48話 金髪美少女はどこにもいかない

 ――イヴはああ言ってくれたが、本当に俺は克服できるのだろうか。


 父さんと母さんがいなくなってから約十年間もの月日があったのに、俺は何も変われちゃいない。

 さっきのフラッシュバックがいい証拠だ。

 結局こうしてイヴのそばに居られるのも、周りと素直に関われるようになったのも、全部イヴのおかげ。

 イヴが、この十年間で凍り付いてしまった俺の心を溶かしてくれたから。


 ただ凍り付いた心が溶けただけで、心の中身は何も変わらない。

 だから彼女との関係を進めるほんの些細な一歩も踏み出せなければ、素直に好意を伝えることもできない。


 じゃあ心の中身を変えるにはどうしたらいい?


 ……俺にはよく分からない。


 きっかけさえあればすぐにトラウマが苛んでしまうこの心を、俺はどうやって変えればいいのだろう。

 そもそも、この心は変えられるのだろうか。


 本当に、克服できるのだろうか。

 それがずっと見えないから俺は今とてつもなく不安で、そして怖かった。


『……シュウト、起きてる?』


 左の頬を布団につけて眠れずにいれば、後ろからイヴの声が聞こえてくる。


『起きてるよ、なんかあったか?』

『特に何かあったわけじゃないんだけど……眠れなくて』

『……そっか』


 きっとさっきの出来事で、イヴもいろいろと考えてしまっているのだろう。

 謝りたかったが、それだと彼女を困らせてしまいそうな気がしたので我慢する。


『実は俺も眠れないんだ』

『そうなんだ、一緒だね』

『そうだな』


 イヴと同じ状況にいる。

 それだけで、少し不安が和らいだような気がした。


『ねぇ……腕、抱いてもいい? シュウトと離れ離れになったような気がして、ちょっと不安なの』

『いいよ』


 イヴにそう言われては、俺までイヴとくっつきたくなってしまう。


 温もりを求めるように彼女の方へ寝返りを打てば、彼女はすぐに自分の腕を俺の腕に絡めてくる。

 するとイヴは満足そうに大きく息をついた。


『やっぱり、好きな人とくっついてると安心する』

『好きな人……』

『私ね、ずっと考えてたの。どうやったらシュウトが過去を克服してくれるだろうって。でも、なかなか答えが出なくて』

『俺もだ。自分のことのはずなのに、どうしたらいいのか分からなくなる』


 頭がイヴと一緒になりたいと言っても、体がそれを拒否する。

 刻み込まれているのだ、深い愛を失ってしまう恐怖を。


『あんまり焦らないでいよう。切羽詰まった状態でいろいろ考えたって、何も答えは浮かばないよ』

『でも、焦らなきゃダメなんだ。もしかしたら……明日、離れ離れになるかもしれないから』

『シュウト……』


 俺はそれをよく知っている。

 ずっと続くと思っていたあの日常は、ある日突然奪われてしまったから。

 だから俺は一刻も早くその哀傷を乗り越え、そしてそれに耐えられるだけの強さを身につけなきゃいけない。


 でも、いったいどうしたら……。


 口に出したせいで疼きだした古傷の痛みに顔をゆがませて耐えていると、それをそばで見ていたイヴは意志のはっきりとした声で言った。


「私、どこにもいかない。絶対。何があっても。シュウトのそば、必ずいる」

「イヴ……」


 彼女の言葉は、すごく嬉しかった。


 でも結末の一つを知っていた俺は、その言葉を素直に受け取ることはできなかった。



          ◆



『――俺の家に何もないのを、昨日あれだけ思い知っただろ。本当にいいのか?』

『それでも私はここに泊まりたいのっ』


 翌朝。

 朝ご飯を食べ終われば、イヴは着替えやらを取りに行くために一旦家に帰ると言い出した。


 今日は土曜日なのでもう一日泊まる分には何も構わないのだが、何度も言うように俺の家にはテレビすらない。

 昨日あれだけ『暇だー暇だー』とわめいていたのにも関わらず、なお俺の家に泊まりたいその気持ちが俺には全く分からなかった。


『というか、どうやって帰るんだよ。歩いて帰るのか?』

『車で帰るよ。さっきお母さんに迎えに来てほしいって連絡したの』

『もう連絡してあるのかよ』


 だからもう外に出られるようにリュックを背負ってあるのか。


 どうやら彼女は本気らしい。

 いや本気じゃなかったことは一回もないのだが、何というか確固たる意志を感じた。


『“シュウトのそばに必ずいる”って言ったでしょ』

『……今それを持ち出してくるのはずるくないか?』

『何、シュウトは私のそばにいたくないの?』

『そうは言ってないだろっ。……まぁ、イヴがそれでいいなら俺はなんでもいいんだけどさ』

『ありがとっ』


 屈託のない笑顔を浮かべるイヴ。

 その笑顔は俺まで笑顔にさせてくれる。


 一種の魔法のようなものだった。


 会話が一段落すると、タイミングよくイヴの来ていたズボンのポケットから着信音が聞こえてくる。


『あっ、来たかな? ……うん、“もう着いたから出てきて”だって』

『そういえば、どうやってエラさんにここの場所を教えたんだ?』

『地図アプリを使って現在地をお母さんに共有してあげたの』

『へぇ……』

『何その驚いたような顔』

『いや、なんでもない』


 すげぇ、イヴが機械音痴じゃなくなってる。

 彼女もちゃんと成長しているんだなぁと、何故か親心のような感情を抱いた。


『そういえば私の制服は? 乾いてるなら一緒に持って帰るけど』

『まだ濡れてるから明日に持って帰ってくれ』

『分かった』

『外出るけど、寝巻のままで大丈夫か?』

『うん、そこまで長く外にいるわけじゃないしね』

『今着てるやつはこっちで洗った方がいろいろと楽だから、また持ってきてくれ』

『りょーかい』


 粗方必要なことを話し終え、イヴは靴を履く。


『わっ、冷たっ』

『やっぱりまだ乾いてなかったか』

『昨日すごい降ってたからね。じゃあ、ちょっと待っててね』

『あぁ』


 そうしてドアノブに手をかける。


 彼女の後ろ姿を目の当たりにすると急に不安になってしまって、俺は裸足のまま玄関に降りてイヴを正面から抱きしめた。


『気を付けて。エラさんにも、伝えて』

『……分かったよ。行って来ます』

『行ってらっしゃい』


 イヴから離れれば、彼女は優しく微笑みながらドアの向こうへと消えていく。

 一人になった俺は、なかなか玄関から離れられずにいた。


 ……大丈夫だろうか。

 雨が上がっているとはいえ、どうにも不安を拭いきれない。

 車で帰るというのだから、余計に心細く感じてしまう。


 でも、イヴは必ずそばにいると言ってくれた。

 それに、あんな奇跡のようなことが何回も起きるわけがない。


 大丈夫だと自分に繰り返し言い聞かせながらその場を離れようとすると、不意にインターホンが鳴り響く。

 あまりにも早すぎるその音に思わず体を震わせた。


 何か忘れ物でもしたのだろうか。


 渦巻く疑問の中で、とにかくもう一度イヴに会えると飛びつくようにドアノブを掴んで捻り上げると。


 ……ドアの向こうから現れたスーツ姿の人物に、俺は心臓を強く掴まれたような感覚に陥った。


『何をしているの、どきなさい』


 有無を言わさぬ慈悲のない声に体を震わせながら、俺はすぐさまその人物に道を開ける。


『入るわよ、いいわね』


 そう言って靴を脱ぐ彼女を目の前に、俺は顔を俯かせながら言った。


『……はい、

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