58話 ちょっとずつ、素直に

「大盛況だったね」

「……そうだな」


 あれからカフェにだんだんと客足がついてきたので、俺たちは邪魔になることを避けて早めに退出してきた。


 ……それが建前だということを、イヴにはまだ知らせていない。

 というのも、客足が増えてきた理由がどうやらイヴにありそうなのだ。


 俺たちがドリンクを飲んでくつろいでいたところに、後からやってきた客がこぞってイヴに話しかけにくる。

 生徒だけでなく、一般客までもが。


 そりゃあイヴは顔も可愛いし、校内で唯一の外国人だろうからより一層目立つ。

 それに加え日本語を流暢に話せるものだから、一度話しかけられてしまえばある程度会話が伸びてしまうのだ。


 正直に言って、いい気はしない。


 彼女と他の人が話しているのを見ると独りになったみたいで寂しいし、彼女を取られてしまったようで胸がモヤモヤしてくる。

 だからといって顔に出せば周りが必要以上に怖がってしまうので、心の内に汚れた気持ちを溜めておくことしかできなかった。


 そうして時間が経つに連れてなんだか心細くなってしまい、我慢できなくなった俺はカフェの邪魔になることを理由に彼女を連れ出したのだ。


「……どうしたの?」

「いや、なんでもない」


 イヴなら話せば分かってくれると思うが、どことなく勇気が出なくて口を噤む。

 すると彼女は怒ったように眉を顰めてこちらに迫ってきた。


「なんでもなくない。シュウト、暗い顔してる」

「そ、それは……」

「もしかして、私が他の人と話してるの、嫌だった?」

「っ……」


 図星を突かれ、目を逸らしてしまう。

 イヴに言わせてしまったことに情けなさを感じて顔を歪ませれば、彼女は催促するように繋いだ手をクイクイっと引っ張った。


「一回、屋上戻ろう」



         ◆



「――はー、やっぱりここが一番居心地がいいな」


 屋上に戻ってきてさっき座っていたベンチに座るなり、イヴが体を伸ばしながら息をつく。

 俺も彼女の隣に腰を下ろして、ため息交じりに息をついた。


「やっぱり大勢の人と話すのは嫌になるね」

「えっ、そうなのか?」

「それはそうだよ。だってこっちはシュウトと一緒にいるんだよ? それをお構いなしに話しかけてきて、嫌にもなるよ」


 イヴの発言に虚を突かれ、言葉を失う。

 そんな俺を見た彼女は可笑しそうに笑みを浮かべた。


「何、そんなに意外だった?」

「だって、あんなに楽しそうに喋ってたから……」

「それは作り笑顔だよ。私だって変に相手を嫌な気持ちにさせたいわけじゃないし。……まぁ、そのせいでシュウトを嫌な気持ちにさせちゃったけど」


 イヴが繋いだ俺の手を両手で包む。


「ごめんね、悲しい思いさせちゃって」

「……だって、俺が弱いのがいけないんだし」

「それでも、シュウトのせいじゃない。シュウトを悲しませたのは私なんだから私が悪いんだし、もしシュウトが弱いなら、そんなシュウトにしちゃったシュウトのママが悪いんだよ」

「それは……」

「シュウトが直さなきゃいけないのは、何でもかんでも自分のせいにしようとするところ。あと、素直になれないところ」


 さらりと付け足された言葉に、心臓が掴まれたような感覚に陥る。


 少しでも素直になろうとしていたのに、気づけばまた自分に嘘をついていた。


「……もっと我儘になっていいんだよ?」

「我儘に……」

「私が他の人と話してるのが嫌なら“嫌だ”って言っていいし、悲しいなら悲しいって言っていいの」

「……なんか、母親みたいな言い方だな」

「母親は嫌だなぁ、だって私はシュウトのガールフレンドになるんだもん」


 イヴの顔が子供を叱るようなしかめっ面から、誇らしげな笑みに変わる。

 説教されていたはずなのに、どこか安心を感じさせた。


 長らく母親らしい母親がいない俺は、こうして優しく諭してくれるのに弱いのかもしれない。

 意図があるわけではないかもしれないけど、俺を想ってイヴはキチンと叱ってくれる。


 ……やっぱり、大好きだ。


「なら……」


 さっきイヴが言っていた我儘を言うことに挑戦してみようと思う。

 でも、例えばいきなり“他人とあまり話さないでほしい”と言うのは流石にハードルが高いので。


 俺は彼女の背中に腕を回しながら、思う存分彼女を抱きしめる。


「しばらく、こうしてたい」

「……うん」


 イヴも幸せに満ちたような声で頷くと、同じように俺の背中に腕を回してくれた。


 落ち着いた環境で彼女を抱きしめているからか、久しぶりに彼女の温もりを感じられる。

 そして、今ならこの温もりにちゃんと名前を付けてあげられる。


 暖かくて、安心できて、どこか幼さのある、そんな温もり。


 けれどその幼さも稚拙で不安なものなんかじゃなくて、俺には決してない、純粋で、確かな明るさが感じられるもの。


 それに当てられて、俺まで浄化されそうなくらいに、幸せな温もり。


 ……ようやく、心が戻ってきたような、そんな気がした。


「――ありがとう、もう大丈夫だよ」

「私はまだこうしててもいいけど?」

「それだと文化祭を回る時間がなくなっちゃうぞ」

「う、それは嫌だ」


 うめき声を漏らしながら俺から離れたイヴだったが、その後俺の顔を見るなり目を丸くすると、すぐに表情が崩れた。


「シュウトの顔、怖くなくなった」

「えっ?」

「もちろん顔のパーツが変わったわけじゃないよ? だからシュウトの顔は怖いままなんだけど……」

「あっ、そうなの……」


 俺が分かりやすく落ち込むと、イヴが口に手を当てて苦笑する。


「大丈夫、私の好きなシュウトの顔のまんまだよ」

「……それならいいけど」

「ただ、何というか……雰囲気が変わったの。こういうのを“憑き物が取れた”って言うのかな?」

「なら、それはイヴのおかげだな」

「相手のにはできないのに、相手のにするのはすごく素直だよね」

「これから頑張るから、今はこれで勘弁してくれ」

「自分にもちゃんとって使うんだよ。自分がいいことをしたときには、って褒めてあげるんだからね」

「分かったよ」


 やっぱり母親っぽい口調になるイヴ。

 いや、もしかしたら元来女性にはこういう本能みたいなものが備わっているのかもしれない。


「それじゃあ、文化祭巡り再開だね」

「ごめんな、せっかく計画立ててくれたのに」

「ううん。じゃあなるべく二人でいられるように、今度はあそこに行こう!」


 勢いよく立ち上がったイヴは俺の手を取って、再び俺を連れ出してくれるのだった。

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