21話 金髪美少女を押し倒す

『――っていうかそろそろ勉強を始めないと、俺が帰るの遅くなる!』


 イヴの家から俺の家まで結構な距離がある。

 晩ご飯をつくる時間がなくなってしまうため、明るい内に帰りたかった。


 というかそれ以前に、俺はここへ彼女の勉強を手伝うために来たのだ。

 こんな風にじゃれ合うために来たわけではない。


 イヴの拘束を解いて抜け出すと、移動して彼女との間にテーブルを入れる。

 あからさまに距離を取ったからか、彼女はプクッと頬をむくれさせた。


『そんなに嫌がらなくてもいいじゃん』

『嫌がってるわけじゃない。早く勉強をしようって言ってるんだ』

『……お前、そういう揚げ足取りやめたほうがいいぞ』


 俺はイヴとじゃれ合いたいという意味で言ったわけではない。

 あくまで早く勉強をしなければいけないから、こういった言わば「遅延行為」が起きないように距離を取っただけのこと。


 揚げ足を取っているあたり、彼女は元よりそのために言葉をいたのだろう。

 であれば俺がそういう意味で言ったわけではないことが十分に分かっているはずだ。


 それに、俺がそういう意味で言う人間じゃないことも。


『……分かった! 大人しく勉強するよ』


 イヴは降参するように両手を上げた。


 ……よし、段々と冷静さを取り戻せてきている。

 こうして細かな分析を頭で描き続ければ、俺が彼女に弄ばれることはないはずだ。


 というか、いつも勉強する前はこうしてイヴに翻弄されてるよな。


『じゃあ、今日は書きの練習をしよう。イヴはノートを持ってきて――』

『あー、それなんだけどさ。今日は私が何をするか決めてもいい? シュウトに教えてほしいことがあって』

『なんだ?』


 俺の言葉を遮ってまで教えてほしいこととはなんだろうか。

 純粋に気になってイヴに視線を向けると、彼女は待ちきれなさそうに口元を歪ませながら言った。


『“I love you”って、日本語でなんて言うの?』

『…………』


 睨みつける。

 彼女が何をしようとしているのかすぐに分かった。


 おおかた俺に日本語で「愛してる」と言って、また俺を弄ぶつもりだろう。

 だったら俺が教えなければいいだけの話なのだが、ここまでやられっぱなしでいるわけにもいかない。


 彼女はきっと今、油断している。

 なら、攻撃するならそこしかない。


 大丈夫、今の俺ならきっといける。


『……分かった。じゃあ今日はそれについて教えよう』

『ほんと? ありがとっ』

『まず“I love you”は日本語で「愛してる」って言うんだ』

「アーシテル?」

『ううん。「ア、イ、してる」』

「ア、イ、シテル」

『そうそう。「愛してる」』

「アイシテル」

『うん、上手』


 これを教えるだけでもいいのだが、どうせならもっと彼女の手数を増やした方がいい。

 そうすれば、俺の火力ももっと上がる。


 ちなみに現在俺が画策しているのは、イヴが「愛してる」と言ってきたときに俺も言い返すというもの。

 彼女の手数を増やしたり「愛してる」という言葉の重要性を彼女の中で高めることで、反射したときの火力も上がる寸法だ。


 これが成功するかどうかは分からない。

 けど、世の中には「押してダメなら引いてみろ」という言葉がある。


 俺は今までずっと彼女に対しきていた。

 だから、逆に押してみようというのだ。


 先人の言葉はどれも偉大なものばかりだ。

 その言葉がそれに当てはまるのかはよく分からないが、きっと成功するだろう。


 俺の頭の中では、イヴの顔を真っ赤に染め上げた姿が容易に想像できた。


『ただ「愛してる」は愛を伝える日本語において最上級の表現なんだ。普段使う分には少し重すぎるから、日本人は普段「好き」とか「大好き」って言ったりする』

「スキ?」

『そう』

「ダイスキ」

『そうそう。ちなみに書くときは……こうやって書いたりする』


 俺はイヴの隣に移動して、スマホのメモ欄に打った日本語の文字を彼女に見せた。


『こうやって書くんだね』


 これで準備はできた。


 いつでも来いという思いでいると、イヴが満を持して『ねぇ、シュウト』と声をかけてきた。


『どうした?』


 振り向くと、彼女はグッと顔を近づけてくる。


 つぶらな瞳で俺を見上げ、陽だまりのような優しい笑みを浮かべた。


「……アイシテル」

「っ……」


 その言葉をからかうために言っているのか、はたまた本気で言っているのかは分からない。

 でもわざわざその言葉を選ぶあたり、思いが強いのは確かだ。


 なら、俺もそれに応えよう。


『へっ?』


 押し倒す。


 覆い被さる。


 頬を真っ赤に染めて目を点にする彼女の姿が、俺の影で暗く見えづらい。


 それでも俺は彼女の碧眼を真っ直ぐに見据えて、言った。


「俺も、愛してる」

『ッ――!?』


 イヴが思い切り顔を歪ませる。


 ……勝った。


 思わず頬を緩ませてしまう。

 そのせいで、本気じゃないことが伝わってしまったのだろう。


 彼女はムッと眉をひそめると、対抗するように言葉を発した。


『私の方が愛してるもん!』

「なっ……!?」


 これでもまだ屈しないのか。


 でも押してしまった手前、もう戻ることはできない。


『俺の方が愛してる!』

『私の方がずっとずっと愛してる!』

『俺だ!』

『私だよ!』


 視線が交差する。


 これじゃあ泥仕合だ。

 何かほかの方法を考えないと……。


『あらあら、ラブラブね〜』

『!?』


 不意に俺たちじゃない別の声が聞こえてくる。

 互いに目を見開いて声のする方に視線を向けると、ドアからひょっこりと顔を出したイヴの母さんがニヤニヤしながらこちらを覗いていた。


『でも、ちゃんとつけるものはつけないとダメよ? それじゃあ、ごゆっくり〜』


 そう言ってドアの向こうへ消えていくイヴの母さん。


『ち、ちょっと待ってください! そういうことをしてるわけじゃないんです!』


 どうしてイヴの母さんがいるんだろう。

 そんな疑問が頭の中で渦を巻きながら、俺は彼女の誤解を解くために慌てて追いかけるのだった。

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