56話 今度こそ一緒に
――ずっと塞ぎ込んでいた。
母さんと父さんが死んでから来年度になるまでの間だっただろうか。
俺は千夏の家にお世話になっていた。
しかし櫂家で唯一親しかった千夏は休みが明けると家を出て、そこに残されたのは俺と千夏の両親だけ。
特段心を許している訳でもない彼女らと生活を共にしている中で、“寂しい”という感情を忘れたことは一時もなかった。
生まれたその瞬間から唯一の心の拠り所だった人が、ある日突然いなくなったのだ。
当時まだ小学一年生で、理性の働かせ方すら知らない俺が、感情を抑えて両親の死を受け入れることなど出来るはずもない。
常に孤独を感じながら、独りで両親との楽しかった思い出を脳裏に浮かべては、風に吹かれた砂のように消えていく。
次第に友達や千夏の両親と関わることが怖くなり、ある日を境に俺は完全に心を閉ざした。
だからだろう。
ずっと独りでいる俺を心配して、千夏の母さんが養子にならないかと誘ってきたのだ。
しかし俺が養子になるのは千夏の両親ではなく、千夏の母さんが働いている会社の同僚のイギリス人夫婦だと言う。
その奥さんと千夏の母さんは普段から仲が良く、彼女が言うには明るくて面倒見のいい人らしい。
旦那の方が無精子症で子供を持てなかったから、千夏の母さんの話を聞いてぜひとも俺を引き取りたいと言ったという。
「勝手に修斗君のことを話しちゃってごめんね。でも、私は修斗君に元気になってほしいの」
数ヶ月俺と一緒にいて、自分たちでは俺を元気づけられないと感じたのだろう。
試しに一回だけその夫婦と会ってみればとても人当たりがよかったから、俺もこの人たちとなら、と思えたのかもしれない。
もうよく覚えていないので憶測でしか喋れないが、とにかく俺はその夫婦の養子になった。
しかし後になって、自分と千夏の母さんの判断が間違いだったことに俺は気づく。
彼女らの子供になった瞬間、俺の前でだけ、彼女らの態度が変わった。
慈愛に満ちていた瞳は、物を見るような感情のない瞳に。
常に上がっていた口角も、もうピクリとも動かない。
動くのは、俺の頬を打ち続ける左手だけ。
俺は彼女らのストレスのはけ口にされるどころか、彼女らのいいように使われる奴隷に成り下がった。
家事全般を押し付けられ、必要最低限のもの以外は何も買ってもらえず、挙げ句の果てには……英語を話せとまで言われた。
「どうして……」
「いちいち日本語で話すのが面倒臭いからに決まってるでしょ。それくらい分かりなさいよ」
そうして打たれる俺の頬。
何かミスを犯したら打たれ、気に入らないことがあったら罵られ。
腫れた体に友達は距離を置き、先生さえも見ないふり。
孤独だというのに寂しさも感じられないまま、俺はただただ恐怖に追われて家事を身に着け、泣きながら英語を勉強する……そんな毎日が続いた。
でも、それが永遠に続くわけじゃなかった。
遠くの町の高校に入学することで、彼女らから離れられるということを知ったのだ。
幸か不幸か彼女らが俺を嫌っていることは知っていたから、勇気を振り絞って相談すれば案外すんなりと受け入れてもらえた。
そうして俺は、もうこれ以上人と関わらないために彼女らのもとを離れた――。
◆
「――これが、俺の過去の全部。もう、イヴに隠してることは何もないよ」
金網の向こうに広がっている青空から、隣でベンチに座っているイヴへ視線を移す。
あの後、彼女が泣き止んでから俺は自分の過去を全て話した。
もう隠す必要がなかったし、何なら彼女に知っていてほしいとまで思った。
それは俺に同情してほしいからじゃない。
今までの自分の行いを後悔してほしいからでもない。
ただ、大好きな人には俺のすべてを知ってほしかったからだった。
一通り話すと、俺の話を聞いていた彼女は横で絶句していた。
しかし数秒時間が経つと、彼女の目尻に再び涙が溜まっていく。
それが自責の念から来ていると察した俺は、もう一度彼女を抱き締める。
「前にも同じようなことを言ったかもしれないけど、俺、嬉しかったんだ」
「嬉しかった……?」
「この学校に来て、もう人と関わらないって決めた。もう大切な人をつくらないように、誰の脅威にも晒されないようにって。でも、寂しかったんだよ。だからイヴが強引に話しかけてくれたこと、鬱陶しく感じてたけど、内心すごく嬉しかった」
「……うん」
「それから俺の世界にはいつもイヴがいて、いつの間にか、俺の中でイヴの存在がなくてはならないものになった」
“必要になった”とか、そんな乾いた言葉じゃ片付けられない。
イヴがいないと俺が俺でいられなくなって、イヴが俺の世界から消えると俺まで消えてしまいそうになる。
「もう絶対に手放したくない。でも母さんは、俺たちの仲を引き裂こうとしてる。だから俺は母さんに立ち向かうことに決めた。……でも、一人じゃ無理なんだ」
俺一人の力はあまりに弱すぎて、母さんに打ち勝つことはできない。
でも、二人だったら。
イヴと一緒だったら、今度こそ立ち向かえると思うんだ。
だから……。
「……だから、一緒に戦ってほしい」
「っ――!」
「もう一人は嫌だから。イヴと一緒なら、俺はきっとできるから。だから……俺のそばにいてほしい」
俺のそばにいたら、イヴが傷つくことになるかもしれない。
なら、俺が守ればいい。
今はその覚悟と勇気がある。
だから俺のそばにいて力を貸してほしいと、そう言うと、イヴは鼻をすすりながら言った。
「……そばにいるだけじゃ嫌」
「えっ?」
「一緒に戦うの。私だって、シュウトのお母さんに言いたいこと、たくさんあるんだから」
怒気を孕んだ声に、俺は思わず彼女の顔を見る。
眉を顰めて、まさに怒っている顔。
嬉しくなって、苦笑してしまう。
そうして俺は三度彼女のことを抱き締めた。
「……あぁ、一緒に戦おう」
「今度こそ、ずっと一緒だからね。もう、絶対放さないから」
「あぁ……約束だ」
俺は、人の繋がりの結末の一つを知っている。
でもだからといって、それが人と繋がらない理由にはならない。
いずれ終わりは必ずやってくる。
なら、人と繋がった方が幸せなんじゃないのか?
別れる悲しみは増えてしまうかもしれないけど、そこで育んだ営みの方が悲しみなんかよりもずっとずっと大事だ。
そして、それをイヴが教えてくれた。
だから俺は、最後まで彼女と一緒にいるために、必ず過去を乗り越えてみせる――。
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