19話 俺の様子がおかしい

『――ねぇ、どうしてそんなに怒ってるの?』


 今日も今日とて、俺はイヴと一緒に屋上で弁当を食べる。

 しかし俺が不機嫌そうにしていたからか、イヴはいつもの調子が出せずに眉尻を下げていた。


 なぜ俺が不機嫌なのか。

 それはもちろん、一昨日の通話内容をイヴが千夏にバラしたからだった。


 あまり口を利かなかったり、表情を固くしたり。

 俺はイヴに不機嫌そうに


 もちろん怒っているのだが、実はそこまで怒っているわけではない。

 だから口を利こうと思えば利けたし、表情を豊かにしようと思えばできた。


 でも俺はあえてそれをしなかった。


『分からないのか?』

『大変申し上げにくいのですが……』


 イヴはそう言って上目遣いに俺を見ると、申し訳なさそうにしながらコクリと頷いた。


 どうやら、本人には悪いことをしたという自覚がないらしい。

 本当は自分で気づいてほしいから不機嫌に見せたのだが、俺から言うしかないようだ。


 はぁー、と大きなため息をつくと、俺は気だるそうに口を開いた。


『千夏に一昨日の夜のことバラしただろ』

『それは、通話の内容……で、あらせられますか?』

『……あらせられるな』


 なんだこの言葉づかい。

 初めて使ったぞ。

 おかげで一瞬戸惑ったし。


 多分これが彼女なりの反省の見せ方なのだろうが、流石に俺を持ち上げすぎじゃないか?


『えっと……ごめんなさい』


 そこは普通なんだな。


 いろいろ思うことはあったが、口にすることはない。

 俺だって、バラされたくないことくらいある。

 ちゃんと反省してほしかったため、俺はそれを頭の片隅に留めておくだけにした。


『どうしてバラしたんだ』

『シュウトが少しでも心を開いてくれたって思ったら、嬉しくなっちゃって……』

『…………』


 ……なんでそういうことを言うのだろう。

 そんな理由じゃ、怒るものも怒れないじゃないか。


 再度大きなため息つく。


『……それで許してもらおうとか思ってないよな』

『思ってるわけないじゃん! 信じられるかもしれないって言われた時、本当に嬉しかったんだよ?』


 もう、本当に。

 抱き締めちゃダメだろうか。

 それくらい嬉しいこと言ってるぞこいつ。

 なんで俺は彼女を遠ざけているのだろう、と一瞬意味を見失ってしまいそうになった。


 ……というか、やばいな。


 ちょっとでも気を許したせいか、彼女が変に眩しく見える。

 やけに可愛く見えるし、彼女の俺を想う言葉一つ一つがものすごく心を震わせる。


 それはまるで、俺の意思が瓦解していくように。


『きっと、千夏さんから聞いたんだよね?』

『冷やかされた』

『だよね……ごめんなさい』

『別にそこまで怒ってるわけじゃない。反省してるんだったらもういい。……だから、そんなに落ち込むな』


 少し前まではイヴが落ち込んでいても心配するくらいにしか留まっていなかった。

 でも今は、彼女と俺の神経が繋がっているんじゃないかと錯覚してしまうくらいに胸が痛い。


 昨日はそうでもなかったのに、どうしてこんな気持ちになるんだろう。

 俺が俺じゃなくなってしまったみたいだ。


『……ありがとう』


 そうして安心したように笑うイヴに、俺までほっとしてしまう。

 気を許すという行為を今まさに現在進行形で実感していて、それが直接的な危機感に変わっていった。


 でも、もう止められない。

 自分ではどうしようもできないところにまできている。


 少しでも気を許せば、こんなにも心が揺れ動いてしまうなんて思わなかった。


『……っていうか、やっぱりシュウトって“ツンデレ”だよね』

『う、うるさい』

『否定しないんだ』

『俺は……ツンデレじゃない』

『遅いよ』


 クスクスと口元に手を当てて笑うイヴ。

 その笑顔にすら悶えそうになってしまって、頭がおかしくなりそうだ。


 これ以上この場にいられないと判断した俺は、食べかけの弁当を片付けて立ち上がった。


『……ごめん、今日は日本語を教えられそうにない』

『えっ、どうして?』

『理由は……言えない』

『やっぱりまだ怒ってる? ごめんね、さっきだって調子に乗っちゃったし』

『そういう意味じゃない! そういう意味じゃないけど、とにかく今日は無理なんだ!』


 イヴに納得してもらうには素直に言うのが一番なのだろうが、こればっかりは理由が理由なので素直に言うにはいささかハードルが高い。


 なんとか彼女の質問と自己嫌悪を躱して屋上を後にしたかった。

 しかし、彼女は懇願するように俺の腕に縋りついて言った。


『じゃあ今日の放課後、私の家に来て教えて! 千夏さんにも許可取ってるから!』

『なんで家なんだよ! というかいつの間に!?』

『今日はもともとそのつもりだったの! 千夏さんに言ったら、今日は特別にバイトに行かなくてもバイト代出してもらえるみたいだから!』

『そういう問題じゃねぇ!』


 バイトを懸念していないわけではないが、俺が一番気にしているのはイヴに心を揺れ動かされてしまうことだ。

 しかし心の中でそう言っても、彼女に届くわけじゃない。


 昨日の調子だと千夏にも「バイトには来なくていいからイヴちゃんの家に行け」と言われそうな気がしてならないため、手放しにイヴのお願いを否定するわけにもいかなかった。


『とにかく、今は教えてもらえなくてもいいから、ね? うちで一緒に勉強しよう?』

『勘弁してくれ……』


 逃げ場を失った俺は、懇願するようにそう言うしかなかった。

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