れなんてそう簡単に起こることじゃない。だからお互いに、離れたくない、一緒にいたい、って思いがあれば、きっと大丈夫」
胸の中にいるイヴを、そっと抱きしめる。
少し衣装が崩れてしまうかもしれないが、衣服を着崩しているお化けがいても違和感はないからある程度なら大丈夫だろう。
それよりも、今は彼女をこの場に留めておきたい。
彼女はどこにもいかないという安心が欲しい。
一度沈んでしまった気持ちを、もう一度上に向かせてほしい。
恐怖に囚われるのは、もうこれで最後。
次に一歩を踏み出す時は、その恐怖さえも糧にして進みたいから。
だから、そのために今は……イヴが欲しい。
「――シュウト?」
「……少しだけ、いいか?」
「少しだけって、何が――」
イヴの言葉を遮るように、俺は彼女の唇を自分の唇で塞いだ。
『っ――!?』
驚いたように体を跳ねさせた彼女だったが、すぐに緊張を解いて俺の首に手を回してくる。
固まっていた唇も力が抜け、その柔らかさがゆっくりと俺を受け入れてくれた。
ついばみもせず、ただそれらをくっつけているだけ。
だというのに、どうしてこんなにも切ないのだろう。
手を繋いだ時の緊張とも、体を抱き合った時の幸せとも似つかない、胸を締め付けるような気持ち。
その気持ちがとめどなく湧き出てくると、それと一緒に目尻から涙まで溢れ出してくる。
涙にまみれて、もう深く何かを考えることはできない。
今は、彼女との初めてのキスをただ噛み締めていたかった。
――やがて息苦しくなって唇を離すと、荒く息をつきながら涙で固まった目をこじ開ける。
すると目の前には、同じように頬を涙で濡らしたイヴの姿があった。
「……シュウト」
物欲しそうに再び顔を近づけてくる彼女を、俺もまた受け入れようと準備する。
そうして唇が重なろうとした瞬間。
――コツンっ。
「っ……!」
誰かの足音に驚いてしまった俺は急に我に返り、体を後ろに大きく跳ねさせる。
すると後ろのセットに背中が当たってしまって、ガコンッと大きな音が出てしまった。
「キャーーーッ!?」
誰かが悲鳴をあげながら走り去っていく。
その奇声に体を硬直させたまま、俺たちは互いに目を丸くすることしか出来なかった。
しかししばらくすると、イヴは噴き出すように笑った。
彼女の笑っている意味が理解できなかった俺は、彼女の笑っている姿を見ていることしかできない。
やがてひとしきり笑い終えると、大きく息をつきながら顔を上げる。
俺を見据えた彼女は、より笑みを深くしながら抱き着いてくるのだった。
「シュウト、大好き!」
その後、休憩時間に「あんまりイチャイチャしないで!」と麗華に怒られた。
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