62話 南井麗華という女の子
「――ごめん、遅くなった。今どうなってる?」
ロシアンたこ焼きに一喜一憂していたら意外と時間が経っていることに気づいたので、イヴとともに急いで自教室の隣にある空き教室へと戻ってきた。
自教室はすでにセッティングされて暗くなっている。
後は俺たちお化け役が着替えや化粧をして準備するだけだ。
空き教室に入れば、もうすでに身なりを整えた南井が出迎えてくれる。
「今、高嶺兄妹が着替えに行ってるから大丈夫。それにしても……」
南井が顎に手を当てながら、俺とイヴをつま先から頭頂部まで見定めるように見回していく。
そうして最後に俺たちの繋がれた手に視線をやると、安心したように笑みを浮かべた。
「もう大丈夫そうね」
「……ごめん、心配かけた」
「本当よ。いきなり口数が減って、何しろイヴちゃんとの間に距離が出来てるんだもの。前はあんなにべったりだったのに」
「そ、そんなにべったりだったか?」
「主にイヴちゃんがね」
指摘されれば、イヴが謎に誇らしげな表情を浮かべながら俺の腕を勢いよく抱いてくる。
「……でも、少し見ない間に櫂君の対応が変わってる」
「そうか?」
「イヴちゃんを受け入れる笑顔に、何と言うか……優しさが増したような気がするわ」
そんなところまで見られていたのか……。
なんだか恥ずかしくなって口元を手で隠せば、南井がクスっと笑った。
「その様子なら、元の持ち場に戻しても大丈夫そうね」
「元の持ち場?」
「本当は櫂君を元気づけるために、通常なら一人の持ち場のところを櫂君とデイヴィスさん二人に担当してもらおうと思ってたんだけど……」
「それでいい!」
南井が言いかけたところで、イヴがその言葉を遮るように声を上げる。
「えっ?」
「それがいい。シュウトと一緒にいたい」
「イ、イヴ、あんまりわがまま言ったら――」
「いいわよ」
「えっ?」
今度は南井が俺の言葉を遮ってくる。
彼女の言葉に、思わず素っ頓狂な声が出てしまった。
「だって、元々そのつもりだったもん。それに口ではそう言ってるけど、櫂君だってイヴちゃんと一緒にいたいでしょ?」
「そ、それは……」
いたくない、と言ったら嘘になる。
というか一緒に居たい。
でも俺たちが一つの持ち場につくということは、もう一つの持ち場に人がいなくなってしまう。
それを補うのは高嶺兄妹と南井だ。
いくら自分に素直になるとはいえ、流石に仕事の負担を周りに押し付けるようなことはしたくない。
「私と高嶺兄妹のことを心配してるなら大丈夫。持ち場が一つ減ったところで私たちに負担がいくわけじゃないし、二人一緒にお化けが出てくることなんて演出上何ら問題もないもの」
……そう思っていたのだが見事に南井に心を見透かされてしまい、俺にはもう反論する言葉が残されていなかった。
「……本当にいいのか?」
「もちろん。あ、でも、やるべきことはちゃんとやってよ?」
「ありがとうレッカ!」
イヴが顔をぱぁっと明るくすると、今度は南井に抱き着く。
南井は「ち、ちょっと! 衣装が崩れちゃうからあんまりくっつかないで!」と言っている割に、顔には満更でもなさそうな表情が浮かんでいた。
彼女はいつの間にここまで物腰が柔らかくなったのだろうか。
密かに感銘を受けつつも、今日は彼女の好意に甘えることにした。
「ほら、そこに衣装があるから早く着替えてきて。貴女は男子に比べて化粧に時間がかかるのに、もうすぐ時間になっちゃうわよ」
「うん、分かった!」
イヴは大きく頷くと、白い衣装を手に取って足早に教室を出ていった。
「……そういえば、イヴのことをイヴちゃんって呼ぶようになったよな。前はデイヴィスさんだったのに」
「あら、今気づいたの? 前にイヴちゃんに“イヴって呼んで!”って言われたのよ」
「そうだったのか」
「櫂君も私のこと、麗華って呼んでもいいのよ?」
「えっ?」
またまた予想外の発言に、今度は目まで見開いてしまう。
「……どうして」
「友達には、やっぱり名前で呼んでほしいじゃない?」
南井の表情から俺をからかっている様子は微塵も感じられない。
柔らかな笑みを浮かべて、純粋に、俺に名前で呼んでほしそうにしていた。
真っ直ぐな目を向けられてしまって顔が熱くなるのを感じ、俺は再び口元を手で隠す。
「……お前、そんなキャラじゃなかっただろ」
「これが私の素よ。そして、そうしてくれたのが貴方だから」
「俺?」
聞き返すと、
「私ね、学級委員長になった時、その役職にふさわしくなれるようにしっかりしなきゃって思った。だからみんなの前で、怖い顔を自分に貼り付けた。それが私の“しっかりする”だったから。でもそれは間違いだった。私が怖くなったってみんながついてきてくれるわけじゃない。むしろみんなは私の表面しか見てくれなくて、余計にみんなが私から遠ざかるだけだった。そのくせ私の顔が怖いことをいいことに、私が悪者になりそうなことは全部私に押し付けてくる。それがみんなにとってふさわしい学級委員長なのかもしれないって思ったら、拒むことはできなかった」
そうか。
彼女はただ単に悪者になったわけじゃない。
みんなの先頭に立てるような人になりたくて、自分の素を隠してまで頑張った挙句、悪者になってしまった。
みんなが南井を悪者にしてしまったんだ。
そっちの方が、都合がいいから。
「そんなとき、櫂君が私を助けてくれた。覚えてる? 初めてお化け役の顔合わせをしたとき、高嶺君と私が揉めてたの。あのとき、初めて私のほかに悪者を買って出てくれた人が櫂君だったのよ」
「あのときは悪者を買って出るって程じゃなかっただろ」
「ううん、そんなことない。あのとき櫂君は確かに高嶺君の悪者になった。そして次の日は、逆に高嶺君の味方になったの。そこで私は、初めて悪者にならなくても問題を解決できるんだって知った」
こっちとしてはそんな大層なことをしたつもりはない。
ただ状況を見定めて、それに合う行動をしたまでだ。
……まぁでも、それが南井にはできなかったのだろう。
だからこんなにも純粋な目で話してくれているのだ。
「それだけじゃない、櫂君は私の表面だけを見て食わず嫌いしなかった。ちゃんと言葉を交わして、私を知ろうとしてくれた。だから……嬉しかった」
南井が目を細めて笑う。
かつての近寄りがたかった彼女の面影は、もうどこにも見当たらなかった。
「櫂君と出会って、私は自分の素をさらけ出すことに決めたの。そしたらみんなの人当たりが良くなって、私を悪者にしたことを謝ってくれる人も生まれてくれた。全部櫂君のおかげ」
「それは違うな。いや、少しは俺のおかげかもしれないけど、一番は南井の人当たりがよかったからだ。性格の悪い人が素をさらけ出してもまた遠ざけられるだけだろ?」
「それは……そうなのかな」
「そうさ。だから、ありのままの自分に胸張って生きろ。そうすれば、みんな幸せになれる」
「……うん。ありがとう」
人と出会えば、こんなに嬉しいことだってある。
だから母さんの言っていたことは何一つ合っていない。
すぐ幸せになれなくても、その出会いに長い時間をかけて幸せを見出すことだってできる。
どんな出会いだって、きっと無駄じゃない。
南井のおかげで、改めてそれに気づくことができた。
だから俺は、心の中でそっと彼女に「ありがとう」と感謝を告げるのだった。
「……だから、櫂君に名前で呼んでほしいの」
「そこに戻るんだな」
「当たり前でしょ。絶対逃がさないから」
「怖い頃のお前が戻ってきてる気がするんだが」
そんな感じでお互いに冗談を言い合ってひとしきり笑い終えると、改めて言った。
「じゃあ、これから“麗華”って呼ばせてもらうよ」
「ありがとう、修斗君」
「……それは俺に許可取らないんだな」
「修斗君なら許してくれるかなって思って。ダメ?」
「いいよ、拒む必要もないし」
「よかった」
「というか、イヴにもうすぐ時間だって言ったのにこんなに話し込んでよかったのか?」
「それはほら、遠ざけるための謳い文句っていうか。修斗君にさっきのこと、ちゃんと話しておきたかったし」
「なるほど」
「とはいえそんなに余裕があるわけでもないから、修斗君も早く着替えてきて」
「はいよ」
これだけ言葉を交わしても、俺たちの関係の名前は何も変わらない。
二人ともそれを望むように、より仲の深まった“友達”として接していく。
そのことに、イヴと接した時とはまた別の幸せを感じながら、俺は衣装へ着替えるために教室を出ていくのだった。
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