47話 大好き。俺も――

『――シュウト、それはなに?』


 晩ご飯を食べ終わったものの、家にはテレビもゲームもないためすることがないため特にすることがない。

 ということで早めに寝る準備を済ませておこうと押し入れから布団を引っ張り出すと、イヴが声をかけてきた。


『これは“布団”って言うんだ』

『フトン?』

『あぁ。今日はこれを床に敷いて寝るんだぞ』

『へぇーそうなんだ』


 折り畳みのテーブルを片付け敷布団を敷くと、そこへイヴが待ってましたと言わんばかりにボフッと音を立てて倒れこむ。

 顔をうずめてグリグリと押し付ければ、その後幸せそうな顔をして大きく息をついた。


『シュウトの匂いがする~』

『恥ずかしいからそんなにじっくり嗅がないでくれ』

『えぇー、でもいい匂いだよ?』

『いい匂いでもだ。イヴだって自分が汗かいてるのに匂い嗅がれたら嫌だろ?』

『それは少し違くない?』

『俺にとっては同じなんだよ』


 例え俺がイヴにとってどれだけいい匂いでも、恥ずかしいものは恥ずかしい。

 そのことを伝えれば、やっぱり彼女には伝わらないようで唇を尖らせる。


『というか、もう手遅れじゃない? シュウトの家に入った時からシュウトの匂いはしてたよ』

『それはどうしようもないだろ。そうじゃなくて、声に出して大袈裟に嗅ぐのをやめてくれって言ってるんだ』

『ふーん……』


 ジト目のイヴが何を考えているのか全く分からない。

 これは納得してくれたのだろうか。

 いや、でも表情が納得していなさそうに見えるし……。


 四つん這いのままこちらに近づいてくるイヴの顔を見つめながら考えていると、彼女は不意に立ち上がって俺を抱きしめてきた。


「わっ」


 急な出来事に思わず声が上がってしまう。

 しかし甘えられたことが嬉しくて、俺は口元を綻ばせながら彼女の背中に腕を回した。


『どうした、急に』

『ぎゅーしてる』

『どうしてぎゅーしてきたかを聞いてるんだよ』

『それを言ったら、またシュウト怒るよ?』

『ん、どういうことだ?』


 イヴの言っている意味が分からず聞き返すと、彼女は少し間を空けて告げた。


『……シュウトの匂いを嗅いでるの』

『あぁ、そういうことか……』


 要するにイヴは今、俺の言った“声に出して大袈裟に嗅ぐ”のをやめてくれたわけだ。

 さっきの間は言うべきかどうか躊躇っていたからだろう。


 納得していれば、イヴは怒ったように『んっ』と声をあげながら俺を抱きしめる力を強める。


 確かに今のは察せられなかった俺が悪い。

 お詫びの気持ちを兼ねて『ごめんごめん』と頭を撫でてやればすぐに機嫌が直ったようで、むふふと笑いながら俺の首に顔をうずめた。


 どうして彼女はこうも可愛いのだろう。

 彼女のことが好きだと自覚したせいか、最近余計に可愛く感じる。


 そしてそんな彼女が腕の中にいてくれることがすごく幸せだ。


『大好き』

『あぁ、俺も――』


 その勢いのまま言葉を続けようとしたところで、思考がシャットアウトする。

 まるでいきなり壁が現れたかのように思考の行く手を阻まれる。

 一瞬言葉が出てこなくて戸惑ってしまったが、それでも俺はその壁を突き破って言った。


『……大好きだよ』

『なに今の間』

『あ、いや、ごめん』


 抱き着きを緩めて悪戯っぽく笑っていたイヴは、俺の謝罪と顔を見るなりそれを消す。

 代わりに彼女の表情に滲み出してきたのは心配の色だった。


『大丈夫……?』

『あ、あぁ』

『何かあった?』

『いや……ちょっと、トラウマが』

『トラウマ?』


 その言葉で眉をひそめるイヴに、俺は泣くわけでもないのに何故か泣きそうなたどたどしい声で、ゆっくりと記憶を紐解きながら喋り始める。


 と言っても、そこまで重たい話ではない。

 まだ実の両親が生きていたころ、無邪気だった俺はよく父さんや母さんに「大好き」と言って回っていた。

 その時に返された言葉が「お父さんも大好きだよ」「お母さんも大好きだよ」だったというだけの話。

 なのにここまで俺を締め付けるのは、父さんと母さんがこの世からいなくなってしまったからだろう。


 イヴを好きになれて、周りと普通に話せるようになって。

 ようやく少しずつ克服してきたのかもしれないと思っていたのに、結局何も変わっていなかったのか。


 せっかく彼女と気兼ねなく言葉を交わせていたというのに、彼女はまた暗い顔をしてしまった。


『大丈夫、イヴのせいじゃないよ』


 どうにかしてイヴを元気づけようと笑いかければ、彼女はハッとして再び俺を優しく抱きしめる。


『……うん。私は大丈夫』

『よかった』


 安心したせいか、声の不安定さがより悪化した気がする。

 すると、彼女は今まで以上に抱き締める力を強めながら言った。


『一緒に克服しよう、私がそばにいるからっ』

『……ありがとう』


 きっと普段の彼女なら、今も暗い顔をして俯いていただろう。

 それでもこうして前向きに振舞ってくれたのが、抱き締められているのも相まって心地よかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る