29話 悪夢

 ――燃えさかる炎。

 それを消したいと願うような吹雪。

 小学一年生の正月は、生憎の悪天候だった。


 例年のように千夏の家で年を越した明くる日の朝、父さんと母さんは自宅に届いたであろう年賀状を取りに車で戻った。

 千夏の母さんも買い出しのために家を出て、俺は留守番のあいだ千夏にすごろくの遊び相手になってもらっていた。


「千夏姉ちゃん、千夏姉ちゃん。見て、六が出たよ!」

「あっ、ほんとだ!」

「すごいでしょ~」

「ふふっ、すごいね」


 そうして千夏に頭を撫でてもらう。

 当時女子大生になったばかりの彼女とは正月くらいしか会う機会がなかったため、久々に会えたのが嬉しかった俺は年相応にはしゃいでいた。


 ――あの頃までは、純粋に千夏のことが好きだったと思う。

 それでもこれから起こる出来事を境に、俺は人を好きになるのが怖くなった。


「修斗!」


 千夏の母さんが焦った顔で買い出しから帰戻ってくるまで、そう時間はかからなかった。

 彼女の必死の表情に呆気に取られていると、彼女は俺に駆け寄ってきて言った。







 父さんと母さんが、事故にあった。







「えっ?」


 一瞬、千夏の母さんが何を言っているのか分からなかった。

 立ち尽くす俺は彼女に連れ出され、千夏とともにとりあえず事故現場に向かった。


 体が吹き飛ばされてしまいそうになるほどの猛吹雪だというのに、そこにはたくさんの人が集まっている。

 俺はその合間を無理やりこじ開けて先に進み、やっとの思いでその人集りから抜け出した。


 救急車や消防車、パトカーの向こう側で二台の車が炎をまとっている。

 あの中に、父さんと母さんがいるらしい。


 ……意味が分からない。


 父さんと母さんは家に戻ってるんだ。

 こんなところにいるはずがない。


 千夏の母さんの言うことが信じられず、俺はあれが本当に父さんの母さんの車なのか、必死になって目を凝らす。

 すると、揺れる炎の影からうっすらと見えてしまった。


 見たことのある車の輪郭。

 見たことのある車の色。

 そして……いつも乗っている車のナンバープレート。


 もう片方の車にぶつかったのか変形はすれど、そこで炎を纏っているのは確かに俺の家の車だった。


「お父さん……お母さんっ!?」


 思わず走り出そうとして、誰かに後ろからぎゅっと抱きしめられる。


「ダメっ! 修斗まで死んじゃうよ!」


 千夏の声だった。


「嫌だ! 嫌だぁぁぁっ!?!?」



















 そこから先の記憶が、俺にはあまりない。


 焼死ということもあって、俺はついぞ父さんと母さんの顔を見ることはできなかった。


 これが、俺のの悪夢。


 本当の悪夢は、ここから始まった。




          ◆




『――ト……シュウト……!』

「……はっ!?」


 跳ね起きる。


 息が荒い。


 覚醒してすぐだからか、俺がいまどんな状況に陥っているのか理解ができなかった。


『シュウト、大丈夫?』


 肩で息をしながら声のする方に視線を向けると、そこには俺を心配そうに見つめるイヴの姿があった。


『……イヴ?』

『うん、イヴだよ。ものすごくうなされてたけど、悪い夢でも見た?』


 どうやら、さっきのは夢だったようだ。

 あまりにも夢のような心地がしなかったから、何故ここにイヴがいるのか分からなかったが。


 思い出そうとすれば、目が覚めた今でも鮮明に思い出せる。


 というか、思い出したくなくても思い出してしまう。


 燃えさかる炎。


 立ち上る黒煙。


 それを全て消し去るような凍てつく吹雪。


「あ……あぁ……」

『シュウト……?』


 嗚咽が溢れる。


 忘れていた哀傷と孤独が津波のように押し寄せてきて、涙が止まらなくなる。


 そんな俺に戸惑っていたイヴは俺を痛々しい表情で見つめたあと、優しく抱き留めた。


『……大丈夫。私はちゃんとここにいるよ』


 きっと彼女は今、どうして俺が泣いているのかさっぱりだろう。

 その言葉も、限りない憶測から必死に引っ張り出してきたものかもしれない。


 それでも、今はその言葉がとても嬉しかった。


「イヴ……イヴ……!」


 繰り返し彼女の名前を口にする。

 寝汗でべっとりと濡れた体でも、彼女は嫌がることなく自分の体温で暖めてくれた。


 母親にあやされる小さな子どものように、俺はだらしなく彼女に泣きつくのだった。

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