17話 金髪美少女と縮まる距離
『――今日はここまでにしておくか』
時刻は二十三時を回り、夜も段々と更けてきている。
あのあと俺たちは出会いの挨拶の他に、別れの挨拶や食事の挨拶なんかを勉強した。
サラッと触れるくらいしかできていないが、教えている合間、スマホ越しに黒鉛の削れる音が聞こえてきていた。
きっとメモを取っていたのだろう。
彼女の勉強する意欲もあるようだし、理解を深めるところは彼女に任せることにしたのだ。
……でも、彼女の元気は俺が告白してからずっと低空飛行だった。
『うん。今日もありがとう』
『なんだ? いつもはお礼を言わないくせに』
『それはそうなんだけど……なんか、お礼を言いたくなったから』
『俺が英語が嫌いだったことを気にしてるからか?』
『…………』
イヴは何も言わない。
図星なのだろう。
『気にされる方が困る』
『ご、ごめん』
『そうやって謝られるのも困る』
『……じゃあ、どうすればいいのさ』
ちょっと不機嫌そうにするイヴ。
言葉に棘が生えて、スマホの向こうで唇を尖らせているのが容易に想像できた。
『そりゃあ、聞いたのは私からだよ。私にも非があるのは分かる。でも気になるものは気になるし、謝りたくなることは謝りたいんだよ。それなのにシュウトは“困る、困る”って。じゃあ、私にはどうしてほしいのさ』
もちろん気にしてくれることはありがたかった。
でも、嬉しくはなかった。
だって、それは俺の知ってるイヴじゃないから。
……いや、違うのか。
『……お前、俺に気を遣い過ぎ』
『気を……?』
『俺はお前と関わりたくなかった。でもお前は俺の意思を無視して関わり続けてる。それが今はどうだ? 俺が英語が嫌いだって言ったら、それを執拗に気にしてるだろ』
『だって気にしちゃうんだもん』
『イヴだったら気にしないだろ』
『シュウト、私のことをなんだと思ってるの!?』
半ばツッコミのようにイヴが大声をあげる。
本気で怒っているようには聞こえなかった。
きっと、彼女も俺を気にしない節があったことを自負しているのだ。
『だから、要は……』
ありのままの気持ちを、伝えたい。
気を遣われたら寂しいって。
他人を、イヴを遠ざけている内に、俺はいつしか素直さまで自分から遠ざけてしまったらしい。
回りくどい言い方をして、結局彼女には何も伝わらなくて。
素直な気持ちと言ったらどうなるか分からなくて、不安になって。
こうやって言い
でも……言いたい。
怖いけど、彼女ならこの思いを受け止めてくれるかもしれないから。
だから俺は、頭が真っ白になるほど暴れる心臓を押さえつけるように深く息をついて……口を開いた。
『要は、寂しいんだよ』
『寂しい……?』
呆然とするイヴに、俺は捨て身の覚悟で言葉を続ける。
『気にされると、距離を感じる。俺を受け入れてくれていないように感じて、寂しくなって……』
不安や羞恥、安堵が複雑に入り混じった中で一生懸命に言葉を吐いていると、不意にイヴがクスリと笑った。
『な、なんで笑うんだよっ』
『ごめんごめん、バカにしてるとかそういうわけじゃないの。ただ嬉しくて』
『嬉しい?』
せっかく勇気を出して言ったのに、あろうことか笑われたのだ。
だからイヴの言葉が理解できなくて、思わず問い返してしまう。
すると、イヴは優しい声で言った。
『ずっと、遠ざけられてばっかりだったから。シュウトに求められてるんだって思ったら、嬉しくなっちゃって。シュウトの前ではそういう素振りは見せなかったけど、これでも私、素っ気なくされて悲しかったんだよ?』
『それは……そうだろうな』
『分かっててやってたんだ』
『じゃないと、素っ気なくする意味がないからな』
俺はイヴと関わりたくなかった。
関われば、イヴに思い入れてしまうから。
そうなれば、離れるのが怖くなるから。
離れてしまった時に、悲しくなるから。
だから俺は彼女と関わらないように、彼女が俺のことを少しでも嫌いになるように素っ気なくした。
『なのに、イヴはそれでも俺と関わり続けた。本当、執念深いよ』
『恋する乙女をナメないことだねっ』
『それ自分で言うか?』
不安は、いつの間にか心の内から消えていた。
その代わりに、何か温かいものが心を満たしていく。
そうして気づけば、俺の頬は緩んでいた。
『私はちょっとやそっとじゃシュウトから離れないよ。例えシュウトに素っ気なくされても、私はずっとシュウトのそばにいるから』
『……なら、少しは信じられるかもしれないな』
彼女なら、ずっと俺のそばにいてくれるかもしれない。
根拠のない淡い期待が、今はものすごく心強かった。
『今じゃなくていいから、もっとシュウトのことを教えて。私、もっとシュウトを知りたい』
『……あぁ。話せるようになったら、追々な』
『うん、ありがとう』
話が一段落すれば、急に睡魔が襲ってきた。
声が出るほどの大きな欠伸が出てしまう。
『ごめん、もう眠いよね』
『あぁ、ちょっと眠くなってきたかも』
『夜遅くまで付き合ってくれてありがとう』
『こちらこそ。じゃあ、もう通話切るな』
『あっ、ちょっと待って!』
慌てた声で俺を引き止めるイヴ。
どうしたのだろうと疑問符を浮かべていると、彼女は咳払いして喉の調子を整え、囁くような日本語でこう言った。
「オヤスミ」
「っ……!」
自分が教えたからだろうか。
それとも、イヴが特別な人だからだろうか。
彼女の声で聞こえてくる「おやすみ」の言葉にどうしようもなく嬉しい気持ちになって、俺もスマホに顔を近づける。
「あぁ、おやすみ」
クスリと笑うイヴ。
どうやら、彼女も同じ気持ちのようだ。
「オヤスミ」
「おやすみ」
「オヤスミ」
「おやすみ」
まるでお互いに「好き」と言い合うバカップルのように、俺たちは「おやすみ」と言い合う。
いや、俺たちにとってはこの日本語こそ、愛を伝え合う唯一の方法なのかもしれない。
彼女と交わす日本語が増えれば増えるほど、それだけ彼女と時間を共にしてきた証になるのだから。
『日本語が話せるって楽しいね! シュウト!』
とびきり嬉しそうにするイヴの声に、俺は。
『あぁ、そうだな』
心から、そう告げるのだった。
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