28話 金髪美少女は甘えん坊

『――な、なぁ、もう離れてくれても良くないか?』


 あれからイヴは腕を絡ませて俺の手を握っていた。

 それも恋人繋ぎで。


 彼女の肌と俺の肌が触れ合ってくすぐったい。

 風呂上がりのせいか、肩に寄りかかっている彼女の頭から花のようないい匂いもする。


 時計の針が時間を刻む音以外に何も聞こえてこなかったため、より鮮明に彼女を感じてしまう。

 今までうるさいスキンシップしか受けてこなかったからか、こうした静かなスキンシップが居心地の悪さを余計に助長させていた。


 確かに安心するし、イヴと肌を寄せ合うのは気持ちいい。

 でも彼女は握る力を緩めたり強めたりしながら遊んで、ときどき幸せそうに頬を緩めるものだから、思わず悶えそうになってしょうがなかった。


 しかし、イヴは静かな雰囲気をそのままに少しだけ唇を尖らせた。


『やだ。もっとシュウトとくっついてたい』

『もうそろそろ寝たいんだが……』


 時刻は現在九時ごろ。

 寝るにしては少し早すぎる気がしないでもないが、これ以上イヴとの触れ合いに耐えることができなかった。


 早くイヴから離れたい。

 いや、離れたくはないけど……と複雑な気持ちを抱えながらなんとか理性が勝って言葉を吐くが。


『じゃあ、一緒に寝る?』

『どうしてそうなるんだよ……』


 イヴはどうやら俺から離れる気が一切ないみたいだ。


『だって、せっかく一緒にお泊りするんだよ? 一緒に寝ないと損じゃん』

『俺らは恋人でもなんでもないんだぞ』

『なら付き合ってよ。そしたら一緒に寝てくれるんでしょ?』

『だから……』


『付き合うのは無理だ』という言葉が出てこない。

 その隙を突いて、イヴはさらに言葉を重ねた。


『じゃあ、どっちか選んでよ。一緒に寝るか、今ここで私と付き合って一緒に寝るか』

『一緒に寝ない選択肢が見当たらないんだが』


 この選択はあまりにも俺にとって不利すぎないか?


『どっちにするの?』

『どっちって……』


 選ぶならもちろんイヴと付き合わない選択肢だ。


 正直に言えば、イヴと付き合ってしまいたい気持ちが心の奥底から顔を覗かせている。

 彼女と出会ってからたった数日。

 俺は彼女との色濃い日々に当てられ、見事なまでに靡いていた。

 彼女と出会うまでの俺の確固たる意志はこんなに薄っぺらいものだったのかと、自らに失望してしまうほどに。


 でも、それだけ彼女は俺にとって魅力的なのだ。

 顔が可愛くて、俺の影を打ち消してしまうくらいの明るい性格をしていて、俺に好意を向けてくれて。

 何より、俺がどれだけ素っ気なくしてもそばにいてくれて。


 だからこそ、付き合えない。

 こんな生半可な気持ちのまま彼女の気持ちを受け取ったら、真剣に俺を考えてくれている彼女にも失礼だし、俺がそれを許したくない。


 付き合うなら、今度こそ俺の意志がしっかりと固まってから。

 彼女を最期まで信じると誓ってから付き合いたかった。


 少し、重すぎるかもしれない。

 でも、俺にとって付き合うということは、すでにそれだけ大きなことになっていたのだ。


『……一緒に寝る』

『付き合わないで?』

『付き合わないで』

『……なんか複雑な気持ち』

『お前が設定した選択肢だろ』


 こうしてなあなあな関係を続けるのもまたイヴに申し訳なく思うが、イヴが俺のそばに居たいと思うように、俺もイヴのそばに居たい。


 今はその欲望に、抗うことはできなかった。


『……まぁ、いいよ。それで手を打ってあげる』

『ありがとう』

『……なんか、くすぐったい』

『なんで?』

『あんまりシュウトにお礼を言われたことがないから、慣れなくて』


 どうやら、俺はそれ以前にたくさん彼女に申し訳ないことをしていたみたいだ。


 そりゃそうか。

 何せ、素っ気なく当たってたんだから。


『俺が素直になってる証拠だよ』

『そうなの?』

『あぁ、今のところはな』

『……なら、嬉しい』


 くしゃりと笑みを浮かべた彼女とともに、俺は電気を消してベッドに入る。

 さっきまで居心地の悪かった静寂が、今はとても居心地よかった。


『ねぇ、シュウト』

『どうした?』

『……シュウトは私に迫られて嫌じゃない?』


 不安そうな顔をして何を言うのかと思えば、今更そんなことか。


 思わず苦笑してしまう。


『どうした急に』

『急じゃないよっ。……本当はずっと気になってた。そりゃあ嫌なんだろうなとはずっと思ってるけど』

『驚いた、そんなこと気にしてたんだな』

『気にしてたというか、最近気になり始めたというか……今まで、申し訳ないことをしてたなって』


 俺と同じように、イヴも俺に申し訳なく思っていたらしい。

 彼女も、出会った頃より惹かれているのだろうか。


 もしそうだとしたら、少しだけ嬉しい。


『まぁ、最初は鬱陶しく思ってたけど、今はその……そこまでっていうか』

『満更でもないって?』

『……お前、段々と調子を取り戻してきたな』


 イヴがニマニマとした笑顔でからかってくる。


 きっと俺の照れ臭そうにしているところを見たからだろう。

 表に出すんじゃなかった。


『デレてて可愛かったから、つい』

『いらないだろ、男のデレなんて』

『私は欲しいけどなぁ』


 そう言って、イヴは再び俺の腕をぎゅっと抱いてくる。

 ただでさえ暑いのに、どうしてもっと暑くなるようなことをするんだろう。


『否定しないっていうことは、そうなんだ?』

『……これで察してくれ』

『分かった分かった。意地悪してごめんね』

『……さっさと寝るぞ』

『はーい』


 そうして俺は、本格的に寝る準備に入る。


 今はまだ恋人未満という線引きがしっかりとあるからいいが、もしその線引きがなくなったら俺は彼女を求めずにいられるのだろうか。

 分からないが、今かろうじて俺の理性が持ってくれていることが幸いだった。


『……というか、このまま寝るんだな。俺の腕を抱いて、寝苦しくないのか?』

『全然。むしろとっても幸せだよ』

『……そうかい』


 純粋な彼女の好意が今は嬉しく感じてしまって、まともな受け応えができなかった。


『シュウト、シュウト』

『ん?』


 急かすように俺の名前を呼ぶイヴは、俺と視線が合うなり笑みを浮かべて言った。


「おやすみ」

『……段々日本語にも慣れてきたな』

『でしょでしょ』


 日本語は、俺たちの恋路の道しるべ。

 それを抜きにしてでも、彼女の日本語を喋る姿に嬉しくなってたまらなかった。


「おやすみ」

「おやすみ」


 俺は人生で一番かもしれない幸せを感じながら、イヴに顔を寄せて眠りにつくのだった。

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