57話 金髪美少女の計画

 屋上から階段を降りてくると、一気に騒々しさが戻ってくる。

 廊下には常に人が見え、どこからともない楽しそうな笑い声で溢れかえっていた。


「もう始まってるみたいだな」

「結構長い時間屋上にいたもんね。少し乗り遅れちゃったかな」

「まだ時間はたっぷりあるんだし、俺たちのペースでゆっくり回ろう」

「そうだね」


 俺のクラスがお化け屋敷を開くのは午後からだ。

 乗り遅れたと言っても俺たちが屋上にいた時間は三十分程度だし、今から参加しても目一杯楽しめるだけの時間はある。


 俺としても今年の文化祭はイヴと一緒に回れないんじゃないかと思っていたので、彼女との時間をゆっくりと楽しみたかった。


「どこから回ろうか」

「それに関しては、前もって色々と計画を立てて来てるの!」

「そうなのか?」


 辺りを見回しながら呟くと、イヴがこちらにずいっと迫りながら言うものだから思わず目を見開いてしまう。


「うん! だからついてきて!」


 彼女も文化祭を楽しみにしていたのだろう。

 さっきの泣き腫らした顔はどこへやら、満面の笑みを浮かべながら俺の手を引っ張った。


「分かったから、そんなに急かすなって」


 かく言う俺も満更でもなく、イヴに手を引かれるまま小走りで廊下を進んでいく。

 そうしてたどり着いたのは「カフェ」という文字の書かれた立て看板が置いてある教室だった。


「最初はここか?」

「うん。屋上でいろいろと話したら疲れると思ったから、ここで休憩を入れた方がいいかなって思って」

「ん?」

「どうかした?」

「あっ、いや、なんでもない」


 今なんかやけに計画的な物言いじゃなかったか?


「そう? とりあえず、早く中に入ろっ」

「あ、あぁ」


 イヴの言葉に頷き、とりあえず中に入って席に案内してもらう。


 さっきの発言、まるで屋上での仲直りまで計画に含めた物言いじゃなかったか?

 いくら事前に計画を立てていたとはいえ、あれは俺がイヴを助けていなかったら起こり得なかった出来事だ。

 それまで含めて計画を立てるのは流石に不可能な気がするが……。

 でも屋上から戻ってくるときにそう考えたのかもしれないし、俺の勘繰りすぎなのかもしれない。


 店員に案内された席につくと俺は考えることをやめ、メニューを手渡しながら再度イヴに意識を向けた。


「なに頼む?」

「あっ、ありがとう。じゃあ私はココアにしようかな、シュウトは?」

「俺はアイスコーヒーにするよ」

「分かった、じゃあ注文するね」


 イヴが「すみませーん」と手を上げながら店員を呼んだ。

 そうして目の前に現れた店員に、俺は驚愕してしまう。


「お前……」


 イヴに呼ばれて注文を取りに来た店員が、さっきイヴをナンパしていたあの男子生徒だったのだ。


「あっ、デイヴィスさん。その様子だと、上手くいったみたいだね」

「うん。協力してくれてありがとう、ダイキ」

「えっ。ち、ちょっと待ってくれ。いったい何の話をしてるんだ?」


“ダイキ”と呼ばれた男子生徒とイヴが親し気に話している様子に頭が追い付かない。


 協力?

 一体コイツが何を協力したんだ?


「あっ、ごめん。シュウトにはいろいろと落ち着いてから話そうと思ってたんだけど」


 申し訳なさそうに眉尻を下げながらイヴが話してくれたのは、さっき言っていた計画の話だった。


「実は私、ダイキに私のことをナンパしてってお願いしてたの」

「お願い? どうして?」

「そうでもしないと、シュウトと話ができないって思ったから」


 どうやら、イヴは俺と仲直りをするためにいろいろと計画を立てていたらしい。

 俺がイヴを助けに入ったのも、屋上で仲直りをするのも、全部イヴの計画の内だったという。


 そこまで話したところで、イヴは「上手くいくかどうかは分からなかったけどね」と付け足した。


「文化祭だけはどうしてもシュウトと一緒に回りたかったから、それまでにシュウトと仲直りする必要があった。でもナンパの役をリクにお願いするわけにもいかない。シュウトと仲が良かったから。だからシュウトも私も知らないダイキにお願いしたの」

「いやー最初はびっくりしたよ。なんてったっていきなり“私をナンパして”ってお願いされたもんだからさ」


 ダイキは身振り手振りを使ってその時いかに驚いたかを教えてくれる。

 雰囲気も明るいし、思っていた以上に悪い人ではなさそうだった。


「遅れたけど、俺は坂田さかた大樹だいきって言うんだ。気軽に大樹って呼んでくれ」

「あ、あぁ。俺は櫂修斗だ」

「りんから聞いてるよ」

「りん? りんを知ってるのか?」

「りんは部活の後輩だからな」

「私がダイキと出会ったのも、リンが紹介してくれたからなんだよ」

「……なるほど」


 とは言ったものの、一気に情報がなだれ込んできて頭が混乱しそうだ。


 とりあえずイヴはりん経由で大樹と出会って、俺と仲直りするために協力を仰いだと。

 んで、俺は結局イヴの掌の上でずっと転がされていたのか。


「ごめんね、シュウトを騙すようなことをして」

「謝る必要はないよ。イヴがそうやって動いてくれなかったら、こうして一緒に文化祭を回れなかったんだから」


 それに、と付け加え、俺はイヴから大樹へと視線を移す。


「大樹がいなかったら、そもそもイヴとちゃんと話ができなかった。だから……ありがとう、イヴに協力してくれて」

「…………」


 大樹はしばらくの間、驚いたように目をぱちくりとしばたたかせていたが、やがてほっとしたように息をつき、表情を緩ませた。


「なんだ、思ってたよりも優しいじゃんか」

「だから言ったでしょ、シュウトは顔は怖いけど優しいよって」

「お前ら、そんな話をしてたのか……?」


 思わず眉を潜めてしまう。


 どちらかと言えばそれは俺のセリフなんだが……。


「ごめんごめん。でも学校では結構有名なんだぞ? 二年にものすごく顔の怖い男子がいるって」

「えっ、そうなのか……?」

「そんなに絶望に染まったような顔すんなって。デイヴィスさんといるときの表情してたら、きっとその噂もなくなるからさ。とりあえずココアとアイスコーヒーだったよな? 今持ってくるから、ちょっと待っててくれ」


 そう言ってこの場を後にする大樹。

 取り残された俺は、未だに彼から放たれた現実を受け入れられずにいた。


「……大丈夫?」

「あ、あぁ。……大丈夫」


 今までの俺だったらむしろ大歓迎だったのに、いつの間にここまでダメージを負うようになってしまったのだろう。


 さっきの大樹の言葉は本当だろうか。

 ……なら、そういう面でもイヴの力を借りることにしよう。




 その後、大樹がココアとアイスコーヒーを持ってきてくれた。


「わぁ、ありがとう!」

「なんも。じゃあ俺はまだ仕事があるから、どうぞごゆっくり」


 そうして再びこの場を離れる大樹を尻目に、イヴはカップに口をつけて美味しそうにココアを飲む。

 口を離して息をつく頃には、鼻の下に茶色いひげが出来ていた。


 その可愛らしい様子に、さっきまで強張っていた表情があまりにも簡単に緩んでしまう。


「美味しい~」

「ほら、ひげがついてるぞ」

「ひげ? ……あっ!」


 俺が言っていることに気づいたイヴは、恥ずかしそうに顔を赤らめながらハンカチで口を拭く。


 たったこれだけの仕草なのに、いつの間にか傷ついていた俺の心は元通りになっていたのだった。

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