44話 金髪美少女は謝りたい
「――そろそろお開きにするか」
スマホの明かりをつけ、俺は口を開く。
現在の時刻は午後五時。
ここに向かう途中で気づいたのだが、高嶺家は案外俺の家の近くだった。
近所というほどではないにしても、学校へ行くより高嶺家に寄る方が明らかに距離が短い。
自分の都合だけを見るならもう少し遅めに切り上げることもできたが、俺の家が近いということはイヴの家が遠いということでもある。
つまり、これ以上遅い時間になってしまうと彼女の帰る時間が遅くなってしまうのだ。
南井の家がどこにあるかは分からないが、流石にイヴの家より遠いということはないはず。
あまり遅くまで居座るのは高嶺家にも申し訳ないため、ここらで切り上げるのがベストだと思った。
「もう少しいてくれてもいいんだぞ?」
「そういうわけにもいかないんだよ。帰らないとご飯の準備が遅れるし」
「えっ、櫂君がご飯作ってるの?」
「ご飯を作ってるというか、一人暮らしだから」
「へぇー大人ー」
りんの瞳がキラキラと輝く。
彼女ほど声は出していないが、さり気なく南井も目を見開きながら頬を赤らめていた。
確かに珍しいかもしれないが、そこまで感心することだろうか。
単に俺が一人暮らしに慣れてしまったのもあるかもしれないが、高校生くらいだったら誰でもできるような気がしないでもなかった。
「そっか。じゃあまた月曜日にってことで、解散するか」
「そうだね」
というわけで俺とイヴ、南井の三人は高嶺兄弟に見送られながらその場を後にした。
家が近いらしい南井ともすぐに分かれ、結局最後はいつもの二人になった。
『そういえば、シュウトの家はこっち側なの?』
『そういうわけじゃないけど、イヴの家まで遠いし送っていこうと思って』
『それは申し訳ないよ。まだ外が暗いわけでもないんだし、一人で帰れるよ』
『でも、この前地図アプリを使いこなせてなかっただろ』
転校初日に起きたあの出来事も、一ヶ月経った今では懐かしい。
もはや彼女と過ごした時間が濃密すぎて、たった一ヶ月しか時が流れていないことに驚いてしまう。
というか俺、どんな時も同じような感想を抱いている気がする。
からかうように言うと、イヴは恥ずかしそうに眉をひそめた。
『あ、あれはたまたまだから! 今はちゃんと機能してるし、下校の時だってちゃんと一人で帰れてるでしょ?』
『それはそうなんだけど、なんか心配なんだよなぁ』
イヴのことだから、そこらへんに迷い込んで涙を流している姿が容易に想像つく。
それにもっと彼女と一緒に居られるから、できるならこっちから“イヴの家までついていかせてください”とお願いしたいくらいだった。
『じゃあ、学校の辺りまでついてきて。そこからなら私が一人で帰っても安心でしょ?』
『それはそうだけど……』
『家までついてきてもらうのは申し訳ないし、シュウトだって自分のやることがある。だから、ついてくるならそこまでにして』
『……分かったよ。なら、そこまでついてく』
そう言われてしまっては、素直に従うしかない。
イヴの意向を跳ね返してまでついていきたくはないので、俺は彼女の言葉に頷いた。
『ごめんね、心配かけちゃって』
『全然。……むしろ、イヴの家までついて行こうとしたのは俺がイヴと一緒に居たかったからだし、イヴが気にする必要ないよ』
いつもの彼女なら俺の言葉にテンションを上げていただろう。
でも、今日は気まずそうな顔をして顔を俯かせていた。
『……イヴ?』
彼女の名前を呼んだところで、気づく。
腕に彼女の温もりがない。
さっきまであれだけ俺の腕を抱いていたのに、今は俺にくっつくどころか俺たちの間に冷たいすきま風が吹いている。
どうしたのだろう。
イヴの暗い顔にこっちまで不安になりそうになっていると、ふと彼女が口を開いた。
『ごめんね、いつも振り回しちゃって』
『振り回す?』
『私を一人にしないでって我儘を言ったりするし、独占したくてシュウトにずっとくっついてたりするし。今だって、私のせいでシュウトの帰り道を邪魔してるし』
まるで自分を責めるようにように言葉を吐くイヴ。
どうして急にそんなネガティブになったのかは分からないが、俺も時々そういう気持ちになることがある。
ふとした小さなことで自分の行動を失態だと思い知って、自分を攻撃して暗い気持ちになって、攻撃して暗い気持ちになって。
……そんな負のスパイラルに陥ることがよくあった。
彼女が今その状態に陥っているのかは定かではない。
でも、暗い気持ちでいるのは確かだ。
だから俺は、イヴの顔を覗き込んで笑顔を浮かべた。
『そんなこと言うなんて、イヴらしくないな』
『だって、事実でしょ。私の自己中心的な気持ちのせいで、シュウトにたくさん迷惑をかけてきた』
『俺がいつ“イヴに迷惑をかけられた”なんて言った?』
『えっ?』
イヴが目を見開いて、顔を上げる。
そんな彼女の頭を俺はゆっくりと撫でた。
『確かに最初は鬱陶しく思ってたさ。でも、今の俺はあの頃の俺と全然違う。イヴに求められると嬉しく思うし、イヴと一緒に居られることがとても幸せだ。言葉と表情に出してないだけで、心の奥では最初からもそう思ってたよ』
『シュウト……』
『“変に気を遣われると寂しい”。だから、これからも今まで通り俺の腕を抱いてくれないか?』
俺の言葉に、イヴはハッとする。
そうして俺の腕に手を伸ばそうとするが、寸前でひっこめてしまった。
きっと彼女の仲にまだ罪悪感が残っているのだろう。
どうにかして彼女に笑顔になってほしい。
そんな思いでただひたすらにどうしたらいいか考えていれば、不意に冷たいものが頬を掠める。
そうしてみるみるうちにその感触は確かなものになっていき、俺とイヴの体を濡らし始めた。
「……雨か。天気予報じゃそんなこと言ってなかったのに」
俺は勉強道具の入ったリュックを下ろし、学ランを脱いでイヴの頭を覆うように被せる。
彼女は雨が降っているのにも関わらず、ただ呆然とどこかを見つめていた。
『とりあえず、俺の家に行こう。走れるか?』
『……うん』
『よし。なら、しっかりついて来いよ』
再びリュックを背負うと、俺は彼女の手を引いて自宅に向かうのだった。
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