13話 金髪美少女は改めてカイの名前を知る

 それから特にイヴの家族と話す機会はなく、仕事をこなしているうちにイヴの家族が帰ろうとしていた。


『ここの料理、すごく美味しかったよっ!』

『そりゃあよかった』

「ディッシュ……デリ……? ……なんて言ってるの?」


 イヴの英語に、千夏が困惑している。

 何とか理解しようと頑張ってはいたがとうとう分からなかったらしく、肩身を狭そうにしながら俺に耳打ちして尋ねてきた。


 英語を反復しようとしている姿が、一瞬だけイヴが日本語を反復しようとしている姿に重なったような気がした。


「ここの料理が美味しかったってさ」

「あ、あぁー……セ、センキューセンキュー」


 千夏が苦笑いを浮かべながら手を振っている。

 あまりにぎこちない英語とジェスチャーだったため、思わず吹き出してしまった。


「わ、笑うなっ」

「なんで接客業してるのに英語が話せないんだよ」

「う、うるさいな。私の仕事はどちらかと言えば経営業なの。というか、みんながみんなアンタみたいに英語が喋れると思わないでよね」


 それでも『ここの料理が美味しかった』くらいは聞き取ってほしいものだ。

 いわゆる「義務教育の敗北」ってやつだな。


 千夏に呆れていれば、イヴはその傍で千夏をジト目で舐め回すように見ていた。


『なるほど……この人がこの前言ってた、カイの従姉弟?』

『そうだ。――櫂千夏。ここのオーナーで、俺より十二歳年上だ』

『えっ、この人もカイなの!?』

『なんでそんなに驚くんだ?』


 異様に驚くイヴに俺もまた驚いていると、後ろで俺たちの様子を傍観していたイヴの母親がイヴの近くに顔を寄せた。


『イヴ、日本では名字が先なの。イギリスみたいに名前が先じゃないのよ』

『あっ、そっか……ってことは、チナツが名前ってこと?』

『そういうこと』


 なるほど、イヴは俺たちの名字を名前だと勘違いしていたのか。

 今思えば俺が自己紹介するときも、そのまま日本の言い方で自己紹介していた気がする。


 どうしてこんな初歩的なミスをしてしまったんだろう。


 羞恥の念に襲われて頬が熱くなる。


『ってことは、カイのも名前じゃないの?』

『ご、ごめん、俺ずっと間違った言い方をしてた。俺の名前はシュウト・カイ。シュウトが名前なんだ』

『そうだったんだ……』


 イヴは肩を落として瞳を伏せる。

 どうやら今まで名字で呼んでいたことを知って、相当ショックを受けているようだった。


 でも、どうしてそこまでショックを受けているのだろう。

 たかだか俺のことを名字で呼んでいただけなのに。


 怪訝に思っていればイヴは俯かせていた顔を勢いよく上げ、こちらを真っ直ぐ見つめる。

 その覇気に思わず目を見張っていると、彼女は伺うようにゆっくりと言葉を紡いだ。


『じ、じゃあ、これからはカイのこと“シュウト”って呼んでもいい?』

『えっ?』

『カイは“櫂って呼んでほしい”って言ってたけど、私はシュウトって呼びたい。だって……す、好きな人のことは、名前で呼びたいもん』

『っ……』


 どうしてここでを出してくるんだろう。


 そんなの、卑怯にも程があるだろ。


『……勝手にしろ』

『っ……! うんっ! ありがとう!』


 そっぽを向きながら呟けば、急にイヴがすごい勢いで抱きついてきた。


『うわっ、だからくっつくなって!』

『あらあら、青春ね〜』

「ははーん。なるほど、そういうことか」


 おい二人とも、傍観してないで助けてくれ。


 後ろで幸せそうに見てるイヴの父さんもだ。


『さぁ、もう帰りましょう。あんまり居座ってるとお店に迷惑がかかっちゃうわ』

『それもそうだね』


 イヴの母さんありがとう。


 彼女の言葉のおかげで、イヴが離れてくれる。

 イヴやら羞恥やら、いろいろなものから開放された俺はため息に限りなく近い深い息をついた。


「もう帰るって」

「えっ? あっ、そうなの?」


 俺は千夏に耳打ちすると、姿勢を正す彼女とともにイヴの家族を視界に入れた。


『じゃあまたね! シュウトっ!』

『もう二度と来るなよ』

『絶対また来るから!』


 手を振りながら扉の向こうへ消えていくイヴたちを見送ると、どっと疲れが出て、俺は今一度ため息を吐く。


「……人助けってのは、あの子のことだね」

「あぁ。――イヴリン・デイヴィス。イギリスから来た転校生だ」

「なるほど、だから終始英語を喋ってたのか。にしても修斗、可愛い子をゲットしたねぇ」

「全く持ってそんなんじゃない」

「はいはい分かってますよ」


 何も分かってない。

 こちらを揶揄うような視線でニヤニヤしながら言われても、説得力がなかった。


「さぁ、あの家族も帰ったことだし、仕事の続きをするよ」

「俺はパスで。もう動けない」

「じゃあその分のバイト代引くけど」

「喜んでやらせて頂きます」


 カウンターによし掛けていた体を勢いよく起こすと、ホールの仕事を探すためカウンターを出る。


 結局、この日も閉店時間ギリギリまでこき使われた。

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